【私の紙幣識別法 〜 ある出来事をきっかけに 〜】【機関誌第6号】   Top


                  有 光 勲(ありみつ いさお)(高知県)


 私は、小銭入れは持ち歩くが、札入れは持つのが嫌いなので、紙幣は二つ折りにしてズボンの後ろのポケットに入れている。

 ある日、近くのスーパーに買い物に行ってレジで、ポケットに入れていたはずの5千円札を出した。
 「お客さん、これ千円ですが …」
と言う。
 「え、5千円じゃないんですか」
 「いえ、千円です」
 私は、あっけにとられた。確かにポケットには5千円札が1枚入っていたはずである。まさに狐につままれたような気がした。
 「あ、そうか。やられた!」と一瞬、昨夜のことを思い出した。

 その昨夜の話というのは、こうである。
 「おいくらですか」
 「1260円です」
と言う。
 まず260円を小銭入れから出して先に渡し、次にズボンの後ろのポケットから千円札を出して渡した。その時 私のポケットには、千円札と5千円札が1枚ずつ入っていたのである。それをまちがえて出したのだ。受け取る方は確かにそれを確認していたはずだ。
 盗られた4千円が惜しくないといえば、それはウソになるが、何事も考え方次第で気持ちはいくらでも楽になれる。ちょっと居酒屋にでも立ち寄れば4、5千円はいるだろう。

 また、うっかり不用意に紛失したかもしれないなどと思えば、あきらめはつく。だから金額の多い少ないの問題ではない。それより「渇しても盗泉の水は飲まず」ということもあるのに、なぜそんな人間としてやってはいけないことをするのかと思うと、何とも言いようのないいやな気持ちになったのである。赤子の手をねじれば抵抗はできなくても痛がってギャーギャー泣くだろう。しかし、私のように見えないものは手をねじられていることすらわからないのだから泣くこともできないのである。

 後日、私の所属する視覚障害者団体の役員会でその話をしたところ、なんとそんな経験をした人が何人もいたので驚いた。中には、間違えて1万円を出したところ、「お客さん、これ1万円ですよ。千円とお間違いじゃないですか」と言ってくれた。嬉しくなって、その人の所属するしかるべきところへ電話して礼を言ったところ、「いえいえ、それはあたり前のことですから…」と言われたという話もあった。

 しかし残念ながら私の場合はその人間がどこのだれともわからなかった。世の中にはいろいろな人がいるのは当然である。「相手を責める前に、まず自らの不注意を責めよ」と私は大いに反省した。それでも考えてみれば不幸中の幸いということか、間違えて出したのが1万円でなくてよかった。

 それ以来、私は紙幣の識別法をこのようにしている。1万円札には二つ折りにした片方の真ん中に、その折り目と直角にはっきりわかるように折り目を付ける。5千円札は、四隅のうち1ヵ所を1pほど織り込む。千円札には何も付けない。ちなみに私は2千円札は持たないことにしている。これでまず紙幣を間違えることはなくなった。

 以前には、紙幣が識別できるぐらいには見えていたし、そんなに多くの札を持ち歩くこともなかったので、別に間違えることもなかった。仮に間違えて出したとしてもそれは言ってくれた。こんな目に遭ったのは今回が初めてである。

 現在の紙幣には識別マークが付いているらしいが、ある程度敏感なはずの私の指先でもそれはよくわからない。テレホンカードやハガキのように切れ込みを入れてもらうのがわかりやすい。そのような紙幣の製造はそれほど難しいことではないのではと思うが、問題なのは、おびただしい数の自販機や券売機などのハードやソフトの改良であろう。
 2024年からは、新紙幣が導入されると聞いているが、いずれにしても私たち視覚障害者にとって、触ってもっと簡単にわかりやすい紙幣にしていただきたいものである。