【突発性難聴からかろうじて脱出 〜 眼だけでなく耳まで取り上げられたのではたまらない 〜】  【機関誌第7号】 Top


                 有 光 勲(ありみつ いさお)(高知県)


 もうかなり以前のことになるが、ある日の午前中、私はいつものように尺八を取り出して練習を始めた。ところが、いつもとは違う。尺八を鳴らしてみると、なんと2本の尺八の重音のようになって左の耳に聞こえるのである。
 「不思議なこともあるものだな、尺八が割れたかな」と思った。

 その時、テレビをつけてみると、ちょうどバイオリンの独奏曲が流れていた。その音がこれも左の耳に響いて、やはり2、3丁のバイオリンの合奏のように聞こえたのである。
 「あ! これは耳のせいだ」と思い、もう一度尺八を吹いてみると、やはりその音が左の耳に変に響いて重音のように聞こえる。そして、よく注意してみると、左の耳がなんとなくふさがったような感じで、低い音の耳鳴りもしていることに気がついた。

 しかし、左耳が全く聞こえなくなったというわけでもなかった。別に風邪はひいていないし、おかしなこともあるものだなと思った。
 「あ! もしかするとこれは突発性難聴ではないのか?」と思った。もし、そうだとすれば手遅れになると、もう取り返しがつかない。

 私は、その日の午後、ある総合病院の耳鼻科に駆け込んだ。左耳がだめになったとしても、右耳さえ聞こえていればいいだろうなどとは決して考えなかった。私たち見えないものは、耳が頼りである。片耳だけでは大変不自由である。また、私は音楽が好きだ。というより人間と音楽とは切り離せないものなのではないだろうか。

 例えば、片方だけのイヤホンで音楽を聴いたとしても、それはただメロディーがわかるだけで音楽としての楽しみは全くない。片方だけの耳では音楽など聴く気もしない。お断りしておくが、これはあくまでも私の個人的なことなので、くれぐれもお差し障りのないようにお願いしたい。

 問診の後、伝音系・感音系の詳しい検査を受けた。その結果、明らかに左の耳の聴力が低下していた。さらに、脳腫瘍も見逃してはいけないということで、脳のMRIも撮った。普通通り20分ほど撮り、そこで一旦中断して、造影剤を静脈注射してからさらに20分ほど撮った。そのようにしなければ内耳神経周辺の腫瘍は見つからないという。幸い、それには異常がなかったのでホッとした。そのような詳しい検査の結果、病名はやはり私の思ったとおり突発性難聴であった。

 早速、治療が始まった。土日も関係なくぶっ続けで9日間、その病院に通って、ステロイド剤の点滴を受けた。さらにビタミン剤、循環改善薬を各1錠と、ATP関連薬(代謝や循環をよくするためだという)2錠を毎食後服用した。

 これらの治療のおかげでよくなりつつあったが、耳鳴りや耳閉感はなかなかとれそうにない。医者は、「個人差があり、治るかもしれないし、このまま治らないかもしれない」などと言う。
 「先生、そんな他人事みたいなこと言わないでくださいよ。藁をも掴むという気持ちになっているというのに」と、言ってやりたかった。

 ありがたいことに、その後何カ月かして聴力は正常に戻り、また、耳鳴りや耳閉感もそれほど気にならなくなった。聴力検査を受けていたとき「あ!これなら自分でもできる」と思った方法がある。それは、医者が振動しているバイブレーターを前頭部の中央に押し当ててみて、その音が左右の耳にどのように響くかという検査である。私は、シェーバーのキャップを付けたままスイッチを入れて、それを前頭部の中央にちょっと強めに押しつけてみた。左右の耳への音の伝わり方がよくわかるのである。

 私は、もうすぐ80になるが、今のところ耳には異常がない。かなり小さな音も聞こえる。しかし、耳鼻科で詳しい聴力検査を受けてみると、高音域の聴力がかなり低下しているという。別に自覚症状はないのだからこれでいいと思う。年をとれば頭の毛がはげるように、蝸牛管の有毛細胞もはげていくのだ。これも老化現象なのでどうしようもない。私は今のところ、聴力に関して日常生活には何の支障もないので、ありがたいとしなければならないだろう。

 私は、ぼけ防止のために尺八とピアノをやっている。ピアノの場合は、ある鍵盤をたたけばその音が出るので、少々耳が遠くなったとしてもできないことはないだろう。しかし、尺八の場合はそうはいかない。竹やプラスティックなどの管に穴が5つ開いているだけの大変シンプルな楽器である。その穴を閉じたり開けたりするだけでは6つの音しか出せない。よくよく音を聞きながら、いろいろな奏法で楽譜通りの音を作るのである。だから難聴になると、もう尺八は吹けなくなってしまうことだろう。

 ここでちょっと変なことを言うが、もし神様が「おまえの耳をよこせ、その代わりに眼をやる。晴眼者にしてやろう」と言われたとしても私はおそらくそれは即座に断るだろう。今の私には音のない世界なんて考えられない。もう年なので見えなくてもいい。しかし耳だけは死ぬまで今のままにしておいてもらいたいものである。