【ゆいまーる10周年にあたって】     【機関誌第5号】     Top


                     代 表   守 田 稔(もりた みのる)(大 阪)


 はじめに

 2008年6月8日、品川駅から山手線外回りで1駅目。大崎駅近くの東京都南部労政会館で、第1回通常総会とゆいまーる発足記念講演会が行われました。今年はそれからちょうど10年になります。この10年間、「結い」を意味する「ゆいまーる」の言葉の通り、多くの人の結びつきができました。

 「ゆいまーる」ができるまでの流れはいくつもあり、その結果が今に繋がっています。ゆいまーる発足10周年を記念してそんな流れの一つから、私から見た「ゆいまーる」が発足する前の話を、当時を思い出しながら書いてみようと思います。


 ゆいまーる発足前夜

 2001年の法改正によって、多くの制度で欠格条項が撤廃、あるいは絶対的なものから相対的なものへの緩和がなされました。そのお陰で私は全盲ながら2003年3月の第97回医師国家試験を受験することができ、合格しました。
 受験前の2002年夏まで私は自分が全盲でありながら、視覚障害をもった方とお会いしたり、話したりしたことがありませんでした。もちろん視覚障害をもつ医師との繋がりは皆無でした。そんな折、国家試験の受験方法についてお話を聞かせていただいた全盲の弁護士さんが、私のことを戸田陽(とだきよし)先生(東京都)にご紹介してくださり、戸田先生が私の初めての視覚障害をもつ医師との繋がりになりました。

 戸田先生から、下川保夫先生(熊本県)をご紹介いただき、お二人の先生からは電話で何度も励ましのお言葉をいただきました。また試験後には、田中康文先生(栃木県)とも知り合うことができました。
 研修医生活が始まりましたが、周囲の助けがありながらも全盲での知識や経験の修得は困難なことを改めて実感し、また医学情報をどのようにして読むかという課題が常にありました。もしも身近に同じような状況で少し前を歩いている人がいたならば、どのような工夫をしているかなど、いろいろ尋ねたいなと思いながら、繋がりという点では大きな変化はなく月日が過ぎていきました。

 そんな状況に変化を与えてくれたのが、2006年のNHKラジオ「視覚障害者のみなさんへ」の出演依頼でした。私は大阪から両親と渋谷にあるNHK放送センターに行きました。そこで、同じく全盲で医師国家試験に合格された大里晃弘先生(茨城県)と初めてお会いすることができました。

 当日は戸田先生も駆けつけてくださり、また大里先生のサポーターとしてSさんがご一緒されていました。収録後、みんなでいろんな話をし、再会を約束して別れました。そのとき収録した声は、同年5月7日に『守田稔(医師)と大里晃弘(医師)の対談』のタイトルで放送されました。

 再会が実現したのは2007年3月18日、場所は東京都障害者福祉会館でした。前年のメンバーに加えて、田中先生、和泉厚治先生(理学療法士・神奈川県)、佐藤正純先生(東京都)が加わりました。また、大里先生のサポーターとしてSさんの他に、Yさんが参加されました。このSさん、Yさんのお二人が後々、ゆいまーる事務局として力強く会の運営を支えてくださることになりました。

 視覚障害をもつ医療関係者が初めてこれだけの人数で一度に会えたことに喜びを感じ、情報交換をして互いに元気をもらい合うことができました。そして、今後も定期的に顏を合わせましょうと約束し、解散となりました。後にこの時の集まりが、第1回設立準備会と呼ばれるようになりました。

 また、普段でも連絡や情報交換ができるようにと、2008年1月30日、大里先生が中心となり初代メーリングリストが開始されました。お陰でますますお互いの連絡が取りやすくなりました。
 そして、戸田先生の準備の下で2回目の集まりは、同年3月23日、場所は小田急線豪徳寺駅最寄りの世田谷区視力障害者福祉協会でした。この集まりが、第2回設立準備会となりました。

 2回目の集まりの前、大里先生が中心となり、自分たちだけの集会ではなく、全国にきっと他にもいるであろう視覚障害をもつ医療関係者のネットワーク作りを目指し、そのための会を作ろうという話になっていました。そして、会の通称を各自考えてくる宿題がありました。

 印象に残っている名前としては、佐藤先生が考えた「クレッシェンド」で、‘次第に強く’の意味の音楽用語でした。また大里先生はいくつもの名前の候補を考えてくださり、それぞれの意味を説明してくださいました。
 みんなで「これもいいね、あれもいいね」と優柔不断に迷っているところを、田中先生が「ゆいまーる」がいいんじゃないかと押し、みんなも賛同して決まったように覚えています。なので私の記憶の中では、大里先生が「ゆいまーる」の名前を考えた人で、田中先生が決定した人となっています。

 次に会を運営するための役割分担の話し合いがありました。私は一番年齢が若く、社会人としての経験も少なかったのですが、2001年の法律改正後の最初の合格者ということで広告効果が期待できること、当時の仕事量はそれほど多くなく、一番時間にゆとりがあったことを理由に代表になることを勧められ、引き受けさせていただくことになりました。

 準備会時点での役割分担は、佐藤先生と田中先生が副代表、大里先生が事務局長、戸田先生が参与となり、そしてSさん、Yさんが事務局を引き受けてくださることになりました。会の終わりに、「年に1回、総会という形でみんなで会いましょう」と言葉を交わし、その日の集まりはお開きとなりました。

 そして、2008年6月8日を迎えました。


   ー ちょっと寄り道 『豪徳寺』 ー

 2008年3月23日、夜行バスで母親と早朝の新宿に到着し、小田急電鉄で豪徳寺駅に向かいました。その日は清々しい朝で、会の始まりまでだいぶ時間があったので、地名や駅名の由来となっている豪徳寺を見に行きました。
 そのお寺が彦根藩・井伊氏の菩提寺であることや、お寺の招き猫伝説の猫が‘ひこにゃん’のモデルだったことを知り、なんだか朝から得した気持ちになりました。(守田)


   ■ 視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)発足記念講演会 ■

        日 時:2008年6月8日(日)

        会 場:東京都南部労政会館


 代表挨拶

 この「ゆいまーる」の会は、見えない、見えにくいというハンディーを持ちながらいろいろな医療関係職に従事する者が集まり、互いに情報交換を行なったり、親睦を深めていこうという趣旨のもとに開始する運びとなりました。

 見えなくなる、見えにくくなるということは、目の前のものが物理的に見えなくなり、それがつらいのだと想像していました。しかし実際には、これから自分が進もうとしている人生の道が見えなくなるということが、より 深い悲しみになるということを実感しました。中途視覚障害をお持ちの方は、多かれ少なかれ同じような気持ちを持たれたことがあるのではないかと思います。

 みなさんご存知のように2001年の法改正によって、多くの制度で欠格条項が撤廃、あるいは絶対的なものから相対的なものへの緩和がなされました。そのお陰で、私は今、医師として働くことができています。

 私のように視覚障害を負ってから医療の職に従事する者もあれば、仕事を何年もされてから視覚障害を持たれる方も多くおられます。この「ゆいまーる」の会では、そのどちらの方にも気軽に参加していただき、交流を深めていただければと希望しています。
 私たちの力は微力であり、また何かをしていくには時間もかかるかと思います。そのため多くの方々のお知恵やお力添えをいただければ、幸甚に存じます。
 同じ悩みを持ちながら医療という人生の道を選んだ人や、またこれから選ぶ人たちにとって、この「ゆいまーる」の会が足元を照らす光の一つになればと、私たち一同、心から願っています。