【「わたしはガラケーで通します」とはいうものの…】  【機関誌第5号】   Top


                        生 駒 芳 久(和 歌 山)


 2017年秋、ゆいまーる機関誌第5号10周年記念号の原稿募集が始まった頃の話である。
 いつものように、携帯電話を使おうとするのだが、思うように動かない。何度も何度もやってみたが、ますます動きが悪くなり、音声ガイドは全く出なくなった。万事休すである。

 その日の夕方、ドコモショップに電話すると、
 「受付は午後7時までです」
と言う。
 後1時間ある。家内に頼み込んで、夕食の準備もそのままにショップに駆けこんだ。お客は数人しか残っていない。順番が来た頃は既に7時を回り、シャッターは閉まってしまった。

 居残ってくれた店員さんは
 「このらくらくホンは、10年使っていますね。時々、7、8年使う人も見かけますが、10年も使っている人は初めてです」
と言う。こちらは、できれば修理してもらおうと思っていたのに、向こう様ははじめからそんなことは頭にないらしい。結局、新しく購入することになった。

 今はスマホの時代ではあるが、わたしは同じ形のらくらくホンにした。詳しく言うと、見かけはガラケーでも中身はスマホと同じシステムでできているらしい。従来のガラケーのシステムは既に存在しないのだという。どちらにしても、使い方はこれまで通りであるのが助かる。

 ところが、問題が一つ生じた。
 店員さんがあれこれやってくれるのだが、これまでの電話帳が、どうしても移し替えられないという。時間はどんどん過ぎてゆき、ショップ内にはわたしたちだけが取り残された。
 家内は涼しい顔で、
 「これまでのしがらみをリセットするのにちょうどいいのとちがうの?」
と他人事のように言う。こちらは、明日にでも連絡する必要がある番号が消えてしまって、窮地に陥っているというのに。

 その後、この10年間の電話帳を、機会を見つけては一つ一つ登録し直している。ゆいまーるの会員や役員、事務局の方々の電話番号は守田代表にお願いして送ってもらい、登録した。それでもこれまでの何分の1も入っていない。どなたからでも電話があれば、その都度登録していきたいと思っている。

 このようにして電話番号を登録していると、その度に10年間の歴史とでもいうものがよみがえってくる。
 ゆいまーるに加入したのが、9年前、2008年の夏だった。ゆいまーる発足後2カ月くらいのことだった。和歌山の湯川さんからこの会のことを聞いて、すぐにEメールを送ると、会員資格があるということで、加入させていただいた。

 その年の秋、東京の北区王子にある東京都障害者総合スポーツセンターで開かれた臨時総会に参加させていただき、会員の皆様と初めて顔を合わせた。わたしはその直前、岡山の学会に参加し、その足でひとりで東京に向かった。まだうっすらと見えているところもあったが、白杖歩行していたので、「ひとりでよく来たもんだ」と誰かに褒めていただいた。
 お土産に岡山のお酒を持って行ったら、参加者の皆さんに喜んでいただいて、嬉しかったのがいい思い出である。

 その頃、仕事面では読み書きができなくなっていたので、今から10年前には医療秘書を配置していただいていた。精神科の臨床においては、とにかく書類が多い。年金診断書、障害者手帳診断書、自立支援医療診断書、傷病手当診断書、介護保険主治医意見書など数えきれないほどある。

 精神科に限らず地方では医師不足が医療を窮地に追い込んでいた。そんなこともあって、カルテ記載、診断書、処方箋、情報提供書など代行できる業務は代理の者ができるという厚労省通達が出ていた。
 自分で書いた字が自分で読めず、周りからもカルテが読めない、処方箋が読めないと言われ始めたわたしにとっては天からの贈り物である。自分で書かなくても仕事ができるというのだ。

 そんなこともあって、わたしはまずパソコンに音声ソフトを入れてほしいと申し出た。それなら安いものだと病院は2種類も買ってくれた。それに合わせるように、こちらから申し出たわけではないのに、医療秘書を付ける話を進めてくれた。こんなありがたいことはない。お陰で何の苦労もなしに仕事を続けられた。

 8年前には、全く見えなくなってしまったが、医療秘書や看護師さんの介助を受けての臨床業務が身に付いていたので、見える見えないは仕事上では問題とはならなくなっていた。スムーズに移行できたことは、今から思えば幸いなことであった。

 3年前、65歳で和歌山県立こころの医療センターを退職後、現在の和歌浦病院でもフルタイムで臨床をすることになったが、同じように医療秘書を配置していただいて、今でも何とか仕事ができている、と自分では思っていた。
 が、じっくり周りを見回すと、スタッフが相当、気を遣っていることに気づくようになった。

 例えば、誰かが当直ができなくなると、わたしは今でも精神科救急であれ、なんであれ代わってやれますと申し出ている。これまでもやってきたという自負があるのだが、この頃は周りの心配そうな雰囲気が伝わってくる。冷静に、客観的に見ればそうなんだろうと思うようになった。

 携帯電話の話ではないが、家内が言うように自分の年齢や障害を考えて、これまでの生活をリセットする時期に来ているのかもしれない。