【お知らせ】    Top


<2018年8月の更新内容>

  【これまでの活動】    ・ 第11回 通常総会(2018年6月・神戸)

  【会員のつぶやき】    ・「有光 勲」「ikoma」「s-ryoudou」「佐藤 正純」

  【関西ゆいまーる勉強会】 ・ 第37回(11/25 予定)

  【関東地方会】      ・ 第17回(10/21 予定)

  【機関誌 第5号】      (新規掲載)

  【リンク集】


   *2019年6月 第12回 通常総会は東京で開催予定です。

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<2018年1月の更新内容>

  【役員と会員】      ・ 正会員 24名

  【会員のつぶやき】    ・「ikoma」「s-ryoudou」「守田 稔」

  【関西ゆいまーる勉強会】 ・ 第34回〜第36回

  【関東地方会】      ・ 第16回


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<2017年7月の更新内容>

  【役員と会員】      ・ 正会員 24名

  【これまでの活動】    ・ 第10回 通常総会(2017年6月・東京)

  【会員のつぶやき】    ・「ikoma」「佐藤 正純」「守田 稔」

  【関西ゆいまーる勉強会】 ・ 第31回〜第33回

  【関東地方会】      ・ 第14回・第15回


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<2017年1月の更新内容>

  【役員と会員】      ・ 正会員 27名

  【会員のつぶやき】    ・「ikoma」「守田 稔」

  【関西ゆいまーる勉強会】 ・ 第29回・第30回(2017年1月)

  【関東地方会】      ・ 第1回〜第13回(新規掲載)

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<2016年8月の更新内容>

  【役員と会員】      ・ 正会員 26名

  【これまでの活動】    ・ 第9回 通常総会(2016年6月・兵庫県神戸市)

               ・ 第48回 日本医学教育学会大会 パネルディスカッション参加

  【会員のつぶやき】    ・「ikoma」

  【関西ゆいまーる勉強会】 ・ 第28回(2016年7月)まで掲載

  【機関誌第4号】      (新規掲載)
   
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<2016年1月の更新内容>

  【役員と会員】      ・ 正会員 26名

  【これまでの活動】    ・ ゆいまーる秋の交流会 in 大阪・箕面&兵庫・宝塚 (2015年10月)
 
  【会員のつぶやき】    ・「ATM」「ikoma」「s-ryoudou」「守田 稔」

  【関西ゆいまーる勉強会】 ・ 第26回(2016年1月)まで掲載

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 <2015年8月の更新内容>

  【役員と会員】      ・ 正会員 29名

  【これまでの活動】    ・ 第8回 通常総会(2015年5月・東京)
 
  【会員のつぶやき】    ・「ikoma」「佐藤 正純」

  【関西ゆいまーる勉強会】 ・ 第24回(2015年7月)まで掲載

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 <2015年1月の更新内容>

  【役員と会員】      ・ 正会員 30名

  【これまでの活動】    ・ 宮城交流会 in 南三陸・松島(2014年11月)
 
  【会員のつぶやき】    ・「ikoma」「大里」「佐藤 正純」「つぶのぶ」「守田 稔」

                新規掲載 「ATM」「しろくま」

  【関西ゆいまーる勉強会】 ・ 第23回(2015年3月)まで掲載

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 <2014年8月の更新内容>

  【役員と会員】      ・ 正会員  28名

  【これまでの活動】    ・ 第7回 通常総会(2014年6月・大阪)

               ・ 第110回 日本精神神経学会学術総会シンポジウム 27
                (生駒医師・大里医師・守田医師 講演)

  【関西ゆいまーる勉強会】 ・ 第19回(2014年7月)まで掲載

  【機関誌第3号】      (新規掲載)

  【お知らせ】       ・ 守田稔代表 NHKラジオ第2放送出演

 ■NHK福祉ポータル ハートネット「聞いて聞かせて 〜 視覚障害ナビ・ラジオ〜」■

  『特集:守田稔さんに聞く』

   放送日: 8月31日(日)19:30〜20:00 [再放送] 9月7日(日)7:30〜8:00

 * 見えない人、見えにくい人のための情報番組です。
   最新のニュース、生活支援、魅力的な生き方などお届けします!

 
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 <2014年1月の更新内容>

  【役員と会員】      ・ 正会員  29名

  【これまでの活動】    ・ 秋の交流会 in 熊本・阿蘇(2013年10月)

  【会員のつぶやき】    ・「ikoma」「佐藤 正純」「守田 稔」

  【関西ゆいまーる勉強会】  (新規掲載)

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 <2013年11月更新>

 ■ ゆいまーる代表 守田 稔医師 市民公開講座「地域でいきいき楽しく生きる」講演 ■

  日 時:2013年9月29日
  会 場:大阪労災病院(堺市)
  主 催:公益社団法人 日本リハビリテーション医学会

 ★ 講演内容が下記に掲載されましたのでお知らせいたします。

  【掲載先】
  株式会社 メディカルトリビューン
  MT Pro 医師のための専門情報サイト
  http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/1310/1310039.html
  2013年10月15日

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    全盲の精神科医・守田稔氏がリハの大切さを訴える
    日本リハビリテーション医学会・市民公開講座

 2003年に全盲での初の医師国家試験合格者であり、現在はかわたペインクリニック(奈良市)で外来診療を行う精神科医の守田稔氏。同氏は、9月29日の「リハビリテーションを考える日」に、大阪労災病院(堺市)において公益社団法人日本リハビリテーション医学会が開催した市民公開講座「地域でいきいき楽しく生きる」(関連記事)の中で、「障害とどのように向き合ってきたか〜リハの大切さ〜」と題して講演を行った。座長は、現在も同氏のリハビリテーション(以下、リハ)をサポートしている関西医科大学附属滝井病院リハビリテーション科教授の菅俊光氏が務めた。


    小学校4年でギラン・バレー症候群を発症、リハと出会う

 守田氏は、末梢神経に障害が起こり手足の筋肉に麻痺が生じるギラン・バレー症候群により、現在、手、足、視覚に障害を持っている。足は膝下の装具と杖、車椅子を用いており、手はボタンを止めるなどの細かな動作が難しい。視覚障害の程度は全盲で、光も感じない。

 現在は、精神科医として不安やうつ、不眠症状を持つ患者などの外来診察を行う他、2008年に結成した視覚障害を持つ医療関係者の交流や情報交換を行う当事者会「視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)」(ゆいまーるは、“結び付き”や“助け合い”を意味する沖縄の言葉)の代表としても活動している。

 同氏は、ギラン・バレー症候群発症から現在までの経緯とともに、リハとの関わりについて振り返った。

 最初にギラン・バレー症候群を発症したのは小学校4年生のときだった。手足が動かなくなる症状が現れ、4カ月間入院生活を送った。病状が落ち着いてからリハ室でリハを受けた。「それが私の人生とリハとの初めての出会いだった」という。リハ室では寝たきりが続いたために拘縮した足首の関節を伸ばす治療から開始、あまりの激痛に毎回泣いた。「あまりの痛みに泣き叫んでいる自分をかわいそうに思ったおじいさんが、“これをあげるから頑張れ”とお相撲さんの手形をくれたのを覚えている」と振り返る。車椅子と大きな装具と杖という姿で退院し、小学校5年生で復学、午後は毎日リハ室に通った。中学校進学時には歩き方や走ることなどに少しの障害はあるものの、日常生活はほぼ問題ないまでに回復した。


    医学部5年生で2度目の発症、毎日リハの時間を心待ちに

 その後、守田氏は、医師を目指して関西医科大学に進学。二度目の発症は、医学部5年生の春だった。朝、目が覚めると手足に力が入らず、その日のうちに呼吸困難となり、明け方には人工呼吸器につながれた。顔面の筋肉も含めて全身が動かなくなり、辛うじて眼球とまばたきができるだけの状態に陥った。視野も急激に狭くなり、左眼の中心が少し見えるだけとなった。
 救命救急科の集中治療室での管理となり、コミュニケーションすら取れない状況においても、同氏とリハの関わりは再び始まっていた。それは、胸郭を圧迫して吸痰する「呼吸リハ」だった。「息がとても楽になるので、毎日リハの時間を心待ちにしていた」という。

 その後、病状は安定し、1カ月後に神経内科病棟に移った。徐々にまばたきでコミュニケーションが取れるようになった。しかし視野は回復せず、左眼中心の鍵穴のような視野だけが頼みの綱となった。酷く気分が沈んでいるときでも、毎日必ず関節の拘縮を防ぐ可動域訓練が行われていた。「24時間寝たきりの私にとって、リハを受ける時間はとても気持ちの良いものだった」。そのおかげで、後日、初発時のような足首の拘縮は起きず、痛みに苦しむこともなかった。

 2、3カ月後、舌が動くようになり、初めて自分の身体が良い方向に変わったと感じた。少し動くように感じた部位は何度も動かし続けた。「何もしなくても勝手に動くようになるのかもしれないし、どれだけ行っても何もしなかったときと同じくらいしか回復しないかもしれない。けれど、こつこつと何かを積み重ねていれば、1年後には運が悪くても何もしなかったときと同じ、そうでなければ、何もしなかったときよりも良い結果になるだろうと信じてトレーニングを続けた」。

 徐々に首から肩、腕、手首へと、可動部位が広がった。そして発症から半年後には自発呼吸も戻り、人工呼吸器が外せるまでに回復、リハ室に通えるようになった。退院したのは発症1年後の4月末だった。

 退院するときには「果たして社会復帰できるのだろうか、日常生活を送れるのだろうか」と大きな不安と恐怖心に襲われた。そんなとき、リハ医や理学療法士、作業療法士がさまざまなアドバイスや、生活しやすくする道具を考えてくれた。そのおかげで徐々に不安が解消され、次のステップである復学を目指せるようになったという。


    眼が見えなくても医師国家試験を受けられる!

 周囲の助けを受けながら、無事、医学部5年生に復学を果たした守田氏だったが、最も思い悩んだのは、当時、医師国家試験には視力障害が欠格事項であることだった。そんなとき、復学後も定期的に通うリハ室で知り合った男性が、同氏に新聞の切り抜きを手渡した。そこには、“欠格事項改訂、眼が見えなくても医師国家試験を受けられる可能性が出てきた”と記されていた。タイミングとしては全くの偶然だったが、リハ室で希望をもらい、実習と勉強にさらに熱を入れて取り組んだという。普段の授業は聴講しながら録音、教科書や問題集を父母に録音してもらい、何度も聞き直した。リハ室では筋肉の名称などをリハ医に教えてもらいながらリハに励んだ。

 同氏のように視覚障害を持つ受験者は初めてであったことから、大学と厚生労働省の間で幾度も交渉が持たれ、最終的に次のような受験方法が決められた。

 問題内容と問題数は一般受験者と同じ
 別室受験で試験時間は通常の1.5倍
 対面朗読で問題を読み、それを録音して聞き直すことは可能
 漢字など、文字を尋ねることは可能
 口頭で解答し、マークシートには代筆記入
 画像問題は問題作成者による画像説明があり、質問は受け付けないあるいは解釈を伴わない質問に対しては返答する

 1日約10時間、3日間にわたる試験を受けた。「厚生労働省の最大限の配慮により、そのとき持っている最大限の能力を出し切って医師国家試験を受験することができた」という。そして2003年、最大の喜びともいえる医師国家試験の合格通知を受け取ることができた。

 現在も、精神科医として診療する傍ら、頻度は減ったもののリハに通院している。運動療法の指導を受ける他、杖や装具、車椅子などについても相談に乗ってもらっている。また、学生時代にはほとんど取り組んでいなかった、視覚障害に関する練習も卒業後に始めた。文字情報を音声で読み上げるパソコンの操作もその1つで、「障害をカバーする能力を身に付けるという意味ではこれも1つのリハだ」と同氏は捉えている。


    リハ医からの障害者手帳申請の勧めが障害を受容する契機に

 守田氏は、自分自身の障害と向き合う過程について振り返った。

 発症から最初の数年間は、「手足も眼もいつかは治ってくれるのではないか、治ってほしい」と願っていた。障害と長く付き合わねばならないと思ったのは、障害者手帳を持ったことが1つの契機だった。当初はとてもショックなことだった。当面治らないのだという気持ちが起こり、悲しくなった。しかし、手帳があることで介護サービスを受けられ、電車の切符や施設入場料が安くなることもあった。そうしたことから、結果的に日常生活や行動に広がりができ、自分が障害者であることを少しずつ受け入れられるようになった気がする。手帳を持つことを勧めてくれたのはリハ医だった。「ずっと身近に寄り添い治療を続けてくれていたからこそ、適切なタイミングで勧めてくれた」と同氏は言う。

 同氏は、「障害をどうやって受容できているのか」と尋ねられることがよくある。その問いに、こう答えているという。

 「自分自身が今、どれだけ受容できているのかも含めて、分からないというのが正直なところ。障害者であることを受け入れたからといって穏やかに過ごせるわけではないし、状況が悪い方向に変化したときはどうしても落ち込んでしまう。今後も障害の程度が変わるときには落ち込むことがあると思う。また、障害があることそのものではなく、障害がある生活の中でつらく感じることや、落ち込むことも時々ある。最近は、そういうときがあっても当たり前、そんなことがあるのも普通のことと思っている。それが私にとっての受容なのかもしれない」。

 さまざまなことに対するモチベーションを保つために、同氏は主に3つのことを行っている。
 ひとつは「趣味」だ。幼少時から鉄道好きで、今も鉄道旅行や鉄道グッズの収集は変わらず続いている。そして新たに鉄道の音や歴史にも興味が向くようになったという。「楽しみたいという気持ちがあれば趣味は続く」と考えている。

 2つ目は「何かを頑張ったときに自分へのささやかなご褒美をすること」。いつもより頑張って歩こうと思ったときには目的地を駅にして、帰りは電車に乗って帰ったり、何か美味しいものを食べたり、「自分を餌で釣るようなことを行っている」という。

 3つ目は「同じ障害を持つ人と話をすること」。これまでも、リハ室で知り合った患者同士でいろいろな話をしてきた。ほとんどはたわいのない会話だが、たまには互いの病気や障害について話すこともある。「当事者同士の対話も、緩やかに障害を受容することに役立った気がする」と述べている。


    身体だけでなく心を支えてもらったリハ

 守田氏は、これまでの体験を通して、リハについて次のように捉えている。

 初発時のリハは身体機能や能力を回復して元に戻すものだった。再発から現在までは、現状を意識し、少しずつ機能が落ちていく速さを緩やかにする、あるいは可能な限り機能を維持したり、生活しやすくするためのリハとなった。そして、必ずしもその機能自体が使えなくとも、代わりとなる道具や便利なツールを使うことで補うこと、そしてその方法についてアドバイスを受けたりトレーニングすること、そうした全てがリハだと今は感じている。「リハは他の医療と比べて患者に寄り添っている時間がとても長い診療科。さまざまなスタッフから、身体だけでなく、心を支えてもらった」と感謝の念を伝えた。

 そして同氏は、自身のモットーとしていることで講演を終えた。

 「しんどいときは休んでもいい、歩けるときは歩いていこう、楽しみやご褒美も時々混ぜて、一歩一歩を積み重ねていけば、何もしないよりもきっといつかいいことがある」

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    座長・菅俊光氏コメント

    「“あきらめない”と肝に銘じて日々診療に当たっている」
 
 守田君(あえて「守田君」と呼ぶ)をリハ医として私が初めて診たのは1999年5月だったと思います。彼は、ベッドに横たわり人工呼吸器につながれている状態でした。その後、いろいろな治療やリハが行われ、彼は障害を残しながらも退院、復学へと進んでいきました。

 この経過の中で、もしかしたら、彼が医師になることを最初に諦めてしまったのは私だったのかもしれません。視力障害が医師国家試験の欠格事項であった当時、私は「彼が医者になれなかったら、どういうことをしてあげられるのだろうか」と考えていました。今の彼を見れば、大変失礼だったと今も後悔しています。私はこの経験から、「あきらめない」と肝に銘じて日々診療に当たっている次第です。

 彼との関わりを通して、私はさまざまなことを学びました。日本介助犬協会の方々との出会いも、「守田君に介護犬はどうだろうか」と考えて介護犬協会に相談したことからでした。足の障害のためのロストランド杖と視覚障害のための白杖を同時に使えるようにと、新たな杖の作成を模索しました。これからも、リハ医として彼に何ができるかを考えていきたいと思います。


   「リハビリテーションを考える日」について

 日本リハビリテーション医学会50周年記念事業の1つとして、「リハビリテーションを考える日」が制定されました。私は「リハビリテーション」という言葉には、多くの方のさまざまな思いが込められていると感じていました。そして、その「リハビリテーション」というものについて、みんなで一緒に考えてみる必要があると思っていました。「リハビリテーション」を受けている方やそのご家族だけでなく、健康な方や若い世代の方そして子供たちにも「リハビリテーション」について考え「リハビリテーション」をもっと知ってもらいたいと思います。


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 <2013年7月の更新内容>


  【会規約】     ・総会に於いて活動、総会の成立条件、本規約改廃の条件、
             会費滞納者に関する内規を改定

  【役員と会員】   ・正 会 員  25名 → 28名
            ・協力会員  59名 → 58名

  【これまでの活動】 ・第6回 通常総会(2013年6月・東京)

  【会員のつぶやき】 「ikoma」「佐藤 正純」「戸田 陽」「守田 稔」

  【リンク集】    ・筑波技術大学、上島医院、かわたペインクリニック
             かわたペインクリニック心療内科、正岡クリニック 追加

  【お知らせ】    ・大里 晃弘 医師・守田 稔 医師 『パイオニア賞』 受賞


 ■ 大里 晃弘 医師・守田 稔 医師 『パイオニア賞』受賞 ■

 2013年6月23日(日)、第66回全国盲人福祉大会〈福井大会〉にて、ゆいまーるの大里医師と守田医師が、社会福祉法人 日本盲人会連合顕彰 パイオニア賞を受賞しました。

 ★ パイオニア賞とは
 生活用具や補装具の発明、改良、新職業の開発、点字の改革など、視覚障害者のために新生面を開き、あるいはわが国の視覚障害者の名声を著しく高めた功労者に贈られる賞。


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 <2013年2月の更新内容>


  【役員と会員】   協力会員 56名 → 59名

  【これまでの活動】 秋の交流会 in 東京 (2013年11月)

  【会員のつぶやき】 「ikoma」 「守田 稔」 「極楽のぶ」


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 <2012年 8月の更新内容>


  【役員と会員】   ・正 会 員  22名 → 25名
            ・協力会員  53名 → 56名

  【これまでの活動】 ・第5回 通常総会(2012年6月・大阪)他

  【機関誌 第2号】  ・2012年6月 発行 (新規掲載)


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 <2011年12月の更新内容>


  【役員と会員】   ・正 会 員  21名 → 22名
            ・協力会員  50名 → 53名

  【これまでの活動】 ・高野山交流会(2011年10月)

  【会員のつぶやき】 「ikoma」 「下川 保夫」 「守田 稔」 「極楽のぶ」(新規掲載)

  【お知らせ】     守田 稔 ゆいまーる代表 『チャレンジ賞』 受賞


 ■ 守田 稔 医師 『チャレンジ賞』受賞 ■

  (月刊「視覚障害 ― その研究と情報 ―」2011年9月 No.280より転載)


    『第9回 チャレンジ賞・サフラン賞決まる』

 8月1日に開催した選考会において、第9回チャレンジ賞・サフラン賞の受賞者が決定しました。
 サフラン賞は、2003年に閉鎖された(財)東京サフランホームの残余財産を基金に、同ホームの伝統と実績と精神を継承し、若い視覚障害女性の活動を励ますために毎年1人を選び贈るものです。チャレンジ賞はその男性版として、ケージーエス株式会社の榑松武男社長より同社創立50周年の記念としてご協力いただき、創設したものです。

 チャレンジ賞の受賞者は、全盲の医師国家試験合格者第1号の守田稔さん(35歳)です。医大在学中に難病であるギラン・バレー症候群を発病し、視覚や肢体に障害を負いながらも夢を諦めず、2003(平成15)年に医師国家試験を突破。現在は奈良県にある「かわたペインクリニック」の心療内科で外来診療しています。また、「視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)」を主宰し、全国の視覚に障害のある医療関係者の情報交換や環境づくりのための活動をリードしています。視覚障害者の職域を開拓する先駆者としてのこれまでの実績と活動が受賞の理由です。

 サフラン賞に選ばれた柏木佳子さん(38歳)は、大阪府で電話交換手として勤務しています。生後間もなく失明した柏木さんは、1975(昭和50)年に公立保育所に進み、その後すべての段階を統合教育で学び、大学卒業後より現職。勤務の傍ら、自らも競技者としてタンデム自転車の普及に取り組むほか、映画・演劇の音声解説や盲ろう者の文化活動の支援にも携わるなど、障害者の自立と福祉・文化向上に熱心な姿勢が評価されての受賞となりました。
 両賞の贈呈式は9月10日(土)、都内セシオン杉並ホールを会場に、視覚障害者支援総合センターが開催する「競い合い、助け合うコンサート2011」の席上で行ないます。 どうぞお2人に温かい声援をお送りください。


   諦めない気持ちと周囲の協力が叶えた夢
   全盲で医師国家試験を突破した第1号 守田 稔さん

 「まさかの受賞でしたので、お知らせをいただいた時は、キツネにつままれたような感じでした。しばらくして嬉しいという純粋な気持ちが生じ、そして今は受賞したことに対して身の引き締まるような思いでおります」
 第9回チャレンジ賞受賞の守田さんは、受賞にあたってのコメントの冒頭、まずそう述べられました。
 守田稔さん、35歳。肢体障害もあるため、車椅子を使用している全盲の精神科医です。


   病との闘い、そして挑戦(チャレンジ)へ

 守田さんは1975(昭和50)年12月、大阪市の開業医の家庭に、3人兄姉の末っ子として生まれました。将来の夢に、医学の道を思い描くことは日常の延長線上のことだったのでしょう。
 ギラン・バレー症候群とは、急性の運動麻痺をきたす末梢神経障害で、日本では難病(特定疾患)に指定されています。四肢に力が入らなくなり、重症の場合は呼吸もできなくなるといいます。発病率は10万人あたり年間1〜2人程度とされていて、割合から言えば決してめずらしいとは言えない病気です。

 守田さんが、この病に初めて冒されたのは小学4年の冬でした。入院から2週間で手足が動かなくなるまでになりましたが、幸いにもそれ以上は進行せず、4カ月後に退院することができました。とは言っても日々の生活は車椅子でしたから、リハビリを継続していくことになります。その結果、中学生になる頃には、ほぼ普通の生活を送れるまでに回復していきました。健康な身体を取り戻した守田さんは、幼い頃からの夢を実現させるべく、関西医科大学の医学部に進みました。

 1999(平成11)年、守田さんは5年生になっていました。5月の連休明けの日のことです。朝、目が覚めた守田さんは、平衡感覚や視覚に違和感を覚えました。内科と神経内科を受診しましたが、明確な症状が発見できなかったため、その日は帰宅しました。翌朝、守田さんが目を開いた時には、既に足に力が入りませんでした。部活動の先輩や同級生に支えられ、病棟に入った時には視野が狭窄しているのを自覚されていたそうです。その日、一気に病気は進行しました。手足に力が入らないことはもちろん、息苦しさを感じてナースコールをしたのを最後に記憶はなくなり、次に意識が戻った時には気管に管を通されていました。顔の筋肉も動かすことはできず、まばたきと眼球運動以外に外部とコミュニケーションを取る手段がなくなりました。入院3日目、救命救急科の集中治療室に移されます。そこで、守田さん自身、振り返って「死んだ方が楽だと感じる」ような、生と死の狭間の日々が過ぎていきました。

 それから1カ月が過ぎ、動けない、そしてしゃべれないことに変わりはないものの、守田さんの症状は安定の方向へ向かいました。しかし、視力は既に左眼だけ、針の穴を通すようなわずかな視野しか残されていませんでした。その後、ゆっくりとではありましたが舌が動き、首、肩、腕へと動かせる部位が増えていきました。翌年には呼吸器も外すことができるようになり、4月、退院の日を迎えます。
 退院後、リハビリと自主的な勉強の日々を送る守田さんに朗報がもたらされました。大学側の配慮によって4年生の授業に自由参加できるようになったのです。その中で、部活動の後輩が、黒板やスライドの内容などを説明してくれるなど、周囲の協力もたくさん得られました。守田さんが、医師国家試験における絶対的欠格事由が緩和される可能性があるかもしれないということを知ったのは、ちょうどこの頃でした。

 2001(平成13)年4月、守田さんは5年生への復学が許可されました。毎日同級生たちによる献身的な協力があり、不安だった臨床実習もすべてこなすことができました。
 そんな守田さんに2つの現実が待っていました。1つは、その年の7月、障害を理由に免許や資格を認めない絶対的欠格事由を見直すために、医師法等を改正する法律が施行されたことでした。これにより医師法に定める絶対的欠格事由であった「目が見えない者、耳が聞こえない者又は口がきけない者」という部分が削除され、相対的欠格事由と変わりました。もう1つは、同じく7月、左目に残されたかすかな視力を失ってしまったことでした。守田さんはその年の夏を「失意のどん底」の中で過ごしました。
 しかし、守田さんは家族による後押しと、欠格事由の撤廃にかけ、9月、大学へ戻ります。仲間たちはこれまでと同様に守田さんを支援してくれました。また、教科書は家族が協力して、カセットテープに吹き込んでくれました。

 6年生になると守田さんは、医師国家試験の特例受験に向けて、視覚に障害がありながらも各界で活躍されている先輩たちに会い、強力な助言を得ます。一方、8月の官報で試験を受けられる目途はたったものの、受験方法をめぐる厚生労働省当局との調整は微に入り細を穿ちました。
  そして迎えた2003年3月の第97回医師国家試験。問題は通常と同じもので、時間は1.5倍。1日10時間におよぶ試験が3日間続きました。その結果が発表されたのは4月末。守田さんは全盲にして初の医師国家試験合格者となりました。しかし、目の見えない人が医師になるなどという前例はありません。母校の精神神経科への入局は決まっていたものの、守田さんに医師免許が交付されたのは、厚労省での面接を経た8月でした。


   「ゆいまーる」の精神とともに

 本人の努力と周囲の協力を得て医師の資格を得た守田さんですが、その後もたくさんの方からアドバイスとサポートを受けながら、手探りでの前進が続きました。その中で、医療の仕事に従事しながら視覚障害となった人や、視覚に障害がありながら医療職に就いた人などと出会い、世界を広げていきます。
 その交流の中で1つの考えがまとまりました。

 「視覚に障害がありながら色々な医療関係職に従事する人たちが集まり、お互いに情報交換を行なったり、親睦を深めていけたら」
 そんな思いを託し、2008(平成20)年6月、「視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)」を立ち上げました。沖縄の言葉で「結びつき」「助け合い」を意味する「ゆいまーる」という名前が、会に込められた願いを表していると言えるでしょう。発足当初は10名程度だった会員も、現在では正会員21名、協力会員50名にのぼり、医学情報のテキスト化、診療の工夫などの情報交換を中心に活動しています。
 私生活では、病気以前も以後も大の鉄道好き。目が見えなくなってからは「音」や「匂い」での楽しみ方もわかってきたとか。そんな、守田さんから受賞の感想をいただきました。

 「この度の受賞では私自身がとても励まされています。そしてそれを励みに、今まさに視覚障害をもちながら医療職で奮闘されている方々や、医療職を目指している方々と共に活躍できる場を広げていけるよう、今後も私ができることを一歩一歩積み重ねていければと思っています」
 慎重ながらも頼もしい言葉選びに、今後の守田さんの活躍が期待されてやみません。


            社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター
                   〒167-0043 東京都杉並区上荻 2-37-10 Keiビル