【交流会 in 高野山 & 華岡青洲の里】     【機関誌第2号】     Top


     〜 現地和歌山からの報告 〜

                 生 駒 芳 久(いこま よしひさ)  湯 川 仁 康(ゆかわ きみやす)

 平成23年10月9日(日)、10日(月、休日)の2日間、和歌山で「ゆいまーる交流会」が開催されました。正会員、協力会員、家族など合わせて32名とボランティア7名が参加されました。この和歌山交流会の経過を報告いたします。

 和歌山で開催するとなると、高野山をメインにして、華岡青洲の里は欠かすことができないだろうし、できれば「猫のたま駅長がいる貴志川線」にも乗ってもらいたいなあ、などとあれこれ考えました。結局、高野山と青洲の里が残りました。

 知人の津山さんが高野山で英語のボランティアガイドをしていると聞いていたので相談すると、しばらくして「永坂、北上、津山の3人が協力します」というメールが届きました。そこで、現地世話役 生駒、事務局 湯川、現地協力者 永坂、津山、北上、本部事務局3名という体制ができました。現地協力者の3名からは、様々な提案のメールが届くようになりました。

 参加申込みを募ると、締切の8月末を待たずに32名の申込みがありました。参加者を地域別にみると、関西11名、関東14名、四国4名、九州2名、北海道1名の合計32名となりました。湯川現地事務局は、早速「交流会参加者メーリングリスト」を立ち上げました。

 高知の藤原さんからは「町石道(ちょういしみち)」を登ってみたいとの希望が寄せられました。それを聞いた現地協力者3名は、町石道サポート体制を組んでくれました。障害者登山のサポートグループ「かざぐるま」の大原さんも加わってくれました。そんなメールのやりとりが会員に伝わると、熊本の下川夫妻からも町石道を歩きたいとの声が聞こえてきました。

 しかし、9月に入って台風12号が近畿地方を襲いました。この台風は和歌山の紀南地方で大規模な土砂崩れや洪水をもたらし50名を超す被害者を出しました。予定ルートの大阪と高野山を結ぶ南海電鉄高野線の紀ノ川鉄橋が被害を受けて、一時期不通となりました。幸い交流会に合わせるようにその数日前に鉄橋が開通しました。
 そして、下川夫妻は10月8日に、藤原さんは10月9日にそれぞれ無事、町石道挑戦に成功し、10月9日(日)に、高野山の宿坊「常喜院(じょうきいん)」に集合しました。

 以下に、交流会当日の様子を再現します。

【10月9日】

 11:00 なんば駅集合。
     3階北改札口に、守田代表が特急指定券とお弁当の柿の葉寿司や巻き寿司を準備して
     待機してくれました。
 11:12 「こうや7号」出発。
 12:49 高野山駅に22名がケーブルカーで到着。
     生駒夫婦が合流し、路線バスにて常喜院に到着、湯川夫婦が出迎えました。
 15:00 全員が揃ったところで、金剛峯寺や大伽藍周辺を散策。
     永坂さん、津山さんが案内役をしてくれました。
 18:00 大広間で挨拶や乾杯の後、精進料理をいただきながら自己紹介や近況報告を行いました。
     たくさんの人から守田代表のチャレンジ賞受賞へのお祝いが述べられました。
 19:30 ミニ講演会「高野山こぼれ話」(永坂氏)。
     改めて高野山の歴史的意義を知ることができました。
 20:00 懇親会に移り、2次会は部屋を移して最終24時近くまで交流は続きました。

【10月10日】

  6:00 朝のお勤めに参加し、御住職から法話をいただきました。
  8:00 貸切バスで宿坊を出発。
     「中の橋」まで移動し、記念撮影、奥の院散策後、華岡青洲の里へ向かいました。
 11:30 華岡青洲の里到着。
     昼食後、ミニ講演会(平井氏)で世界で初めて全身麻酔による乳がん手術を成功させた
     華岡青洲にまつわるお話を伺いました。
     春林軒(しゅんりんけん)見学。
 13:30 出発。
 14:45 関西空港到着、解散。各自飛行機、バス、電車で帰路についたのでした。


 守田代表はこの後、ラジオ大阪の「話の目薬」という視覚障害者の活動を紹介する番組の録音に向かい、その中で交流会の紹介をしてくれました。
 後日、放送された番組は、湯川事務局員と協力会員・鈴木さんのお蔭で、インターネットの「ラジコ」の録音を聴くことができました。

 皆さま、ありがとうございました。