【第27回 視覚障害リハビリテーション研究発表大会】 【機関誌第6号】 Top


  ■ 第27回 視覚障害リハビリテーション研究発表大会in神戸 ポスター発表 ■

    日 時:2018年9月14日(金)〜16日(日)
    場 所:14日(金)      神戸国際会議場
       15日(土)・16日(日) 神戸国際展示場・ 神戸アイセンターなど
    主 催:視覚障害リハビリテーション協会


  □ 視覚障害をもつ看護師の就労 第2報

    ○ 藤原 奈津子(ふじはら なつこ)「私の夢」
     安部 恵子 (あべ けいこ)  「相談窓口の変遷」
      中野 規公美(なかの きくみ) 「看護は患者さんとともに展開される」
     村中 恵子 (むらなか けいこ)「今後の方向性に向けての取り組み」


1 はじめに
 ・2001年に保健婦助産婦看護婦法が改正され、視覚障害があっても看護師として就労することが可能となった。
 ・また、欠格条項が改正され、法律的には視覚障害を有していても看護師国家試験を受験でき、視覚障害を理由に看護師資格を停止されることはなくなった。
 ・現在、身体障害者手帳を有する視覚障害者は約30万人であり、全人口の約0.2%である。看護師は現在約150万人おり、統計から考えても、視覚障害をもつ看護師は約3千人程度と推測され、多いと考えられる。

 しかし・・・
 ○ 視覚障害をもつ看護師の現状についての調査は限られており、視覚障害をもつ看護師がどのように就労しているのか広くは知られていない。
 ○ 欠格条項撤廃後17年経過した現在でも、視覚障害をもちながら看護師として就労する人の数は期待されるほど増えておらず、中途視覚障害者の中には離職を余儀なくされる人もいる。


2 研究目的
 視覚障害をもつ看護師の実際の就労について事例報告をし、視覚障害をもつ看護師の就労についての課題を考察する。


3 視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)の紹介
 ・当会は、見えない、見えにくいというハンディーを持ちながらいろいろな医療関係職に従事する者が集まり、互いに情報交換を行ったり、親睦を深めていこうという趣旨のもとに2008年6月に発足。
 ・2018年9月現在 正会員24名 協力会員59名
 ・主な活動として、年に1回の総会と、各地区での年に数回の勉強会を行っている。
 ・そのほかにホームページでの情報提供やメーリングリストを通じて情報交換なども行っている。
 ※ 詳細は第1報を参照してください。


4 ゆいまーるにおける看護師の現状
 ゆいまーるには、現在正会員3名と、協力会員8名の看護師が所属している。それぞれの勤務先は病棟勤務、外来勤務、手術室勤務、福祉機関勤務、眼科勤務などである。ゆいまーる会員では就労を継続できている人と、就労継続困難となり離職した人が同程度である。視覚障害の程度は弱視、視野狭窄、全盲など程度は様々である。
 以下にゆいまーる会員の中から4人の事例について報告する。


 ◆ 事例 @ 相談窓口の変遷〜ロービジョン患者とのかかわり〜
 Aさん 60代、女性。網膜色素変性症。視覚障害1級。現在は退職、現役引退している。
 眼科専門病院勤務時に、網膜色素変性症を発症。発症後もリスクマネージャー業務、相談窓口業務など、業務内容を調整しながら勤務を継続し、退職した。
 以下に相談窓口での業務について紹介する。

1.はじめに
 私は看護師として26年間勤めてきた。2006年1月、網膜色素変性症という病気により、視覚障害1級認定となった。視力、視野障害のため、看護業務を行うにあたり、難しい状態であった。2006年4月、私が勤務していたT眼科病院では、日本医療機能評価機構の病院機能評価を受けるにあたり、「相談窓口」が開設され、私が「医療相談」を任命された。相談内容は、病気や手術への不安、視力回復の不安、どんな病気なのかなど健康に不安を感じる内容が多くあった。医者に「視力改善が望めない」「治療法がない」と言われれば、患者にとっては絶望感を抱くと思われる。

 今まで見えていたものが、見えなくなったことに嘆き悲しみ、失明への恐怖に怯え、生きる気力さえなくす。その状況から、自力で這い上がろうとしても這い上がれないそのつらい気持ちを察し、共感することは、相談窓口の使命ではなかろうかと考える。

2.相談窓口での私の事務処理方法
  ・資料、カルテの閲覧は拡大読書器、ルーペ、対面朗読などを利用
  ・資料、カルテの記載は手書き、画面拡大や音声読み上げを利用しPCで行う

3.相談概要
 相談内容としては、眼科専門病院ならではの病気・治療に関する相談が全体の第1位を占め、また、ロービジョンの同一患者への継続的関わりが増えてきていることがわかった。また、健康に関する相談もあり、生活習慣病、たばこと健康、ストレス解消法、リラックス体操など広報活動を行い、健康増進に努めた。患者ご自身の生活を点検し、食生活や生活習慣を見直し、助言を行い取り組んだ。そのことは、眼の健康にも必要なことと言える。

 医療・福祉制度については、制度には何があるのか、どのような内容のものなのか、困った時はどこに行けばよいのかなどの相談であり、窓口の紹介と資料の提供に努めた。相談窓口ではクレームについての対応も行った。まずは気分を害されたことに対して謝罪をし、その内容などについては、患者の承諾を得た上で、必要に応じてカルテに記載し、患者の質問や気持ちを医療従事者同士で共有できるように努めた。

 相談窓口では、電話での相談対応も行った。相談窓口での電話対応は、患者の心の傍にいることの安心感を与えたのではないだろうか。電話相談も状況により、心理的サポートとして有効なのではと考える。相談窓口とは、傾聴すること、寄り添って見守ること、共感することが大切であると改めて痛感した。

4.おわりに
 ロービジョンケアは、患者自身の訴えがあって始めるのではなく、診察や観察から視覚的困難や失明が予想されるなら関わる誰もが情報を共有し、早期のケアを開始すべきであり、その導入は私たち医療従事者の責務と確信するものである。


 ◆ 事例 A 看護は患者さんと共に展開される
 Bさん 50代、女性。網膜色素変性症。視力障害、視野狭窄あり。現在、福祉機関で相談業務に従事。
 大学病院勤務中に網膜色素変性症を発症。一度仕事から離れるも、相談専門員として福祉機関で勤務。視覚障害者の相談支援を行っている。以下に、相談支援の実践について紹介する。

1.視覚障害者として働く
 私は、視覚障害者支援施設で相談員として働いている。就職当初は、音声PCを活用して情報処理、文書作成や物品管理、相談室の清掃、スタッフ、施設利用患者さんの簡単な健康チェックをしていた。
 2年目より介助スタッフを付けていただき専門相談員として、患者さんの相談対応をしている。私自身、介助を受けることに困難があった。気を遣ったり気を遣わせたりすることを幾度と経験しながら、いつもお互いの役割分担を理解できるように伝えられたらと思っていた。
 今は介助スタッフにより、相談患者さんに有効な相談対応に努められていると感謝している。

 就職当初から思うことがある。「視覚障害者の○○さん」「○○さんが視覚障害状態になった」は同じ状態ですが、後者の方がよりその人を理解していける発想なのでないかと。

2.私は看護師そしてプラス当事者
 視覚障害となる以前、大学病院の病棟看護師として働いていた。患者さんの話に耳を傾け、様子を観察し、情報を収集し洞察する。患者の全体像を捉え、患者さんの課題に対応していく。患者中心のケア等は、学生時代や就職してからも看護について学び、患者さんのケアを通じて考えていた。そのため私は現在も看護師として相談に当たっている。

 介助スタッフには、物品の出し入れ、代読、代筆等、必要に応じて介助をお願いしている。音声PCを活用し調べ物をしたり、メール、文書作成をしている。
 相談員として働く上でも、考えさせられることがあった。
 〈視覚障害だからもう看護師ではないよね〉
 看護師として働いていた私は、これらの言葉を受け〈視覚障害になった私は看護師として対応できていないのか?〉との思いになり、プライベートでピアカウンセリングの研修に参加してみたりもした。そんな課題も、相談対応を重ねていくうちに、対応した患者さんより答えをいただけたように思う。やはり、私は看護師として対応し、そこに当事者としてのプラスの要素があると。

3.まとめ
 見えにくい状態は、人それぞれ。眼の機能の精密さ繊細さを改めて痛感した。ゆえに患者さん、一人ひとりの問題に必要な情報提供がなされていくこと。患者さんの心理的変化に伴うニーズに合わせて、適切な各専門機関と連携しサポートを展開すること。見えにくくなっても、就学できる、仕事を失わない、安心感の持てる生活をしていけるサポート体制が確立されていくと良いなと思う。


 ◆ 事例 B 今後の方向性に向けての取り組み
 Cさん 50代、女性。網膜色素変性症。現在、視覚支援学校専攻科、あんま、指圧コースに在籍。
 視野狭窄はあるが日常生活は問題なく行える。人込みでは白杖を使用する。
 3人の子育てをしながら公立の急性期、がん拠点病院に勤務していた。その最中に発症。発症後も勤務を継続していたが、電子カルテ導入を機に症状が悪化。夜勤でのノートパソコンが見づらくなり、苦痛に感じることが多く、外来勤務を希望し、外来に異動した。

 外来現場での勤務は、左右上下の視野欠損があるため足元のごみ箱やイスに躓くことがあった。中心視野は0.5とよく見えていたため、通常の業務内容をこなしていた。経験年数から仕事量の負担も大きく、業務内容の軽減を上司に訴えるもなかなか理解してもらえず、早期退職すべきか自問自答することも多かった。

 以前、婦人科、乳腺病棟勤務のときに、術後の患者さんの下肢、上肢のリンパ浮腫のケアにかかわる機会があり、医療徒手リンパドレナージセラピスト、リンパ浮腫療法士の資格を取得。リンパ浮腫の患者さんに携わった経験から、看護師で独立しリンパ浮腫患者のケアに携わるには、指圧、あんまの資格が必要と知った。
 今後、全盲へと進行した場合、どちらも選択できるよう視覚支援学校に進む決意をした。3月に病院を早期退職し、4月から視覚支援学校専攻科あんま、指圧コースで学んでいる。


 ◆ 事例 C 私の夢
 Dさん 30代、女性。続発性緑内障。視覚障害1級。
 小児専門病院勤務時に眼疾患を発症。一度は復職するも、就労継続困難と判断され、就労継続の希望はあったが離職した(免職)。
 現在は社会福祉士と精神保健福祉士、介護支援専門員の資格取得を目指して大学の社会福祉学科に在籍。卒業後に再び看護師として働くことを目標としている。
 以下に、復職への思いと今後の目標について紹介する。

 私には、小児科の看護師として、病気や障害をもつ子供と、その家族と共に歩んでいくという夢があった。そして、無事にその夢をかなえることができた。自分の仕事が大好きで天職だと思っていた。生涯、小児科の看護師として生きていくという夢を、当たり前のようにかなえることができると考えていた。

 しかし、現実は少し違っていた。私は、一度、この夢をあきらめた。自分自身が視覚障害者となり、看護師として歩んでいくことが難しいと感じたからだ。
 看護師10年目の春、眼疾患を発症し、唯一見えていた左眼の視力が徐々に悪くなっていった。休職し治療を行ったが、復職する頃には重度の視覚障害となっていた。復職し、約4カ月間働くことができたが、結局は退職しなければならなかった。この1年は自分の人生の中でとても大きなものであり、つらいものだった。

 休職中、私は1日でも早く看護師の仕事に戻りたいと願っていた。一方で、視野障害と視力障害をもつ自分が復職することは、もう難しいのではないか、復職は無理と職場から言われるのではないかという不安がとても大きかった。しかし、職場の上司は、私が復職できる方法を一緒に考えてくれた。この時期の自分を支えてくれたのが、もう一度仕事に戻りたいという思いだった。

 退院後の4カ月間、病棟のスタッフや上司、支援団体の方にたくさんのサポートをしていただき、看護師として仕事を行うことができた。もう一度看護師として働けたという喜びはとても大きなものだった。しかし、実際の仕事の中では、復帰できた喜びだけではなく、つらいと感じることも多かった。今まで当たり前のように行えていたことが困難になっている場面に直面し、できないという現実に大きな不安や焦りを感じていた。できないことだらけで、仕事が楽しいと思えずどんどん自信を失っていく毎日だった。特に、病院内での移動、モニターが見えない、患者さんの様子が見えない、シリンジなどの目盛りが見えない、電子カルテの画面が見づらく、記入にとても時間がかかるなどの困難があった。

 また、今まで通りに行っているつもりでも、本当に安全に行うことができているのか不安に感じることが多かった。それでも、逃げ出さずに仕事を続けたいと考えることができたのは、夢をあきらめたくないという思いがあったからだと思う。視覚障害者となった自分だからこそできることもあるはずだという思いと、障害をもつ自分が夢をあきらめずに看護師として働き続けることができれば、同じように病気や障害をもつ子どもたちが自分も夢をあきらめなくていいんだ、と思ってくれるのではないかと考えていたからだ。

 退職は、自分から望んだものではなかった。本当はまだ働き続けたいという思いが強かったが難しく、あきらめるという形で退職した。大好きだった仕事をあきらめるということは、生きがいを失うことであり、とてもつらい日々だった。
 この時期の自分を支えたのは、仕事に対してやれるだけのことはやったという思いと周囲の方のサポートだった。仕事を続けるために精いっぱいの努力をしたと自分で納得できたことは、気持ちを整理する助けになり、自分を立て直してくれた。

 現在、私には新たな夢ができた。それは、もう一度看護師に戻るということ、自分にしかできない看護を見つけるということだ。障害をもった自分だからこそできることがきっとあると思う。大学生活での学びを通して、自分にできることをしっかりと考えていきたい。福祉と医療の知識を身につけ、私と同じように障害をもつ人の生活を支えるような仕事がしたい。私は、新たな夢や目標を持つことで、もう一度前に進めるようになった。
 夢の持つ力は偉大だ。私は、これからも一歩ずつ夢に向かって進んでいき、病気や障害をもつ子供たちに「夢をあきらめなくていいんだよ」と伝えていきたいと思う。

 今回、視覚障害をもつ看護師の現状について4例の事例を紹介した。4人とも仕事の中で様々な困難を感じており、ほかの看護師と同様に、すべての仕事をこなすことは困難であった。しかし、事例 @、A のように業務内容を調整し、自分の適性に合った業務であれば就労継続は可能である。

 看護師には、疾患、治療、患者の心理、社会的資源など様々な知識がある。相談業務などではこれらの専門的な知識を活かしながら看護師ならではの相談を行うことができると考える。
 また、看護の基本は手と目で看るということであるため、事例Bのように、目で看るだけではない、手でものを看るという看護の特性は理療の世界や、リンパセラピーなどでは活かしていけるのではないかと思う。

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5 まとめ
 現在、まだまだ視覚障害をもつ看護師が就労を継続することは困難なことが多く、実際にゆいまーるの中でも離職を経験している人が多い。看護師の仕事は医師とは少し違い相談業務等の特殊業務でなければ、直接患者さんにケアをすることが求められ、移動やケアの実施の場面で安全性などが大きな問題となる。また、医師秘書のようにサポートのスタッフを付けてもらうことも難しい。そのことが離職率の高さにもつながっていると考える。

 視覚障害があってもできること、難しいことなどをきちんと明らかにし、私たちにもできる看護、私たちだからこそできる看護を見つけ、周知していくことが必要だと考える。今後も継続的に視覚障害をもつ看護師の現状について調査し、報告していきたい。