【東洋医学との出会い】     【機関誌第2号】     Top


                      宮 下 治(みやした おさむ)

 兵庫県西宮市で東洋医学を主体とした物療内科を診療しています。
 1995年、滋賀医科大学を卒業し、同学附属病院皮膚科に入局しました。学会論文・臨床研修に追いまくられているうちにだんだんと視力が落ちてきたので検査したら脳腫瘍でした。

 術後、慢性硬膜下血腫・ドレナージ迷入もあり5回も開頭し、半年後の退院時には視神経萎縮により視力はほとんど失われていました。同時に高次脳機能障害も残りました。当時はリハビリ施設や相談機関もなく藁をも掴む思いで鍼灸治療を選んだのが東洋医学との初めての出会いでした。

 初めて鍼通電療法を受けた時、死んでいた脳に血がどっと流れ込んで生き返ったような気がして、この時、「東洋医学って素晴らしい」と実感しました。鍼灸治療を受けながら、漢方薬・高単位ビタミン・機能性食品などで、まず体力の回復を目指しました。途中、脳機能の低下に気付き、リコーダーの練習や卓球の壁打ちをして、脳に刺激を与える訓練をしましたが記憶力の低下は深刻で、街中を一人で歩けるようになりたいと、京都ライトハウスの鳥居寮で生活訓練を受けた時にも地図的観念が定着せず難渋しました。

 脳機能の回復の手段として、関心のあった東洋医学を学びたいと京都府立盲学校に入学しました。未知の領域の知識がどれだけ身に付くかが私の脳トレの始まりでした。使用文字は点字でしたが、中途失明で点字の使用も1年足らずだったため読むのも遅く、読み終わりには読み始めの内容を忘れてしまい、余分な時間を消費しました。見かねた母親が教科書の内容を読んでテープ図書や暗記カードを作ってくれました。

 しかし、点字の触読により養われたこの指先の感覚は、後に身体所見の把握に多大な役割を占めることになるのです。集中力も続かず、記憶も定着せず、面白くもなく、一時は「もう、学校辞めようか」と考えたこともありました。受験半年前になってようやく脳にスイッチが入り始め、追い込みがかけられるようになり、2002年3月、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師免許を取得、同校研究部に進学、翌年卒業。同じ京都市内の「紫野福祉センター三療指導所」で、2年間鍼灸マッサージの臨床研修を行ないました。

 ここでの研修が現在の診察手段のもう一つの主要ツールとなるのです。同時に、兵庫県立尼崎病院東洋医学科での漢方外来臨床の研修も開始しました。マッサージ研修終了後、鍼灸の主治医から「うちに来ないか」と誘われ、お世話になることにしました。が、そこは介護施設も併設されていて外来患者数も多く、まるで戦場のような雰囲気で、眼の見えぬ私にとっては空気が読めず、研修どころではなく足手まといではないかと思われる状況でした。
 そして半年も経たぬうちに身体を壊し、リタイアを余儀なくされました。晴眼者の世界では到底やってゆけないと痛感、自分のペースでゆったりとした雰囲気の中で診療を進めていこうと思えば、やはり自宅開院だということになりました。

 鍼灸院開院申請時、保健所長の先生から、「医師免許を持っているのなら、医院にすれば広い範囲で診療ができる」とのアドバイスをいただき、事態は急展開しました。とはいうものの、人間の全知覚の大半を占める視覚に障害をもち、ブランクの12年間の目まぐるしい医学の進歩についてゆけるのか、臨床実務経験もほとんどない私がやってゆけるのだろうかという大きな不安がありましたが、それよりも自分が障害者となってから得た診断と治療の方法論の実践をやってみたいという想いが強く私の背中を押したのでした。

 2007年2月、自宅にて東洋医学を主体とした物療内科を開院しました。視覚障害をもつ医師は検査もできない、注射もできない、医療の極々わずかな領域にしか携われないことを認識させられるのは覚悟していましたが、私が体験した病後の苦しい時に救ってくれた東洋医学の威力と素晴らしさを何とかして伝えたいという想いは消えませんでした。

 ほとんどの病気はストレスが原因。自律神経のバランスを整え、自然治癒力と免疫力を高めて疾病を治癒させることを目指しました。併せて食養生、運動療法の指導、日常の歩き方や動作の工夫等、予防医学の面にまで力を入れました。
 開院当時は、広告の制限もあり、なかなか治療方針が解ってもらえませんでしたが、「マッサージが保険で受けられる」と口コミで広がり、徐々に患者さんは増えてきました。

 2012年2月で、当院も開設して5年を迎えます。その間、漢方薬の思わぬ著効・不思議な効果を実感しました。身体を治療すれば心の負担も軽くなり、マッサージの効果の素晴らしさも実感しています。再び医師として医療に携われるとは思ってもいませんでしたが、何の考えもなく、ただ興味だけで始めた漢方の勉強がこんな形でつながろうとは思ってもみませんでした。患者さんの喜びが私のやる気の原動力であり、私の最大のリハビリとなっています。

 今後も検査で異常がなく、多くの不定愁訴で悩んでいる人、さらにそれが原因で身体に症状が出ているにもかかわらず、気付かずにドクターショッピングを繰り返している人、整形外科で、レントゲン撮影と湿布薬だけで、痛みがあるにもかかわらず何もしてもらえずに困っている人たちのQOLの向上に貢献し、身体と心に癒しを届けられる存在でありたいと思っています。

 2年前に「ゆいまーる」の会の存在を知り、障害をものともせず明るく前向きに活躍しておられる先生方に感動し、大いに勇気づけられ「第二の視野」が開け、自分もがんばらねばと兜の緒を締めるような心境になりました。今後は情報アイテムの整備とその使いこなしに精進したいと思います。