【重度障害を負った脳外科医 ― 心のリハビリを楽しみながら生きる】

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 会場は開演前にすでに満席(120人以上、うち理学療法士 8名)であった。
 佐藤先生の講演は手話による翻訳付きで行われた。内容は、脳挫傷で視覚、歩行、高次脳機能などの重度障害を負った脳外科医が、その後自らのリハビリプログラムで社会復帰に至るまでの体験およびメッセージである。以下、その一部を抜粋する。


  (1) ポケットベルと冬のソナタ

 事故後、昏睡状態が数週間続いていた。そんなとき、看護師が私の耳元でポケットベルを鳴らしてみた。すると驚いたことに、初めて目を開け何かをしゃべろうとしたという。脳外科の悲しい性か、急患への対応ということが一番の刺激だったのだ。

 もうひとつの刺激はキーボードであった。仲間がベッドの脇にキーボードを置くと、ジャズのスタンダード「In a sentimental mood」を弾き始めた。ピアノを大学時代から弾いていたため、指が覚えていたのだ。
 韓流ドラマ「冬のソナタ」でヨン様の同じようなシーンがあったことから、日本のヨン様とよばれた。


  (2) 着せ替え人形の入院生活からセルフメイド・オーダーメイドのリハビリへと
    踏み出して転機に至る

 リハビリセンターでは歩行訓練や、歌の伴奏をやることがリハビリだった。しかし、社会復帰に至るまでの機能回復は得られないまま退院となった。
 その後は地元のリハビリ病院に期待をしたが「今までリハビリ専門の場所でやってきてこれ以上何を望むのか」といわれ愕然とした。「今までは甘えがあった。これからは自分で切り開かなくては」と思った。
 そしてパソコンの操作方法を覚えた。メールの送受信やインターネットからの情報収集方法も習得した。また、電車やバスに乗るための安全な道筋の検討をし、文字の地図帳を作った。


  (3) 諦めから明らめへと悟って無理に頑張らず、それでも決して諦めず、
    心のリハビリを楽しみながら生きる

 音楽・鉄道を考えながらリハビリをやるのが楽しかった。伴奏することは自分でも役立つことがあるという実感ができ、それが支えとなった。鉄道マニアなので地図を作るのが楽しかった。
 パソコンは最初とても苦しかったが、昨日と比べて今日の進歩が少しでもあれば自分をほめた。昨日と今日の差がなくても一週間前と今日、一ヶ月前と今日、去年と今日、というように今の自分を昔と比べる。そこで自分はがんばっている、将来への希望が持てるという考えで楽しみとつなげてリハビリした。


  (4) 私の障害受容と重ね着人生

 ある専門学校の講師を頼まれ、事故から6年後初めて教壇にたった。このような形で社会復帰できて、こんな人生もあっていいなと思えた。
 脳外科医としていままで障害のことは頭で理解していたが、実際障害を受容できたのはこのときだろう。仕事を持つということ、使命感・必要性が最大のリハビリである。
 障害を持つ前の人生があって、それに続いて障害を持った人生がある。服を重ね着するようなもので、重ね着の人生と私は名づけた。


  (5) 医療の両面を体験して考えたことと、自らを『Challenged』
    (挑戦するよう神から運命づけられた人)と信じて目指す今後の夢

 救急医療の現場で、どんなことをしても助からない人をたくさん見てきた。そのため、医学の限界を知り、精一杯のことをやったらあとは神が決めるものと考えるようになった。神は人が乗り越えられないような試練は与えない(聖書より)。
 瀕死の重傷から生還したのはまだ私にやるべき仕事があるという神の意思で、障害も私がそれを乗り越えられると思って神から与えられた試練だと信じた。

 リハビリテーションとは全人間的復権という意味である。
 @哲学 A目的 B技術で成り立つ。障害を持ってどういう人生を歩むかという哲学、実際に何をするかという目的、目的を果たすための技術である。
 心のリハビリとは、体だけなく、哲学・精神力を含め、楽しみながら新たな気持ちで生きていくことだと思う。


 最後に会場に用意されたピアノで2曲を即興演奏した。

 「In a sentimental mood」(事故後最初に演奏した曲)
 「Sunny side of the street」(日向と日陰があるなら日向を歩きたいという思いを込めて ヨサコイブシの即興アレンジつき )

 軽やかなJAZZが会場に響き終わると、盛大な拍手で笑いあり涙ありの講演会の幕が閉じた。