【定年後もまだまだ働くぞ!】  【機関誌第5号】     Top


                        生 駒 芳 久(いこま よしひさ)(和 歌 山)


 1.年を取っても働く

 医師が高齢になっても臨床を続けることは珍しいことではない。これからは、視覚障害をもつ医師もそうなっていくだろう。2001年の医師法改正で視覚障害が絶対的欠格事由ではなくなった。今では全盲者をはじめ重度の視覚障害をもつ医師たちが臨床の現場で働いている。中には高齢者も出てきた。これまでの職場で働き続ける者、定年退職後に新たな再就職先を見つける者など事情はそれぞれ異なる。

 わたし自身は、65歳でこれまでの職場 (県立精神科病院)を定年退職し、今の職場(民間精神科病院)に再就職して3年が経った。視覚障害者が、新しい環境に順応するにはそれなりの時間がかかる。それが職場環境の変化の場合は、さらに様々な課題が生じてくる。
 今回、わたし自身が定年後の再就職の際に経験した環境の変化や、それに対応するための方策などについて報告する。


 2.働き口を見つける

 定年を2年後に控えたある時、今の病院の方々と会食する機会があった。いろいろ話をするうちに、この病院で働きたいと思った。全盲のわたしにとっては、働きやすい職場というものがある。
 しかし当時、わたしは前の職場に満足していたし、定年まで働きたいと思っていた。また、どの病院でも医師不足であり、県立病院といえども同じ状況であった。その一方で、定年退職後も、まだまだ働きたいと思っていた。それで、定年を迎えた後、その病院で働ければいいのにと思った。


 3.新しい職場で働く時に

 全盲者が精神科臨床を続けるためには、日常業務をこなすための必要な条件がいくつかある。
 一つは「読み書き」を現場に負担をかけることなく行うことだ。そのためには、医療秘書は欠かせない。医療秘書なしでもたもたするよりも、確実でスピードアップできるからだ。

 わたしは、障害者雇用促進法の職場介助者助成金制度を利用したいと考えた。そこで高齢・障害・求職者雇用支援機構などに問い合わせ、制度利用を試みたが、この制度は事務職を主な対象としているという点から利用することはできなかった。
 しかし病院側は、わたしが働くためには医療秘書が必要であると独自に判断してくれていた。働き始める4月までに、医療秘書を雇用し、すでに2カ月かけて研修を始めてくれていた。そのことを聞いて本当に感謝した。

 もう一つ重要なことは、新しい職場のスタッフが全盲医師の仕事ぶりを違和感や不安なく受け入れてくれるかどうかということである。そのためにはこちらが職場の雰囲気に早く溶け込むことが必要である。わたしは、いくつか心に決めた。一つは、前の職場と比べたりしないことである。これから働く病院の風土に自分から馴染んでいかねばならない。もう一つは、自分のできることは何でもやろうということであった。


 4.治療の継続

 前の病院に通院してくれていた患者さんの中には、地理的に近くなるということで一緒に新しい病院に移りたいと言ってくれる方々がいた。これなら治療も継続できる。新たに始める外来での仕事がやりやすい。わたしは、最初の1カ月の外来が埋まるように次の病院宛の紹介状を書いた。
 4月には外来日が週1日で始まった。9月には週2日に増えた。その後も前の病院から紹介され通院を継続される方々がいる。


 5.できることと、できないこと

 医療秘書に頼る範囲として、読み書き、パソコン入力、書類作成はこれまでもしてもらっていた。それに加えて、新しい職場では場所がわからないため、移動のサポートが必要となる。医療秘書自身もわたしが使う医療用語を聞き取り、書き残す作業に慣れてもらわなければならない。その他、職員食堂でのサポートが必要なことは予想外であった。それがとても重要なことを知った。


 6.失敗したこと

 前の職場では、長く働くうちに周囲の人たちが自然にサポートしてくれる環境ができていたので、わたしは新しい職場でも、これまで同様に周囲のスタッフの自然なサポートが受けられるものと誤解していた。それは、無理な期待であることをすぐに知った。

 働き始めて間もなくのこと、近くにいるスタッフに、前触れも説明もなく口述筆記を頼んだのだが、突然言われたスタッフは面食らったようだ。「ちょっと待ってください。私にはできません」と言われた。
 考えてみれば当たり前のことである。わたしは、立っているものは親でも使え、というようなことをやったに等しい。自然なサポートを受けるには慣れるまで時間がかかるということに気づいていなかった。


 7.まとめに代えて

 32年間を振り返ると、わたしは3つの病院で精神科医として働いた。はじめの2年間は、診療医として大学病院で研修した。眼は少しずつ見えにくくなっていた。次の27年間は、県立病院の恵まれた環境で仕事をさせてもらった。この間に視覚障害は徐々に進行し全盲になった。そこでは、障害の程度に応じて、その都度サポートの受け方は変わっていった。

 この3年間は、全盲の医師として民間病院で働いている。これまでの方法を踏襲する形で医療秘書によるサポートを軸とした働き方である。周囲のスタッフや同僚にもずいぶん助けてもらっている。
 振り返ると、視覚障害のそれぞれの段階でサポートの受け方は違ってきたが、思えばいつの時期にも図々しいほどに周囲を当てにする働き方をしてきたように思う。お世話になった方々に、改めて感謝申し上げたい。

 2017年(平成29年)12月16日