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(2017年12月31日)

      名古屋めし

‘名物に旨い物なし’という言葉もありますが、私は‘名物はだいたい旨い・楽しい・思い出になる’との信念?を持って、なるべくその土地の名物を食べたい人です。

 そんな中で名物だらけなのが名古屋です。
‘名古屋めし’という言葉をご存知でしょうか? 私は最近知りましたが、たくさんある名古屋の名物料理を総称してそのように呼ぶそうです。

 私の中での名古屋めしの定番は、‘味噌カツ’‘味噌煮込みうどん’‘手羽先から揚げ’‘ひつまぶし’‘きしめん’‘天むす’‘台湾まぜそば’で、これだけでもどれを食べようかと迷ってしまいますが、他にもいろいろあるそうです。なので名古屋に出かけた時には、頭の中はいつも食べ物のことでいっぱい。

 そんな中でちょっと前から気になっていたのが、‘あんかけスパゲッティ’。これまでまったく聞いたことのない名前で、どうも名古屋名物らしいのです。
 先日、母親と名古屋に日帰りで出かける機会があり、ずっと気になっていたので食べてみました。写真を見ないで、名前のイメージだけで食べたので、味は想像を裏切られました。あんかけを勝手に出汁っぽい味だとイメージしていましたので、トマトケチャップにとろみをつけたような味のソースにびっくりしました。

 麺は太めで、ゆでて少しいためているのでしょうか。上にはエビフライと魚肉ソーセージのスライスが載っていました。ケチャップ味のあんかけは、個人的にはちょっと微妙と思ってしまいましたが、間違いなくこれまでまったく食べたことのない料理で、‘さすが名古屋めし! 個性的’と思いました。

 夕食は名古屋駅地下街で私の中での定番の‘味噌煮込みうどん’です。
 あー、美味しい〜♪

 名古屋は、まだまだ食べたいものがいっぱいです。


(2017年7月30日)

      ‘やせないお茶’の話

 体重が常に人生の最高値を維持し続け、中性脂肪やコレステロール、尿酸が検査でひっかかるようになった今日この頃。
 母親から、「‘やせるお茶’があるから飲み」と言われ、カテキンのたくさん入った特保のお茶を飲み始めました。

 それから早1年が経ちましたが、いっこうに体重は減りません。
 「ずっと飲んでるのにぜんぜんやせないね」と母親に言われ、‘お茶でやせるくらいなら、みんな苦労しないよね’と、自分で自分を慰めていました。

 すると最近、有名な牛丼チェーン店から、‘機能性表示食品’という表示が付いた、なんとなく体に良さげな牛丼が通信販売されるようになりました。
 また少し前には、‘特定保健用食品(トクホ)’の表示が付いた、これまたなんとなく体に良さげなコーラも販売されました。

 牛丼もコーラも、どちらかというと体にあまりよろしくないイメージの食品で、どうしたらそんな表示が付くのだろうと疑問に思い、ネットでいろいろ調べてみました。
 それによると牛丼の方は‘糖の吸収をおだやかにし、食後の血糖値の上昇をゆるやかにします’と書いてあり、コーラの方は‘食事とともに摂取することにより小腸での糖や脂肪の吸収を抑え、食後の血糖値や血中中性脂肪値の急激な上昇をおだやかにします’と書いてありました。

 また特定保健用食品(トクホ)と機能性表示食品の位置づけというところを読んでいると、
 ‘保健機能食品は、健康の維持・増進への働きを表示していますが、あくまで食品であり、医薬品ではありません。食品であるため、病気の「治療効果」「予防効果」を暗示する表示や特定の疾患を対象とした表示はできません。

 例えば「血圧が高めの方へ」という表示が許可されている食品に「血圧を下げる」などと表示することは消費者の誤認を招くため、できないことになっています。広告でアンケートやモニター調査結果、個人の感想などを使用し、特定の病気の予防・治癒効果があるような記載もしてはなりません。’
と、ありました。

 それを読んで、「あっ」と思いました。
 カテキンたっぷりのお茶は、‘やせるお茶’とは決して書いてありません。‘体脂肪が気になる方に! 脂肪を消費しやすくします’と書いてありました。
 ‘そうそう、だからやせないのね’と、一人納得し、そしてカロリーゼロコーラをビックマックセットで注文するのでした。


(2017年1月1日)

      「MyRoute」の話

 マイルートという言葉を聞いても、「何それ?」という方が多いかもしれません。「私の歩む道」という‘重たいお話’ではありません。
 それは、パソコンの画面を読み上げてくれるソフトを販売している会社から、その追加オプションソフトとして出されているもののひとつの名前です。といっても、その会社の回し者じゃありませんよ。これは私の趣味のお話です。

 では「MyRoute」は、どんなことをしてくれるソフトなのでしょうか?
 「MyRoute」では、既存のインターネットの情報を活用して、出発駅から目的の駅までの路線検索や、時刻表の検索などが全盲でも簡単にできます。「なーんだ、そんなこと」という普通の機能かもしれませんが、鉄道マニアの私にとっては、これまでに出会ったソフトの中でベストVに入る、とってもありがたーいソフトでした。

 鉄道好きの人には、大きな時刻表を買うとその1冊で結構楽しめる、という経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。私も目が見えている時は、そんなマニアの一人でした。
 時刻表は、普通のお出かけのためにももちろん使えますが、目的地をイメージして、時間的に早くとかではなく、マニア的に楽しく行くにはどうしようかと考えたり、印刷された情報から使用車両を想像したりと、普通の人には理解しにくい楽しみ方がたくさんありました。

 そして、いろいろ考えているだけで楽しくなり、実際に行かなければお金もかからない、なんとも役立つアイテムでした。目が見えなくなってしばらくの間、そんな時刻表の楽しみがなくなっていました。それが「MyRoute」と出会って、また復活しました。

 このソフトだけでは時刻表ほどの情報は得にくいのですが、検索の仕方を駆使したり、インターネットの情報を組み合わせるなどして、かなり楽しく脳内旅行ができるようになりました。そして、車いすに必要なバリアフリー情報を組み合わせると、実際のお出かけもとてもしやすくなりました。

 そんな「MyRoute」が、昨年秋頃からなんだか調子が悪くなってしまいました。検索がどんどんできなくなり、私の心は‘どうしよう’という気持ちでいっぱいになりました。開発会社に問い合わせて、その理由が判明。新しいソフトが発売されて、「MyRoute」のサポートが終わったとのことでした。そう言えば、「MyRouteU」というソフトが発売されたという案内が、しばらく前からあったな、と思い出しました。

 「うーん、どうしたもんじゃろのう」と、当時の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のセリフを言いながら、これはもしかして「持っているだけで手をこまねいているアイフォンの機能をがんばって使いなさい」との天の声?
 それとも「現実逃避ばかりしていないでたまっている仕事をやりなさい」という何かの暗示? かとも考えたりしました。

 が、しかし…。
 結局、「MyRouteU」をユーザー割引価格で買っちゃいました。
 「MyRouteU」は、さらに情報量がグレードアップしていて、なかなか楽しめそうな予感。ますます現実逃避に、ではなく実生活に役立ちそうです。


(2015年12月31日)

      「目が不自由になって味覚は敏感になった?」

 時々、「目が不自由になって残された感覚が研ぎ澄まされましたか?」と尋ねられることがあります。私はこれまで、「そうかもしれませんね」とずっと答えていました。
 音に対する集中力が昔よりある気がしてましたし、最初は絶対無理と思っていた音声パソコンのマシンガントークも聞き取れるようになりました。なので、きっと他の感覚も研ぎ澄まされているものと思い込んでいました。

 私は目や手足が不自由になって、‘食べる’ことへの関心と喜びが、以前より確実に大きくなりました。そしてその結果、味に対しても感覚が鍛えられているものと思っていました。2015年は、そんな味覚への自信を失わされた1年だったように思います。

 私はお酒も好きです。見えないので、利き酒大会がとても簡単にできます。
 日本酒3本の飲み比べセットを買って、まずは銘柄を聞いてから味見。
 ‘ふむふむ、なるほど、そうか’
 そしてそれから利き酒大会。自信を持って答えた解答は…。‘すべてハズレ’
 続いて缶ビールで銘柄当てクイズ。「これはスーパードライより味が濃い感じですね。うーん、プレミアムモルツかな?」と答えたビールの銘柄は…。‘スーパードライ’

 今年 一番ショックだったのは、「この北海道の味噌ラーメン。カップ麺でも本場のは美味しいね〜」と言って食べきったら、「あっ、間違えた。今 作ったの塩とんこつラーメンだった」との一言。
 残された感覚は敏感になってるんじゃないかなという浅はかな考えは、もろくも崩れていきました。

 でも考えました。‘美味しい’と感じることができていたら、それでいいのかも。たとえ味覚が多少間違っていたとしても、美味しいと感じることができれば‘幸せ’になれます。
 2015年。味覚への自信は失いましたが、‘食べる’ことへの関心と喜びは衰えることはありませんでした。
 来年も食べるぞー♪



(2014年12月29日)

      「冷凍食品」

 最近1人でできるようになったことで一番大きなことは、冷凍食品を電子レンジで温めて食べれるようになったこと。

 「えー、それってそんなにすごいこと?」って言われそうですが、これまでカップラーメンしか作れなかった私にとっては、かなりのレベルアップ。
 電子レンジに冷凍食品を入れて、時間はおおよそで設定。温めスタートと同時に音声腕時計のストップウォッチもスタート。希望の時間までストップウォッチが到達したら、中止ボタンで温め終了。

 スパゲッティ―、焼きめし、ショウロンポウはクリア。お好み焼きはちょっと難しい。というのが現在の感想。それでも、自分で自分ってえらいとほめてます。
 ところで、冷凍食品の種類の多さにびっくり! スパゲッティ―だけでもいろんな会社からいろんな種類のものが販売されてます。今しばらくは飽きずにチャレンジ続けられそうです。


(2014年1月5日)

      「落語がおもしろい!」

 先日、大阪天満宮の近くにある天満天神繁昌亭に初めて行きました。ここは関西では戦後60年ぶりの復活となる、落語専門の定席(毎日公演している小屋)になります。毎日昼席、夜席があり、週末には朝席も加わります。

 建物の内部はおそらくそれほど広くはないのですが、その分落語家さんとの距離を近くに感じることができました。また車いすでも入れるスペースがあり、私もスムーズに入場できました。

 私が聴いたのは昼席で、午後1時から4時半までありました。落語が全部で9席くらいあり、間に漫才とマジックが入りました。目が見えていなくても想像力があれば充分で、視覚障害をほとんどハンディーと感じることなく楽しい時間を過ごすことができました。どの落語家さんも上手に話されるのですが、その中でもさらに上手だなと感じる方もいました。

 すっかり落語にはまってしまい、家に帰ってからネットでいろいろ調べると、同じ題目でも、関東と関西では地名や内容が少し違っていることがわかりました。また話の中に出てくる昔の景色もとても興味深いと感じました。

 昼席の当日券で2500円、前売り券なら2000円。しかもコンビニでもチケットが購入可能と便利で、映画を見るより少し奮発すれば、これだけおもしろいものが聴けるのなら、また聴きに行きたいなと感じました。


(2013年7月7日)

 私は目が不自由になって、いろんな音を昔より意識するようになりました。鉄道の音が好きという話は以前しましたが、鳥や虫の鳴き声も昔より敏感に意識するようになったような気がします。今住んでいるところは街中ですが、比較的鳥や虫もいる環境で、いろんな鳴き声が聞こえてきます。

 少し前、夜明けが早いためか、5時前から大きな声で鳴いている鳥が1羽いました。変わった鳴き声の鳥で、うるさいくらいの声でしたが、私は嫌いじゃありませんでした。どうも彼女を探していたみたいで、時々別の方角から小さな鳴き声が返ってくることもありました。最近、朝 鳴かなくなったので、彼女が見つかったのかもしれません。

 また昼間、スズメがチュンチュンと鳴いているのはとても可愛く感じます。どこかの木にいっぱいで群がって、チュンチュン・チュンチュンと鳴いているのも可愛いです。「ああ、今日はうまかった、うまかった」とか、「よかったね、よかったね」とかしゃべっているのかなって想像します。
 ムクドリが群がって鳴いている時も、だいたいスズメと同じレベルの話でイメージしています。

 他方、カラスが鳴いているのは、可愛く感じません。たくさんで鳴いていることもよくあり、ぜんぜん可愛くはないのですが、鳴き方がいろいろあって、賢いカラスのことだから「今日はここはゴミの日だから、ごちそうがあるぞ」とか、「お前、オレサマの縄張りに入ってくんじゃねぇ」とか、高度な?会話をしているんだろうなと勝手に思っています。

 鳴き声といえば、昨日ついに1匹のクマゼミが鳴いているのを聞きました。クマゼミは好きとか嫌いとかではなく、うるさいといった感じです。たくさんのクマゼミが絶え間なく鳴いていると、他のいろんな音の大事な情報が聞こえにくかったりします。けどクマゼミもわずかな地上での時間はしっかり鳴かないといけませんものね。
 これから8月末まで、セミの鳴き声と一緒にまた猛暑がやってきそうです。いよいよ夏です。


(2013年2月3日)

 最近、「面白いよ」とそれぞれ別の人から勧められて音声図書で読んだ本が2つあります。
 1つは司馬遼太郎著の『胡蝶の夢』、もう1つは吉村昭著の『白い航跡』です。どちらも漢方医学中心の時代に、オランダさらにイギリス・ドイツの西洋医学を持ち込むのに活躍した人々が主人公のお話でした。

 『胡蝶の夢』では、奥御医師の蘭学者、松本良順と、とてつもない記憶力を持つ彼の弟子、島倉伊之助を中心人物として、幕末にポンペからいかにして西洋医学を学び広げていったか、そして幕末から明治にかけてをいかに生きたかが書かれています。また幕末に活躍した有名人が多数登場するので、それらの人々との関わりにも興味がつきません。

 他方『白い航跡』は高木兼寛を主人公とし、明治維新の頃から話が始まります。兼寛は海軍軍医となりイギリス医学を学び、軍人の病死の最大の原因だった‘脚気’の撲滅に取り組みます。そして病気の原因を食事に見出すのですが、ドイツ医学を柱とし細菌感染を脚気の原因とする陸軍と東京大学にその主張を阻まれてしまいます。

 どちらの主人公にも共通するのは、新しく伝わってきた医学の知識を人々の役に立つことと信じて必死に学ぼうとする姿でした(伊之助はちょっと違ってましたが 笑)。

 今の時代、私たちは知識や情報を求めれば、かなりのところまでそれほどの苦労もなくそれらを手に入れることができます。学びたいと思っていても、それほど学びたいとは思っていなくても、学ばせてくれる学校があります。ところが中途で目が見えなくなった時、私はそれらが本当はとても貴重なことだったことに気付かされました。そして、その時学びたいと心から思いました。この2つの本を読んだ時、そのことを改めて思い出し、‘最近ちょっと勉強してないんじゃない?’と心がチクッと痛みました。

 今年の大河ドラマ「八重の桜」と同じ時代のお話なので、ドラマを観ながら一緒にこれらの本を読んで、医学という別の角度から幕末〜明治を同時に知るのも面白いかもしれませんね。また、東京大学医学部、東京慈恵会医科大学、慈恵看護専門学校の成り立ち、順天堂大学の始まりを知ることもできます。


(2011年10月30日)

 先日、母とゆいまーる会員のI先生と学会に行ってきました。
 私は初めてだったのですが、I先生とそれぞれ別個に事前に学会事務局に会場内の移動をサポートしていただけるか相談の電話をしました。
 結果、何時にどの会場からどの会場に移動したいかを朝にスタッフの方にお伝えして、手引きや車いすの移動をサポートしていただくことができました。

 また別の話ですが、学会中、会場隣にあった大型ショッピングセンターのレストラン街に、同じく母とI先生と何回か食事をしに行きました。
 そんな中で、入口に2段の段差があるお店がありました。段差があるとそれだけで車いすは無理かなとあきらめることもあるのですが、「車いすいけますか?」と尋ねてみると、気さくに「いけますよ」とスロープを出してくれて店員さんがテーブルまで連れていってくれました。
 スタッフの数やサポートの準備体制、お店の準備体制などにより、移動や入店を尋ねても無理なことはあって当然だと思います。けれど今回のように気持ちよくお手伝いしていただけることもありました。

 何も言わないで、何も尋ねないであきらめてしまうのではなく、「ごめんなさい。無理なんです。」と言われてもいいや、断られてもそんな時もあるさって気持ちで、一度尋ねてみることは大事だなって改めて思ったI先生との学会旅でした。



(2011年6月26日)

     「おでこの話」

 私の目が針穴のような視野になってから12年、完全に見えなくなってからも10年が経ちました。当たり前の話なのですが、長いこと自分の姿や顔を見たことがありません。とはいうものの、自分の体のことはやはり気になります。いろんな情報や触覚を駆使して、自分の姿をイメージしたりします。

 わかりやすいのは体重が増えたなとか、ズボンがはけなくなったなとか、客観的に明らかな情報です。そして触覚も駆使します。お腹のぜい肉がどれだけ掴めるか、腕や足の筋肉がどれくらいついたか、髭がちゃんと剃れているかなどなど。私の手も大事な計測器です。

 そして一番の気がかりはおでこ、正確にはおでこの広さです。
 目が見えなくなった当初は、指3本を横向きに当てると、ちょっと指がはみ出すくらいの幅でした。ある頃から左右の剃り込みがだいぶ入ってきたなとは気づいていましたが、いよいよ前にも変化が表れてきました。今は小指を入れた4本が、すっぽりおでこに入ってしまいます。

 「ちょっとおでこが広くなってきたねん」と私が言ったら、最近家族は誰も否定してくれなくなりました。散髪屋さんも「そうやね」って肯定してくれます。私の祖父は二人とも今はもう亡くなっておりますが、一人は私がものごころついた時にはすでに頭にはなんにも残っておらず、どこから始まったのかもわからない様子でした。もう一人の祖父は長命でしたが、やはり側面と後頭部を残して、きれいな頭皮がたくさん見えていました。
 ということでDNA的にはネガティブな情報がいっぱいなのですが、父親がまだ髪の毛があるみたいですので、そこに期待したいと思っています。

 さて話は少し変わるのですが、私たち精神科医は、「同じ出来事があっても、ポジティブな解釈もできないだろうか」とさりげなく患者さんに促したりすることもあります。そこで、私のおでこについてもがんばってみました。
 ・髪が伸びてもなかなか目に入らない
 ・雨にあたってもすぐに水が流れ落ちる
 ・散髪の間隔が少し延びた

 うーん。どれもなんか苦しいですね。ということで、これ以上指の数が増えないことを心から祈りつつ、「おでこの話」を終わりたいと思います。



(2010年6月8日)

 ゆいまーる第3回総会 in 大阪が、6月6日無事に終了しました。
 北は仙台、西は熊本からと多くの皆さまにご参加いただき、総会や講演を通じて、ざっくばらんな意見交換ができました。

 さて今回地元大阪で開催するにあたって、大阪の観光地としてどんなところをご紹介できるだろうかと考えたりしました。
 まずは大阪城、道頓堀、通天閣などがすぐに思い浮かびました。けれど会場やホテルが肥後橋だったので、その周辺も調べたりしてみました。

 まず肥後橋という名前。ちょっと変わった名前だなとは思いつつ、今までなんでそんな名前かなんて考えたことはありませんでした。
 ネットで調べてみると、江戸時代、肥後橋の北詰の中之島に肥後 熊本藩の蔵屋敷があり、そこから橋の名前がついて、現在までその名前が受け継がれているそうです。

 もうちょっと調べてみますと、江戸時代の中之島には各藩の蔵屋敷がたくさんあって、全国各地の物資やお米が集められていました。
 そして中之島に米市を作って大儲けしたのが豪商 淀屋で、その淀屋が屋敷から米市まで行きやすくするために個人的に土佐堀川に架けたのが淀屋橋だそうです。

 おお、四ツ橋筋の肥後橋と御堂筋の淀屋橋は、こんなところで繋がっていたのか。
 私の頭の中の中之島ではたくさんの蔵屋敷が建ち並び、堂島川や土佐堀川の川岸では全国各地から集められた物資や米俵が荷揚げされています。
 そして肥後藩や諸藩が淀屋などの商売人にそれらを売って、またあちらこちらへと運ばれていく姿が思い浮かびます。
 目が見えない分、私の想像力がかきたてられます。これってお金もかからない上に、時代まで飛び越えることができるんです。

 空想は視覚障害者に与えられた、一石二鳥の究極の観光旅行かもしれませんね。


(2010年1月28日)

 今私は、あさってに迫ってきた講演の原稿をまとめています。

 大学関係の方が参加される会なので、「私の体験談」として、とくに障害をもってからの復学と、医師国家試験に至るまでのことを中心に書きました。
 当時を振り返って書いていますと、私は本当に多くの方々に支えられ、また励まされて、いくつもの障壁を乗り越えてこられたのだなと改めて感じました。

 あさっての講演では、舌がもつれずにちゃんとその体験談を喋れるよう願っています。


(2009年7月12日)

 最近、悩んだり、落ち込んだりすることが時々ありました。
 そんな時、私はやっぱり鉄道でイメージしたりしています。

 病気をして1年間入院して1年間通院した時は、脱線して修理を試みていた時。
 復学して以降は、線路に復帰したものの、ビューンと走ることはできないので、各駅停車でコツコツと進んでいるイメージです。

 なので悩んだり、落ち込んだりする時も、鉄道でいうところの運転停車(通過待ちや機関車の付け替えなどでゆっくり時間を取ること)と思ったりしています。
 そしてまた、鈍行列車は一駅 一駅 コツコツと走っていきます。


(2009年3月9日)

 2月中旬、私はある学会を聞きに長崎に行ってきました。
 生まれて初めての長崎訪問。長崎についての知識はほとんどありませんでしたが、たまたま長崎在住のゆいまーる会員の方がおられて、いろいろと見所を教えてもらいました。

 ちゃんぽん、皿うどん、角煮まんじゅうを味わい、グラバー園では長崎の坂を体いっぱいで感じてきました(車椅子を押している母親が)。
 教会から聞こえてくる鐘の音、チンチン電車や汽笛の音。空気や音も大阪とは全く違っていました。

 そしてマニアとしては外せない、「白いかもめ」にも長崎駅で初めて会ってきました。
 長崎には観光地もおいしいものもまだまだいっぱいありそうで、またいつの日か ゆっくりと訪ねてみたいと思いました。


(2008年12月7日)

 11月30日、永年親しまれてきた0系新幹線が定期使用から引退しました。
 私は10年前まで目が見えていたので、かろうじて700系新幹線まで自分の目で見たことはあるのですが、記憶としてはやはりこの0系新幹線やその後継車両の100系新幹線に関するものが鮮明に残っています。

 0系新幹線が引退していくことは一鉄道ファンとして普通にさみしいのですが、私にとっては自分の目で見てよく覚えている車両が消えていくことも、また別の意味で感慨深いものがありました。

 鉄道車両に限らず、車のデザインや人々のファッション、細かなところでは缶ジュースの絵柄なんかも どんどん新しくなっているんだろうなって、時々思います。

 知らなくても困らないものもたくさんありますが、もしも何十年も経ってから自分の目で世の中を見ることができたならば、きっとその変化の大きさにとてもびっくりするのでしょうね。
 けど 一番びっくりするのは、自分の顔を鏡で見た時だったりして…。


(2008年8月28日)

 1975年12月 大阪府生まれ。
 2003年 3月 関西医科大学卒業、医師国家試験受験。
 2003年 4月 関西医科大学精神神経科入局。

 小さなころから鉄道が好きで、乗ったり撮ったり集めたりしてました。
 23歳で光を失ってからは、趣味としてやっていけないと思っていましたが、発想の転換ですね。
 今は、乗ったり聞いたり匂ったりして楽しんでいる鉄道愛好家です。