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(2023年8月25日)

     「前期高齢者に突入して」

1 はじめに

 この夏、猛暑が続く中、私は65歳の節目を迎えた。制度上の前期高齢者に入ったということであり、また、初孫も誕生したことで、世間的にも「じいじ」となった。健康保険証や年金の手続きなども済ませた。これまでよりも初老の自覚と、セルフケアへの意識の高まりを感じるこの頃である。
 そんな日々を、キーワードをいくつか連ねて、たわいない心情を吐露してみたい。


2 5キロマラソンにエントリー

 退職後、健康維持のためジョギングを始めた。多少の中断はあるものの今日まで続けている。せっかくなのでトレーニング成果を形に残そうと思い立ち、この4月に2つの大会にエントリーしてみた。
 まずは、『日立さくらロードレース』5キロの部。桜並木を配するロードを大勢の参加者とともに走り、中には恐竜の着ぐるみで走る外国人ランナーがいたり、沿道の声援を受けてパワーをもらったりと想像以上に楽しく完走することができた。

 続いて老舗の『かすみがうらマラソン兼国際ブラインドマラソン』に5キロ男子B2部門に出場した。思いがけず銀メダルをいただいた。というのも、視覚障害マラソンには全盲で伴走付きで走るB1、弱視で伴走付きで走るB2、そして、弱視で伴走無しのB3という区分がある。そんな中、私がエントリーした5キロ男子B2は、私と他県からのもう一人だけ。規定時間内に完走した私は部門2位となったわけで得した気分。
 これからも体調と相談しながらモチベーション維持と気分転換のために、たまには大会に出ようと思う次第だ。


3 歌うこと

 2018年に東京ドームコンサートを行ったポールマッカートニーは当時76歳。それを見に行った同僚のOTが言う。あの歳になっても水を一口も口にしないで1時間歌い続けていた。すごいと感心して語った。 ポールよりも5歳年上の加山雄三は、エレキギターを抱えて歌ったり、ピアノを弾きながら歌ったりと2時間のコンサートをこなす元気ぶりを報じていたので感心した。

 振り返って我が身は、2020年後半に退職してから声帯の筋トレと称して、一人カラオケに時々行っている。90分歌い続ける訳だが、1曲終えるたびにどっこいしょと腰掛け、ハイボールを口にして次の選曲に入る。数曲終えるたびに喉の保護と称してチーズなどを頬張る。終了時にはすっかり喉が枯れて店を後にする状態だ。

 すっかりご無沙汰の昭和の歌手が久方ぶりにテレビに引っ張り出されて歌うとき、気の毒なほど歌唱力が落ちている歌声もあれば、しっかりとした歌声が維持されている歌手もいる。私も友人や酒場のお姉さんたちの前でスルーされない程度に歌声をキープしたいものだと思う。


4 毛髪について

 大阪豊中市の盲人ウエカジさん(独身YouTuber)は、濃いヒゲをなんとかしようと脱毛クリニックを利用して効果をあげているようだ。トラブル頻発の脱毛業界の中、何よりである。私のヒゲは人並みかと思っている。頭髪はこの年でも多めのようである。
 それよりも、私はまつ毛が伸びて困る。これは緑内障用の点眼薬を使っているためだ。たまに床屋でまつ毛を切ってもらう。

 逆に、薬で脱毛状態になったこともある。下腿表面がアトピー様に爛れと痒みに悩まされ皮膚科を受診。ステロイド入りのクリームを塗布した。多汗の時期と乾燥肌の時期に繰り返し塗った。いつの間にか、すね毛はなくなり下腿はツルツルになった。
 中年過ぎになって体の一部が中性的になったような錯覚に陥った。前期高齢者となった今は、すね毛の方は少し生え戻ってきている。もっと若い時に中性的になっていたら、少しはもてただろうか?


5 歯について

 食べることにも、歌うことにも大きく関わる歯。郷ひろみは、1回の歯磨きに10分以上、1日5回は磨くという。こんなことは到底私には真似できないものの、歳を重ねるごとに歯磨き時間は長くなっている。
 歯の喪失も5本ほどになり、残った歯の半数以上は被せ物だし、歯間も広がってきた。歯磨きが雑になると、程なく歯茎が腫れたりする。だから丁寧に磨かざるを得ない状況なのだ。

 これからも大病という魔の手からなんとか逃れたならば、歯の健康は大きな関心事だろう。厚労省の記事によれば、60歳での歯の残存は「17.8歯と20歯を下回り、80歳以上の1人平均現在歯数は4.6歯」ということで老いるショックを感じさせられる。

 赤ちゃんは、歯が生える前後から離乳食を始める。「お食い初め」の慣習も興味深い。そして、いずれ我が孫と私の歯は同数となり、大きく逆転してゆくことだろう。「じいじ」の私は、そんな孫を長きに見守ってゆけたら幸せである。


(2023年2月3日)

       「クスノキ」

1 我が家の裏の空き地にクスノキ

 住宅街の一角にある我が家。その北に隣接する土地はまだ空き地になっていた。ある日、そこにバームクーヘンのような切り株が置かれた。というか地主がどこかから廃材を持ってきて放置された状態だ。2人ぐらいは座れる大きさの切り株はクスノキのそれだった。

 雨ざらしの切り株は、やがて小枝が空に向かって伸びてきた。根も張っていることだろう。月日が経ち、枝葉はみるみると成長を続けた。やがて、我が家の塀を越えて2階の窓に届く勢いとなり、根元にはシロアリとおぼしき生き物も確認された。そんな悪影響をはらみつつ成長するクスノキ。私にとっては負の存在である。
 ここで、一般的な印象としてのクスノキはどうだろうとめぐらしてみる。


2 精神科の大家、中井久夫先生は

 1990年代の半ば。中井先生は神戸大学の精神科病棟の立て直しに着手していた。風景構成法を編み出した先生は、窓から見える景色や中庭なども必須の環境として当然重視された。敷地に隣接する広場に大きなクスノキが聳え立っていて、たいそう気に入っているといった記述内容を曖昧ながら想起した。

 ここでちょっとクスノキから脱線した中井先生の話を挟む。村上春樹の小説「1Q84」を読んで間もなく、中井先生の「家族の深淵 往診で垣間見たもの」を読んだ。読んでいる最中、独特の精神科往診の描写が、先の1Q84の世界に舞い戻ったような気分になり思わずハッとさせられた。
 話をクスノキに戻し、今度はアニメの世界に転じることにする。


3 ジブリ映画「となりのトトロ」

 トトロの森には、山の神が宿る大きな大木が聳え立っている。この大木もクスノキだ。山の主のクスノキは、森の自然の営みを見守り、根元にはトトロが寝床にして出入りする空間もある。とてもファンタジーな世界だ。クスノキはそんな山神様になりうる偉大な存在として描かれていた。
 続いてJ-POPに転じてみる。


4 福山雅治の「クスノキ」

 長崎県出身の福山は、被爆樹としてのクスノキを歌にのせる。原爆で焼け野原になった荒地で1本のクスノキが残った。再びクスノキは枝葉を伸ばし蘇った。そんな逆境にも朽ち果てることなく魂を継承してゆくという歌声。思わず私のクスノキへの恨みも忘れさせる名曲だ。
(参考 URL;https://youtu.be/ZaAGn9bpMnQ)


5 その後、裏の空き地はどうなったか

 高齢となった地主は、子に土地を譲り、子は不動産会社に売却した。不動産会社は更地にして分譲住宅を建てた。無論、クスノキも完全撤去し整地され、新たな住人の地となった。これで悩ましかった裏のクスノキはなくなり、気がかりは解消された。
 以後は、私のクスノキを尊ぶ気持ちも復権していくことだろう。


(2021年7月21日)

     「離職から十月(とつき)」

 ちょうど、職を離れて十月ほどが経ちます。職を辞したことによる喪失感はさほどなく、成し遂げたという達成感も特にはありません。日々悶々と暮らすわけでもなく、淡々と過ごせているわたくしです。今となっては職場の愛しきあの顔も、憎きあの顔もぼんやりとちょっと気になる程度です。

 それまで理学療法士 PT(Physical Therapist)の仕事をしてきました。最近は、生活の中での学びも考えることも physicalからpsychologicalなことに興味が移ってきています。しかし、ご当地水戸藩が掲げる「文武両道の精神」は忘れません。

 今回はphysicalな「武」の面で『つぶやき』デビューをさせていただきます。職を辞して、まず体がなまるのが心配でした。ロコモもフレイルもいやだ。「走ろう」と決めました。そこは腐ってもPT。いきなりでは運動器系を痛めるので筋トレ体操を自分なりに考案し準備しました。患者さんに指導していたような、重りをつけての筋トレ等しんどい事は自分にはさせません。

 内容は、下肢の運動で少し疲れたら体幹運動へチェンジ。そして上肢の運動へと疲れていないところへ移動させます。各パーツ内でも屈筋をやったら伸筋を。外転やったら内転を。アイソトニックな運動(動的な筋トレ)やったらアイソメトリックな運動(静的な筋トレ)。open kinetic chain(主に座位や臥位での運動)をやったらclosed kinetic chain(主に立位での足腰の運動)に移る。
 と、業界用語で書いちゃいましたが、これらを休みながらテンポの良い音楽に合わせて、またはスローな音楽に合わせて行いました。ちょっとだけ汗をかく程度にです。そんな運動でも効果は実感され体は軽く感じました。家の階段を駆け上がるような軽さでした。

 そしてジョギング開始。準備の甲斐あって関節痛はありませんでした。が、心肺機能はヒーヒーと、結局初心者の走りでした。徐々に走ることを重ねると心肺機能も慣れてきて、苦しさが減り距離も徐々に伸びてきました。すると、筋肉痛や関節痛は走るたびにあちこちに出てくるようになりました。このころには、自作の筋トレ体操もかなりさぼり気味でもありました。痛みとの戦いを制したのは根性ではありません。ランナーのためのトレーナー専門誌を電子書籍で買い、症状に該当する部分を熟読してストレッチなど対策を施しました。徐々に痛みを回避した走りができてきました。

 最近でも近所の農道を週に2回ほど走っていましたが、いよいよ猛暑の季節。しばらくは涼しい日を狙ってたまに走る程度となります(早朝ランニングを行うガッツはありません)。その間は、再び自作筋トレ体操を汗かかない程度にやろうかなと思っています。

 十月(とつき)といえば生命誕生までの期間。我が家ではナスとミニトマトを誕生させています。鼻くそぐらいの株投資は、今は、生成よりも損失。こちらも暑さ同様、もう少し耐える?!
つづく。