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                   生駒 芳久(いこま よしひさ)

 今年60歳の還暦を迎えました。先日、高校の同窓会に参加すると勤めをしていた人の多くは定年を迎えたという話でした。私は県立の「こころの医療センター」で医師をしているお蔭で、あと5年は働けます。喜んでいいのかどうかわかりませんが、医師になったのが36歳でしたのでまだまだ働くつもりです。

 振り返りますと、子供の頃からラジオや無線機づくりが好きで、それが決められた道であるかのように工学部電気科に入学しました。その頃に、進行性の眼の病気だということを知りました。といっても、自転車にも乗れるし黒板の字も読みにくいけれども見えないわけではありませんでした。
 しかし、ショックは大きく今から思えばうつ状態になったと思います。半年間ほど、昼夜逆転の引きこもりの生活を送りました。おかげで1年留年しました。

 卒業後は、電気会社に勤めたのですが、視覚障害のために現場ではいろいろな失敗がありました。その後、市役所職員にもなりましたが、進行性の病気であることを考えるとどうしても展望がもてず行き詰まりました。勤めを辞め、夜は学習塾をしながら、28歳で盲学校の専攻科ではり灸を学び始めました。それが医学への興味をもつきっかけとなりました。このとき障害者手帳は4級でした。

 30歳の時に県立医科大学に入学し、36歳(昭和61年)卒業、2年間精神科で研修しました。
 その後、「こころの医療センター」で20年が経ちました。この間に、障害者手帳は2級になり、そして現在1級になりました。
 診察にはサポーターがつき、書類作成は口述筆記ですが、病気の性質上、進行は実にゆっくりとしていたので、いよいよここまできたかという感じです。

 私は盲学校の専攻科というところで28から30歳の2年間を過ごしましたが、これが私の人生を変えてくれたと思っています。視覚障害者の心構えとでもいうものと、また視覚障害があっても何でもできるのだということを教えてもらいました。

 「人生到る処に青山あり」と感じます。