【第1回 公認心理師国家試験を受験して】【機関誌第6号】     Top



                  杉 原 千恵美(すぎはら ちえみ)(福岡県)


 「厳しかった」、そして「長かった」、これが受験を終えての感想である。試験そのものではなく、受験の過程で遭遇してきた種々の困難に対する感想なのかもしれないが…。

 心理臨床に携わる多くの方々の悲願であった心理職の国家資格化がいよいよ実現、2018年にその第1回国家試験が実施され、初の公認心理師が誕生した。
 この国家資格化は、おそらく多くの方々とは異なる意味で、私にとっても悲願だった。私が臨床心理士の指定大学院に入学したのは2010年。その前年に視覚障害(視野障害)を受障し、それまで携わっていた社会福祉職の就労継続に限界を感じたため、その隣接領域である心理職への転身を試みてのことだった。しかしながら、諸々のことがネックとなり、修了はしたものの資格試験を受験できずにいた。以来、国家資格化された際には必ずと思い、長らく待ち続けていたからだ。

 しかし、大学院で取得した単位で受験資格を得られるのか、単位読み替えの情報がなかなか公表されず、落ち着かない日々が続いていた。とうとう受験の手引きの請求期間に突入してしまったある日、ようやく出身大学院で受験資格の確認がとれた。通常なら、そのあとは試験勉強に尽力するのみだ。だが、そうはいかないのが障害をもつ者に付加される更なる「障害」でもある。

 今度は、受験の手引きと同時期に届くとアナウンスされていた配慮申請に要する書類一式が、受験申込受付期間に入ってしまったにもかかわらず、内容検討中とのことで一向に届かない。再び悶々とする日々が続いた。認められる配慮の内容如何によっては準備内容も異なってくる可能性もあり、その適応にも時間を要してしまうこともある。初回試験ということで情報もなく、概要も掴めないという状況は、ただでさえ事を為すのに人以上の時間を要する私を不安にさせた。こうした当事者の抱える事情は、おそらく先方には気付き難いことでもあっただろう。

 そのように大幅に遅れて配慮申請の書類が届き、期限間近になって何とか提出を完了した。希望する受験上の配慮としては、白紙の文字記入式の解答用紙の使用(問題番号・解答番号を自身で記入して解答)、リーディング・トラッカー(定規のようなもの)の持ち込みと使用、少人数教室での受験(免疫抑制剤を服用中のため)をあげ、申請した。試験時間延長については最後まで迷ったが、体力的な不安があって見送り、解答時間のスピードアップに最大限努めて対応することにした。

 配慮申請の書類を提出して暫く後、先方からの電話連絡が入った。希望していた解答用紙の件であり、表形式の解答用紙しか認められないとの内容であった。その後も複数回、電話での交渉が続いたが、話は平行線を辿った。譲れるものなら譲りたかったが、こればかりは譲りようもない。そのことがつらく精神的に疲弊して、受験勉強が手付かずの日々が続いた。

 最終的に先方から示されたのは、枠線は見えないような最も薄い色で表を印刷した解答用紙の使用であった。線はどうしても引く、それだけは譲れないとのことだった。しかし、見えないような線ならば尚更、枠内への解答番号の記入は難しい旨伝えると、白紙と同様の使い方をしても構わないとの回答だった。大いに不安は残ったものの、やむを得ず、その条件で妥協した。

 そして試験当日を迎えた。当日、配布された解答用紙を見ると、決定した条件と異なる用紙であり、動揺してしまった。慌てて交換を申し出て、次に問題用紙を見ると、想定外にフォントサイズが大きかった。これも誤って拡大版が配布されてしまったのかと思い、確認したところ、それが通常版とのことであった。

 私の場合は、文字を拡大すると視野に収まりにくくなり、結果、読みづらくなってしまう。更に動揺してしまい、フォントサイズが大きすぎる旨伝えたが、「大きければ大きいほどいいでしょうに…」と言われ、状況が伝わらない。多くの人の中には、「見えづらい人は、文字を大きくすれば見えやすくなる」、そうしたステレオタイプが存在し、私のように非該当の者がいたとしても、それを容易には崩せないのだろう。しかし、それ以上説明を重ねたところで、既に対処不能だろうと思うと時間も惜しく、止むなく試験問題に取り掛かった。

 そうして何とか受験を終え、その約3ヶ月後に結果を受け取った。
 私は過去に他の国家試験の受験経験をもつが、それはまだ受障前だった。その時の受験体験と今回の体験とは、全くの別物にも感じられた。やはり今回に関しては、残念ながら不利益を感じずにはいられなかったからだ。

 「不利な状況に置かれても、黙ってひたすら努力して障害を乗り越える」、多くの人々の中には、そのような歪曲した理想の障害者像が存在しているように感じられる。そして、その表象は、それに適合しない、あるいはできないでいる人の口を塞ぎ、動きを抑え込んでしまうこともある。振り返ると、私も今回の一連の過程の中で、その表象に苦しめられ、喘いでいたように思う。

 また、私は、「障害は個性」だとは思っていない。ただ、インペアメントを補っていく工夫や術には、人それぞれの個性が溢れているように思う。その多様な個性を認めずして、合理的配慮は成立し得ないものとも思う。予め障害種別毎に設けられた画一的な基準を個人に照らし合わせるのではなく、その個別性を考慮した上で、双方、配慮の内容を丁寧に擦り合わせていく過程を経て講じられることが大切であると、今回の体験により、改めて痛感した。

 このように、私にとっては、決して平坦だったとは言えない長い歩みの末に得た資格である。けれど、この資格取得はゴールではなく、新たなスタートである。クライエントさんに心地良いと感じていただけるような温度をもって、そっとその人生の一片に寄り添うことができる臨床家となれるよう、今後も愚直に努力を重ねていきたい。
 (社会福祉士、公認心理師)