【追悼】戸田 陽先生に感謝の意を込めて  【機関誌第8号】  Top


     「戸田先生との出会いと『ゆいまーる』」

               守 田 稔(もりた みのる) (大阪府)

 2023年9月、戸田陽(きよし)先生が92歳でご逝去されました。先生は私自身の心の支えになり、また誰に対しても温かな心配りをされ、そして「視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)」の発足に大きく関わられました。感謝の気持ちを込めて、先生との出会いと「ゆいまーる」についてここに記したいと思います。

 戸田先生との出会い

 1999年、医学部5回生時にギランバレー症候群に罹患した私は、2年の休学期間を経て2001年に5回生に復学しました。しかしその年の7月、完全に失明しました。2002年、6回生になった私は、全盲でどのようにして医師国家試験を受験したらいいのか、まったく情報を持っていませんでした。

 8月、入院中からお世話になっていた病院のソーシャルワーカーの方の仲介で、全盲で初めて司法試験に合格された竹下義樹弁護士と京都でお会いし、受験や仕事についてお話を聴かせていただきました。そのとき「全盲の医師が東京にいるので紹介しよう」とつないでいただいたのが、私と戸田先生との出会いでした。

 戸田先生と初めての電話では、私の状況を熱心に聴いてくださり、そして明るく闊達な声でたくさんの応援をいただきました。また視覚障害をもつ現役の医師、熊本の下川保夫医師とのつながりも作っていただき、真っ暗だった人生の道の先に2つの明かりがともりました。2人の大先輩から何度もいただいた温かいエールは、医師国家試験受験までの私の心の支えとなりました。

 霞が関の厚生労働省

 2003年4月24日、第97回医師国家試験の合格発表があり、私は全盲で初めての合格者になりました。しかし、前例のないケースということもあり医師免許はすぐには交付されず、同年8月4日、霞が関の厚生労働省で免許付与を判断するための面談が行われることになりました。

 当日、戸田先生が厚生労働省にガイドの方と来てくださり、初めての対面がかないました。車いす使用の全盲で人生初の霞が関、そして免許付与の可否が決まる何を聞かれるかわからない面談。私は最高に緊張していました。戸田先生は以前厚生省で働いていたこともあり、建物の内部もよくご存じでした。話題はよく覚えていませんが、私の緊張が少しでも和らぐようにさまざまな話をしてくださったことと、建物内の食堂でお昼をご一緒したことを覚えています。

 先生は、私の面談が終わるまで母と一緒に待っていてくださり、その間、母にいろんな話をしてくださいました。戸田先生がその日ずっと一緒にいてくださったことが、私や母にとってどれだけ心強かったことか、感謝してもしきれません。そして面談の結果、8月7日付で私は医籍に名前が登録され、正式に医師免許が付与されました。

 ゆいまーるの誕生

 医師免許交付後しばらくの間、戸田先生、下川医師、私の3人での交流が続いていました。そこに変化を与えたのが2006年4月、NHKラジオ「視覚障害者のみなさんへ」、タイトル『守田稔(医師)と大里晃弘(医師)の対談』の収録でした。渋谷のNHK放送センターで、全盲で医師国家試験に合格された大里医師と初めてお会いでき、そこに戸田先生も駆けつけてくださいました。この日から、ゆいまーる発足に向けての時計が動き出したように私は思います(機関誌第5号の「ゆいまーる10周年にあたって」にも詳しく書きましたのでそちらもご覧ください)。

 2008年3月23日、戸田先生が予約してくださった世田谷区視力障害者福祉協会に、視覚障害をもった医師5名、理学療法士1名が集まりゆいまーる設立準備会が開かれました。話し合いの結果、会の名称、役割分担が決まりましたが、そのとき戸田先生が強く希望されたのが機関誌の発刊でした。そこにいた誰にもそういった発想はなく、戸田先生が提案されなければ、今この機関誌も存在していなかったと思います。
 そして同年6月8日、視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)が発足しました。

 戸田先生と機関誌

 戸田先生は参与という肩書きで、歩き始めたゆいまーるを陰になり日向になり支えてくださいました。機関誌発刊の思いも貫かれ、編集世話人としてこまやかに会員に声かけをされて、2010年、機関誌創刊号を作り上げられました。その後も2年に1回、第3号まで精力的に機関誌作成に取り組まれました。

 戸田先生が設立準備会で機関誌作成を熱望されていたとき、私にはそれが何の役に立つのか正直わかっていませんでした。しかし今、機関誌はゆいまーるを広く知っていただくためのツールになっているだけでなく、貴重な記録となっています。戸田先生の機関誌作成の思いは第4号から生駒医師に引き継がれ、そしてこの第8号からは福場医師にバトンが渡されました。過去の機関誌は、ゆいまーるHPでご覧いただくことができ、サピエ図書館にも登録されています。毎号、国会図書館にも納本しています。

 今、機関誌があるお陰で、戸田先生の言葉をいつでもすぐに読むことができます。機関誌第3号から先生の一文をご紹介させていただき、この筆をおきたいと思います。
 戸田先生、私を、そしてゆいまーるを導き支えてくださり、本当にありがとうございました。

 …「ゆいまーる」なる沖縄の方言も全国区になりつつあるようである。そろそろ、よちよち歩きの幼児も学齢に達し、大きく羽ばたく候となりつつある。皆さま方の温かいご支援を賜る事を念じて、この稿を終えたい。
 ゆいまーるよ! 大きくなれ、大きくなーれ!
     機関誌第3号(2014年)「『ゆいまーる』結成後の輪の広がり」戸田 陽