【田中 康文】   【会員のつぶやき】  Top


(2024年2月27日)

   「漢方の力」

 私は一昨年の8月からオンラインでの漢方診療を始めています。
 オンライン診療を希望する患者さんは遠方で来院できない人が多く、その大部分の人は今までどこの病院・医院を訪れても一向に改善がみられない、あるいは現在診てもらっている医師から「うちでは治療できない」と言われたりするなど、西洋医学では改善が望めず漢方治療に救いを求める人たちです。

 オンライン診療を始めて、世の中には随分病気で苦しんでいる人や困っている人が多いのだなと実感しています。このような人たちに漢方の診方で治療をすると、大部分の人は改善傾向にあり、中には30年以上 手の水疱と湿疹で苦しんでいた人がわずか1カ月半でほぼ完治するなど、私は漢方に対して自信を深めていました。

 ところがその自信がゆらぐ患者に出会いました。
 外来の女性患者さんで、月経前後で膝から下がパンパンに腫れ正座ができないので何とかしてほしいとの訴えがあり、取りあえず水をさばく五苓散(ゴレイサン)など種々の漢方薬を処方しましたが一向に改善が見られませんでした。そのため、月経前後で足が腫れるのは、気か血の流れが悪いのではないかと思い、気とは何かをもう一度考え直しました。

 気という物質の存在は漢方の世界では当たり前のように考えていますが、西洋医学では見えないのでほとんど考えられていません。気とは電気や水蒸気などの気を指します。例えば、暖炉で木を燃やすと暖かいのですが、そこに少し水を入れると水蒸気となって熱が広がり、部屋がさらに暖かくなると同時に、水蒸気に蓋をするとその蓋を跳ね飛ばすほどのエネルギーを持っています。

 漢方の世界では、気とはこの水蒸気のように少し温かい水を伴いエネルギーを持った物質を指し、体全体をくまなく流れていると解釈しています。ストレスなどで気の流れが悪い人は、月経で下腹部に気が集中した時、他の部位の気の流れがさらに手薄になり、気だけでなく水も滞るので月経前後に足がむくむのではないかと推定しました。
 そのため、気の流れを調節する四逆散(シギャクサン)という漢方薬を処方したところ、翌日には足のむくみが取れたと報告がありました。

 このことから、私は今まで行なっていた漢方治療は単に量の過不足を調節していただけの西洋医学でよく見られる対症療法を行なっていたに過ぎず、その人の体にはどのようなことが起こっているのかを真剣に考えてこなかったのではないかと反省し、落ち込みました。今までの自信は何だったのかと思うと大変恥ずかしくなりました。

 この患者さんをきっかけに、漢方医療を再度考え直し、漢方治療をして20年近くなる74歳になってから、再び基礎から勉強をし直しました。
 漢方薬、例えばツムラなどから販売されているエキス剤では、大部分の薬は上向きのベクトルを持った生薬と下向きのベクトルを持った生薬で構成され、巡りを重視しています。例えば上記の五苓散では、上向きと下向きの回転性のベクトルを持つとされている茯苓(ブクリョウ)と、下降性のベクトルを持つ猪苓(チョレイ)と沢瀉(タクシャ) 、さらに水を動きやすくするために温める作用と上昇の性質をもつ桂皮(ケイヒ)と白朮(ビャクジュツ)(あるいは蒼朮ソウジュツ)から構成されています。

 このような巡りを重視し、今まで改善がみられなかった不安と不眠、動悸などパニック障害の女性に別の観点から治療を再開しました。
 漢方の世界では奔豚気病(ほんとんきびょう)という病態が知られています。この病気は驚いた子豚が奔走するように、下腹部から胸にかけて突き上げるような激しい動悸を感じての息苦しさと不安と不眠を表現した病態用語で、その背景には腎気の乱れがあり、腎気が浮き上がって心を攪乱させた結果生ずるとされています。漢方では心と腎は互いに交じり合う(心腎相交という)という概念が知られています。

 心は血に代表されるように暖かく火に相当するとされ、ちょうど宇宙の太陽のような存在とされています。一方、腎は尿を生成するなど水との関連が深いとされています。地球上の生物はすべて太陽の恩恵を受け、池や湖の水が太陽の熱を蓄熱するように、生体では心の熱は腎に受け渡され、腎の熱として内封されています。一方、腎の潤いは熱により上昇し、心を潤すとされています。このような心と腎の熱と潤いの相互の交わりを心腎相交と呼んでいます。

 この心腎相交が乱れると(心腎不交といいます)、心が渇いたり、腎が冷えたりします。これを改善するために、めまいの治療によく使われる苓桂朮甘湯(リョウケイジュツカントウ)と心を潤す甘麦大棗湯(カンバクタイソウトウ)を、この患者さんに用いました。
 苓桂朮甘湯は桂皮で腎を温め、茯苓で水の流れに乗せて気の巡りを整えることで奔豚の状態を鎮めると言われています。この組み合わせのエキス剤を投与して2週間後の再診では、「動悸は感じなくなり、睡眠も夜中目が覚めることがあるもののすぐ再入眠できて5時過ぎまで眠れることがだいぶ増えました」との報告がありました。

 このように、漢方の「巡り」という観点をもう少し大切にすれば精神疾患もかなり改善できるんではないかと、最近思っています。ゆいまーるの会員は精神科や心療内科に関わる医師が多く、漢方の考え方を取り入れることによってもっと診療領域が拡大され、この分野でも役に立つのではないかと思っています。


(2019年8月7日)

  私の外来に来ていただいている患者さんが「ふれあい漢方内科」のホームページに書かれている『或る木偶の坊の反省記』を読んで、是非経営者の勉強会で自分の失敗談を話してください、とお願いされました。6月11日の朝5時前に出かけて40分ほど話をして来ましたので、その要点をまとめてみました。


 * 栃木県宇都宮西 倫理法人会
   第541回 経営者モーニングセミナー(2019年6月11日 講話)

    「妻から教えられたこと」

 本日は「妻から教えられたこと」という題名でしたが、その前に伝えたいことがあります。
 まず、大脳は左脳と右脳の2つの半球から成っていますが、左脳は分析脳といって、言語や行動に対して支配的であり、そのため優位半球と呼ばれています。

 一方、右脳は感情や空間など、漠然とした機能を司っており、左脳が優位半球と呼ばれているのに対して劣位半球と言われています。しかし、左脳は確かに行動や言語に対して優位ですが、右脳は人間として生きるためになくてはならない感情を支配しています。そのため右脳は調和・ハーモニーの半球と言われており、人間らしく生きるためには右脳は優位半球といっても過言ではないと思います。

 このように見方を少し変えるだけでもどちらが優位か異なってきます。西洋医学は欧米で発展してきた学問ですが、それは主に狩猟民族による学問で、動物を効率よく捕らえるためには行動パターンを知る必要があります。そのため分析学が発展して、分析を得意とした学問といえます。
 一方、東洋医学は、木の実やキノコ類を採集したり、海から魚や貝を獲ったり、稲作農業をしたりして、自然との調和の中で生活してきた民族から発展してきた学問と思います。

 このように西洋医学は画像や数字などのデータを重視した分析医学を得意とし、手術や抗生物質などによる治療は優れており、急性の病気に対してなくてはならない学問です。
 一方、東洋医学は漢方医学を代表とし、約4000年もの長い間、自然から採取した木の根、樹皮、木の枝、花や葉などの植物や鉱石(動物性生薬もありますが)をうまく配合して、人間を自然界の中の一生物と理解して対応してきた学問と思います。

 そのような漢方医学は慢性疾患を得意とし、分析的、データ中心の医療からはずれた患者さんを治療し、人生をより豊かに生きるためにはなくてはならない学問と思います。このように漢方医学は自然から得られた生薬を用いながら自然との調和を大切にした医学と思います。

 このような大脳半球の左と右の違い、西洋と東洋医学の違いは男性と女性の違いに似ているように思います。男性は理屈で物を考え、物事を分析して生きています。一方、女性はしばしば感情的になりますが、共感と周囲との調和の中で生きています。女性同士で話をしている時、よく「アッ、そうね そうね」「うんうん、分かるよ、その気持ち」などとよく共感しています。

 先日、「妻の取説」という本を読むと、女性同士で話す時は男性から見ると、無駄話が多いように見えますが、これは自分以外の人が経験したことを自分が経験したことのように受け止め、学習していくようです。例えば、子供に万が一何かが起こった時、以前 知識として蓄えたことを思い出し、それを活用したり、あるいは自分の身に何かが起こった時のために、自分の身を守るためにも様々な情報を獲得しようとしています。

 また、電気製品を購入する時、男性はお店に一目散に行きますが、女性はそれまでに色んなお店に立ち寄ったりして、品定めをしているようです。男性は電気屋さんに入って物を購入する時は、値段や型、機能などを比較して散々悩みますが、女性はある程度見た後はほぼ勘で選ぶようです。
 このように男性から見れば一見無駄話のようであり、買い物をするのにもすぐには目的のお店に行かずに無駄なことをしているように見えますが、実は生活するにはなくてはならない共感や勘を養っているようです。

 私は視力を失ってから人生のドン底にいたことがあります。そこで多くのことに失敗し、多くのものを学ばされました。私はある人の誘いで自治医大を55歳で退職し、介護施設を運営することになりました。そこで3回もの横領に遭い、借金だけが残ってその施設を追い出されるように出て行き、隣町の石橋に移ってから漢方を本格的に始めました。

 私は女性に対しても失敗を繰り返し、今の家内は3人目です。この家内は私の今までの数知れない失敗をすべて許し、何事にも困難に立ち向かい、決して逃げない素晴らしい女性です。私は借金取りが怖くて、ある人に残りの貯金をすべて預かってもらうことにしました。
 私は家内には借金があることを結婚前には話をしましたが家内はせいぜい200万か300万円ぐらいと思っていたようです。

 今の家内と一緒になる時、預けていたお金を返してくれるよう求めたところ、1円残らずすべて使われてしまっていることがわかりました。私はガックリと首をうなだれてショックを隠せませんでしたが、家内の動きは驚くほど速かったです。

 その人が住んでいる庭と家を代物弁済として譲り受けるよう求め、今の700坪もある広大な土地と家を手に入れ、田畑を売り、少しでも回収するよう奔走しました。また犬達が気持ちよく遊べるよう、庭に約3800枚もの芝生を一人で植えたり、さらにバラや芝桜、ツツジ、花みずき、花モモ、アジサイ、ボタン、ユリ、シャクヤク、カサブランカ、グラジオラス、コキア、つるバラ、チューリップ、山ボウシなどの花木、ミカン、柿、キンカン、ブルーベリー、プラム、いちじく、ソルダム、サクランボなどの果物の木を植えるなど、獅子奮迅の働きをしました。

 これは私との生活を大切にし、私の残り少ない人生をより豊かに生きていくためにはならないことでした。その家と庭を手に入れたあとは、2人で草を刈ったり、ゴミを捨てたり、少しずつ綺麗にしています。

 このように、家内は私との生活を少しでも豊かにするためには、その努力を惜しまず、行動的であり、また犬が大好きで、犬達と人間との全体の調和を図っています。
 また、家内は口癖のように、たとえ障害をもっていても自分でやれることは自分でしてください、それが長くお付き合いできる秘訣です。お互いの存在を大切にして、お互いを必要とする夫婦でありたいと。

 また家内とケンカをした時「自分は全然悪くはない」というような言い方をします。ケンカはどう見てもケンカ両成敗というぐらいですから、お互いに50/50 悪いと思いますが、家内はそうは思わないようです。
 スタッフの看護師に聞いても夫婦ゲンカをした時、自分は悪くはないと思うとのことです。それは、女性は普段よく辛抱していて、あることをきっかけに今まで辛抱していたことが思い出され、感情が一気に吹き出すようです。

 女性は子供を守るためにも、また自分を守るためにも、周囲とうまくいくように、いつも共感と調和を大切にし、じっと辛抱しているようです。それがあることをきっかけに感情に伴う記憶が一気に吹き出すために、自分は悪くはないと思うようです。

 以前、阪神大震災があった時、私の友人がアルツハイマー病患者さんを対象にして調査したことがあります。その結果、地震があったことはすっかり忘れていたのに「怖かった」「身がすくむ思いだった」など、ネガティブの感情記憶だけはしっかり残っていたそうです。
 記憶は通常、大脳深部の海馬というところが中心となりますが、その近くの扁桃体というところが感情記憶と関係が深いといわれており、その扁桃体がアルツハイマー病では残されていたそうです。

 このように記憶の中でも一度受けたネガティブ記憶だけは根強く残るようです。だから、夫婦ゲンカをした時は女性は自分は悪くはないと思っているようなので、夫から「すみませんでした」と謝った方が早く解決すると思います。
 妻は家庭では太陽のような存在であり、明るく楽しくしていただいた方が男性も仕事をしやすく、より充実した人生を送れるのではないでしょうか?

 最後に、左半球も西洋医学も男性も今まで支配的で優位な存在でしたが、人生をより豊かに生きるためには右半球、東洋医学、女性を大切にして、相互に認め合い、手を携えた方が人生をより豊かに送れるのではないでしょうか?