【看護は患者さんと共に展開される】   【機関誌第5号】   Top


                         中 野 規 公 美(なかの きくみ) (兵 庫)


 はじめに

 眼疾患の発症、症状の進行により人生の途中で視覚障害状態となる中途視覚障害者は、生活上大きな困難を感じます。人は外部情報の8割を視覚より入手するという特徴からも明らかです。私も、そうでした。当初、外出時は車止めにぶつかったり、歩道と車道との段差の区別がつかず落ちたこともありました。家でも椅子の背もたれに気付かず床に落ちた物を拾うため、しゃがんだ際にひたいを打撲したり、食器をシンクにぶつけて割ってしまう等々。

 今まで予想もしなかった事柄に戸惑ったり、落ち込んだり大変でした。家族にも周囲の人にも理解してもらえないという気持ちで、孤独感に押しつぶされそうになった時期もありました。
 しかし、自分の見え方を理解するようになった頃から、できる事、できそうな事、できない事を少しずつ選別していくようになりました。

 その結果、行動を起こす際、自分がどんな準備をすればよいのかを考えるようになりました。ロービジョンケアやもろもろのサポートを知ることで生活上の困難が少しずつではありますが克服できるようになったと思います。また同じ立場の患者さん達からいただく情報(それぞれの立場で頑張られている姿)は、大きな心の支えとなります。


 視覚障害者として働く

 私は、視覚障害者支援施設で相談員として働いております。就職当初は、音声PCを活用して情報処理、文書作成や物品管理、相談室の清掃、スタッフ、施設利用患者さんの簡単な健康チェックをしていました。
 安全に通勤できるようバス・電車の乗降、階段の昇降など白杖を使用し、歩行訓練をしていただきました。当時の私は、今より見えていましたし白杖の必要性をあまり感じていませんでした。むしろ持つ抵抗感の方が強かったように思います。今は、必要に応じて白杖を活用できることが歩行する上で大きな安心感になっています。

 2年目より介助スタッフを付けていただき専門相談員として、患者さんの相談対応をしています。私自身、介助を受けることに慣れていなかったこともあり、必要な介助部分を伝えるのに困難がありました。気を遣ったり気を遣わせたりすることを幾度と経験しながら、いつもお互いの役割分担を理解できるように伝えられたらと思っていました。今は介助スタッフにより、相談患者さんに有効な相談対応に努められると感謝しています。

 就職当初から思うことがあります。「視覚障害者の○○さん」「○○さんが視覚障害状態になった」は同じ状態ですが、後者の方がよりその人を理解していける発想なのでないかと。


 私は看護師そしてプラス当事者

 視覚障害となる以前、大学病院の病棟看護師として働いていました。患者さんの話に耳を傾け、様子を観察し、情報を収集し洞察する。患者の全体像を捉え、患者さんの課題に対応していく。患者中心のケア等は、学生時代や就職してからも看護について学び、患者さんのケアを通じて考えておりましたので、私は看護師として相談に当たらせていただいております。
 介助スタッフには、物品の出し入れ、代読、代筆等、必要に応じて介助をお願いしています。音声PCを活用し調べ物をしたり、メール、文書作成をします。

 相談員として働く上でも、考えさせられることがありました。

 〈ピアカウンセリング〉
 〈視覚障害だからもう看護師ではないよね〉

 看護師として働いていた私は、これらの言葉を受け〈視覚障害になった私は看護師として対応できていないのか?〉との思いになり、プライベートでピアカウンセリングの研修に参加してみたりもしました。そんな課題も、相談対応を重ねていくうちに、対応した患者さんより答えをいただけたように思います。やはり、私は看護師として対応し、そこに当事者としてのプラスの要素があると。


 まとめ

 見えにくい状態は、人それぞれ。眼の機能の精密さ繊細さを改めて痛感しました。ゆえに患者さん、一人ひとりの問題に必要な情報提供がなされていくこと。患者さんの心理的変化に伴うニーズに合わせて、適切な各専門機関と連携しサポートを展開すること。見えにくくなっても、就学できる、仕事を失わない、安心感の持てる生活をしていけるサポート体制が確立されていくと良いなと思います。