【肋骨骨折の医学的自己診断】 【機関誌第6号】     Top


                  佐 藤 正 純(さとう まさずみ)(東京都)


 実は、先月正月3日金曜日の夜に自宅の玄関から入って少し歩いたところで、見えない目で階段の前の手すりを見誤って転倒し、そのまま階段に向かって左の胸部を激しく打撲してしまいました。頭部外傷はなく意識ははっきりしており、最初は呼吸もできないほどの激痛でしたが、そのうち深呼吸もどうにかできて呼吸困難になる程度ではなかったので、肺挫傷による血気胸の可能性は低いと考えました。また、下肢の麻痺や膀胱直腸障害などもなく、脊髄の損傷もないと救急医学の知識から救命処置の必要はないと判断して、自宅で経過を観察しながらどうにか正月明けの週末を過ごしました。

 しかし、打撲の程度と疼痛の激しさから、少なくとも側胸部の臍より上、神経学的にTの9番の高さの肋骨は骨折していると直感して、3日後のお正月明けの6日月曜日早朝に開いたばかりの整形外科まで700メートルの道を、歩ける者は親でも使えとばかりに、今年末には90歳となる母に付き添ってもらって痛みをこらえて命がけで受診しました。

 すると、レントゲンで左の9番から10番まで少なくとも2本の肋骨が完全に骨折しているとわかり、受傷後2週間から3週間は静養が必要、全治2カ月という、思ったより重症の診断結果となりました。そのため、とりあえず1週間は予定していた四谷の職能開発センターの訓練、杉並の障害者バンドの練習、ハローワークの失業保険認定日など、すべての予定をキャンセルして自宅静養となりました。

 しかし、鎮痛剤の湿布と内服、バストバンドによる骨折部の固定などで、疼痛は徐々に軽減して、受傷1週間後には杖歩行で整形外科病院まで歩いて再診ができました。熱いお風呂が嬉しい今の季節にはつらいですが、主治医の指示に従って受傷後はずっと入浴は避けて、下半身を温めのシャワーのみに制限しました。
 強くはないけれどお酒には目がなくて(笑)、毎週2日の講義の前日(休肝日)以外は欠かしたことのない夕食時1本の缶ビールも、1ヵ月後まではと思ってぴたりと我慢しました。

 ただ、人間は入院などで本当に1ヵ月安静にしてしまうと歩けなくなってしまうと思ったので、相撲の怪我は稽古で治すという力士の教えを真似するわけではありませんが、徐々に以前の生活に復帰するプログラムを立てて受傷2週間後となる17日から四谷の職能開発センターの訓練に復帰しました。

 心配してくださったセンターの先生や同級生には、昔ジャングルから救出された帰還兵のように「不名誉な負傷で戦線を離脱しておりましたが、恥ずかしながら帰ってまいりました」とご挨拶すると、皆さん大笑いしながら復帰を祝ってくださいました。

 杉並の障害者バンドにもその翌週から復帰しましたが、今回は手の骨折ではなかったのでピアニストの私にはあまり大きな影響がありませんでしたし、なによりライブ本番の直前でなくてよかったと、あまり心配されてはいないようでした。

 しかし、高井戸駅から杉並障害者福祉会館までの環状8号線 1.2キロの道はまだ自信がなかったので、天気が良くてもしばらくは念のため歩かずにバスを使うことにしました。その後、就寝時や起床時、階段を下りる時などの傷の痛みは薄紙を剥ぐように改善し、4週間後の診察では骨の形成も順調との診断をいただいて、湿布は残して鎮痛剤の内服は中止、1ヵ月ぶりに比較的熱いお湯での入浴と缶ビールを解禁できました。

 思えば24年前まで救急現場の医師として過ごした12年間、毎週のように心臓マッサージで合計600回くらい人の肋骨は折り続けてきましたが、自分の肋骨を折ったのは初めてで、自らが患者の立場でその痛みと経過観察を勉強することができました。

 今後は当初の診断通り受傷後8週間ぐらいで整形外科の受診が終了して復職可能の判定が出る予定です。それまではハローワークでの就職活動ができないので、失業保険も停止されてしまっているのですが、その期間は後日傷病手当金として支給していただけるとのことで、そのような救済手段があることも初めて知りました。

 還暦を過ぎた一昨年に右第4中手骨骨折で初めて骨折を経験してから、男性の私でも骨密度が低下する年齢になったことを自覚して注意していたのですが、その一方では、退職してもまだまだやれるという意欲を持って今年の計画を立てた直後の受傷だったので、そのバランスのとり方が難しいと感じるこのごろです。