【追悼】戸田 陽先生に感謝の意を込めて  【機関誌第8号】  Top


     「戸田先生と医師法改正 〜障害者の欠格条項の見直し〜」

               下 川 保 夫(しもかわ やすお) (熊本県)

 2001年の医師法等の改正で、視覚障害者も適切な補助用具などを活用しながら診療行為ができるようになった。最近では、社会も目の見えない医師が働いていることを認めるようになった気がする。昨年9月、92歳で亡くなられた戸田陽先生は、この医師法改正にご尽力された一人であった。ここに先生への感謝を込めて、私が知り得たことを記載しようと思う。

 医師法の改正後知ったのだが、国連では1981年を「国際障害者年」と宣言した。その旗印のもとに国内においても障害者のnormalizationの動きが高まった。そして、1970年に制定された「心身障害者対策基本法」は1993年に「障害者基本法」へ改正された。その法律には、「障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる活動に参加する機会を与えられる」と規定された。そして、これらの施策期間は、まず1993年から2002年とされた。

 当時の私は急性期病院でリハビリテーション診療科・神経内科を専攻し、その分野を少しでも習熟しようと努めていた。ただ、それと同時に徐々に視力は落ちていたので、今後はどうしたらよいのだろうと同僚に相談することもできず、一人で悩んでいた。今思えば、多くの方に相談すべきであった。

 1997年のある日、新聞を見ていた妻が「日本盲人専門家協会に医師もいらっしゃるみたいよ」と話してくれた。その記事がきっかけとなり、戸田先生に直接電話することができた。そして先生は私に、整形外科医として働いていた時、視覚障害に気づき旧厚生省に転職、その後東京都赤十字血液センターを経て退職したことなどを話された。私のことを話すと「これまでの実績があればなんとかなりますよ」「医療関係の専門学校の教師も一案ですね」などと励ましとアドバイスをいただいた。先生と話をすることで、視覚障害で悩む医師は自分だけではないことを知り、気持ちが軽くなった。

 1998年、薬剤師国家試験に合格したものの聴覚障害をもつとの理由で免許が交付されなかった人がいた。このことが新聞などで報道され、薬剤師法にも適用されている障害者の欠格条項の見直しの気運が高まった。当時は、厚生省でも前述した障害者基本法の10か年計画の期間であった。そして当然ながら医師法改正の論議も並行して行われていたようだ。

 1999年のある日、戸田先生から突然電話があった。厚生省の障害者施策推進本部で医師法の欠格条項に関しての公聴会があったこと、そして先生が「熊本の医師が視覚障害で悩みながらもできる範囲内で診療行為を行なっている」と発言されたという内容だった。先生がこのような行動をなさっているとは思いもよらず、感謝でいっぱいになった。

 その後、2001年に医師法、薬剤師法など多数の医療関連法が改正・施行された。それまでは医療行為を行う自分自身に何となく後ろめたさを感じていたが、法的に医療行為ができるということで、これからも頑張ろうと思ったのである。

 戸田先生と直接会って話ができたのは、電話で連絡し合ってから約10年後の2008年で、「視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)」の発足総会があった会場だった。いつものはっきりした口調で「下川兄、戸田です」と声をかけられた。先生は喜寿を迎えられたころであったが、健康維持のためほぼ毎日、近くの公園で仲間と一緒にラジオ体操をしていることや、地域の盲人会主催のバス旅行などにも積極的に出かけていること、また、少し前にお孫さんと一緒にニューヨークに行ったことなども気さくに話された。

 私が白杖を使用していなかったため、「私も傘を使って歩いたものです」と白杖を用いることに抵抗感があったことも笑いながら話された。先生から、このように全盲になっても積極的に社会参加をすることが重要であることを教えていただいた。

 先生の、このゆいまーるの会への貢献は多大で、その一つは機関誌発行を提案され実施されたことと思っている。当時の会員はそこまで考える余力がなかったのではないかと推察している。医師法改正で医療行為が継続できた医師たちは非常に幸運だった。これも戸田先生たちのご尽力であることは言うまでもない。今後私たちができることは、たとえ医療従事者が目が不自由になっても医療行為は可能である、と言い続けることが重要ではないかと思っている。

 最近、先生と出会ったころの情報を調べていたところ、ある記事を見つけた。それは朝日新聞の1998年11月14日付の朝刊で、先生が日本老人専門家協会主催で「公害の悲劇 経験伝えたい」というタイトルで講演される案内記事であった。先生が厚生省に勤務されていたころ、水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそくなどの「公害」をライフワークとして取り組まれていたこと、また退職後もこれに関する話題を講演されていたことなど全く知らなかった。そして、先生の被害者に注がれるまなざしに感銘したのであった。少しは先生を見習わねばと思った次第である。

 戸田先生、長い間のご支援、ありがとうございました。どうぞ、ごゆっくりお休みください。