【町石道(ちょういしみち)を歩く】     【機関誌第2号】     Top


                    下 川 保 夫(しもかわ やすお)

 今回の高野山交流会に参加し、そこへ至る町石道を歩くことができたのは、私にとって久しぶりの「やったぁー」体験でした。10月8日、宿泊地の粉河は雨上がりの気持ちよい朝でした。朝8時に現地協力者の北上さんが車で迎えに来られ、途中で津山さんも同乗され、高野山への散策が始まりました。

 まず、高野山へ登る町石道の始点である九度山の慈尊院へ行き、丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社へもお参り、高野山の全体像を思い描き、その日の安全を祈願して次へ移動しました。世界遺産に登録された天野の里一帯の町石道(六本杉から古峠、二つ鳥居)を散策し、丹生都比売(にうつひめ)神社で昼食をとりました。この周囲は隠れ里といった風情のある地域で、柿や栗畑、雑木林が多く見られました。

 ここを散策する前に山道の歩き方を教えていただきました。それは同行者のリュックに通されたロープの先端を私の片手で握り、もう片方の手で杖(スキーストック型)を使用するという方法でした。若い頃は、九州の山々を中心に登ったりして、自然とのふれあいを楽しみにしていました。見えなくなっていた10年前の登山(阿蘇外輪山の標高1000メートル程度の鞍岳、俵山、冠岳)が最後でした。この時は、妻の肩と杖を頼りに登ったものでした。このスタイルでは狭い道や大きな段差のある道では危険で、彼女への負担も大きく、もう山登りはできないと諦めていました。

 今回は津山さんの後から、適切な指示とロープ・杖を頼りに歩けばよいものですから、かなり楽でした。しかもこの町石道はなだらかで歩きやすく、心地よい風が吹く中、小鳥たちのさえずりを聞くこともでき、幸せを感じた時間でした。

 峠の休憩所で一服し、出発地の慈尊院の茶店で買った柿を食べようとしたのですが、妻が当地に忘れてきたのに気づき、少々がっかりしていたところに、後から来られた人がお店で預かっている旨を伝えてくださり、ありがたいことでした。忘れた柿は後日、津山さんが宿坊まで運んでくださり恐縮しました。

 さて丹生都比売神社で昼食をとった後、車で矢立まで移動し、そこから大門に至る約4キロの町石道を道案内にもなっている五輪塔に触れながら登りました。この道は起伏もあり、木の根っこ、大小の石ころ、左右の崖、道を横断する排水路などがあり、山登りといった雰囲気を充分味わうことができました。また、自然を身体全体で感じながら、こんな方法、同行支援があれば、まだ若い頃登れなかった多くの山々に挑戦できるのではないかという、嬉しさと希望で胸が熱くなるのを覚えたことでした。

 大門で一呼吸した後、一日中同行していただいたお二人と宿坊で別れました。その夜は、古来多くの人々が救いを求めてきたであろうこの道を歩けたことに満足感を抱き、多くの方々のご協力に感謝して過ごしました。


 熊本に帰った後、買い物に行った登山用品店で、店主が全盲の女性登山家がキリマンジャロにほぼ同じ方法で登ったことを話してくれました。今回の小さな「やったぁー」体験を活かし、次の山登りに挑戦しようと思っているこのごろです。妻はただあきれている様子です。

 南無大師遍照金剛。