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(2024年8月17日)
「電子カルテ奮戦記」
1.技術進歩の恩恵と弊害
目が見えなくても電子カルテをどれだけ自力で操作できるか? それは医療に従事する視覚障害者にとって、存続の命運を分ける切実な問題である。
PCトーカーやJAWSなどの音声読み上げソフトの開発によって、パソコンの画面が見えずとも文書を作成したり、メールをやりとりしたり、インターネットを閲覧したりできるようになり、視覚障害者のできる仕事は格段に広がった。私もPCトーカーの愛用者であり、その恩恵で失明後も働き続けることができている。技術の進歩は誠に有り難い。
ただ一方で、技術の進歩はあらゆることでも起きており、医療業界のIT化の波も凄まじく、当初は物珍しかった電子カルテも徐々に当たり前になりつつある。
2024年7月、ついに自分の職場でも電子カルテが導入されたのでその経験と気付きをここに残しておきたい。はたしてPCトーカーで電子カルテに歯が立つのか?
2.紙カルテ時代の手法
私の仕事は精神科医。カルテや診断書、紹介状などにおいて、患者さんの生活史や具体的な困り事を書く必要があり、どうしても文章の量が多くなる。そこで自分の場合は、一筆で終わるような短い記録は手書きとし、それ以外のものは全てWordで作成していた。まだ少し目が見えていた頃は、文字のフォントをゴシックにすることで見えやすくなったし、完全に見えなくなってからは、PCトーカーを導入することでまた自分で文章を打てるようになった。この時ほど、ブラインドタッチを習得していてよかったと思ったことはない。
診察の合間にWordで記録を打ち、ある程度溜まったところでプリントアウト。すると看護師さんがそれを切ってカルテに貼ってくれ、その後にカルテは事務処理へと回されていく。初診の患者さんの記録は特に文章量が多いので診察の合間に打つのは間に合わず、昼休憩や診療時間が終わった夜に打つことも多い。そのためカルテの事務処理が翌日になってしまうこともあった。
診断書や紹介状についても、急がないものは昼休みや夜にやるが、すぐ必要な場合はその場で打ってプリントアウト。緊急入院の場合の診療情報提供書の作成はまさに時間との勝負なので、ブラインドタッチの早打ちの腕が物を言う。普段の記録に情報をしっかり打っておくと、こういった際にコピペできるのでやはり備えあれば憂いなしである。
ちなみに所定の用紙があってWordで打てない書類は、精神保健福祉士さんに口頭で内容を伝えて代筆してもらうか、あるいはWordで打ったデータをUSBメモリーで渡し、それをうまく使ってもらったりする。
と、まあこんな流れで、私は紙カルテ時代の診療を長年行なってきたわけだ。医療秘書さんに診察に同席してもらって代わりに記録を打ってもらう、という手法もあるが、私の場合は自分で打った文章でないと読み返した時にその時の自分の気持ちを思い出すことができない。そして自分で打ったWordのデータが手元にあった方が読み返したり書類を作ったりする際に便利という理由から、診察は基本的に一人で行なっている。
3.電子カルテ時代を前に
そして始まる電子カルテ。実は以前に別の病院へ出向していた時、その病院はすでに電子カルテだったので全くの初体験というわけではなかった。そこではコメディカルスタッフが一人診察に同席するシステムだったので、次回の予約や処方の変更は口頭で指示するとそのスタッフが入力をやってくれた。そして医師記録については、PCトーカー搭載のノートパソコンを持参し、いつもどおりWordで作成してUSBメモリーで渡して帰る。すると後日そのスタッフがコピペして電子カルテに入れてくれる、という流れであった。
そのため今回の職場における電子カルテ導入でも、いざとなればその方法でいくしかないとは思っていた。しかし出向の際は月に数回、半日のみの勤務だったので患者さんの数もそこまで多くなかったが、自分の職場では当然、毎日終日勤務。数十人分のWord文書を毎日渡されて電子カルテにコピペする看護師さんも大変である。できれば自分で入力できるに越したことはなかった。
結論から言えば、それは可能であった。PCトーカーの技術は本当に素晴らしい。電子カルテの入ったパソコンを診察室に一台置いてもらい、それにPCトーカーを入れてもらうことで、電子カルテの入力画面にWord文書とほぼ変わらずブラインドタッチで入力することができたのである。
ただ、入力は問題なくても、自力でその画面までたどり着けるかというと、これが難しい。デスクトップから
電子カルテを選び、アカウントとパスワードを入力してログインするところまでは問題ないのだが、その後の操作において電子カルテというのはやたらに押さなくてはいけないボタンが多いのだ。
診察一つ取ってみても、患者さんの名前を選択し、『診察開始』や『診察終了』のボタンを押さなければいけない。記録を入力する際にも、外来で精神療法を行なった患者さんの記録か、デイケア参加中に診察した患者さんの記録か、それとも診察ではなくただの記録かによって押すボタンが変わる。そして記録を打ち終わった後も、確定ボタンを押さねば有効な記録にならないのである。
ソフトにもよるだろうから一概には言えないが、電子カルテは一画面の中に色々な情報が表示されており、全てのボタンにタブキーでたどり着けるわけではない。どうしてもマウスのカーソルで押さねばならないボタンが存在する。そして、操作する項目によって確定ボタンの位置も変化するので、カーソルを1カ所に固定しておけばよいというものでもない。
時間をかけて猛特訓すれば一人で全ての行程をこなすことも不可能ではないのかもしれないが、いずれにしてもWordの文書を開くようにチョチョイのチョイとはいかず、次から次へと患者さんを診察していく状況ではとても無理と判断した。
そして次回の予約や処方の変更作業についても、目を使わずに音声読み上げのみで行なうのは不可能、間違えるリスクが高すぎると判断した。
目が見えている人間にとっては、わずらわしかった手作業がボタンのワンタッチで済むのはとても便利。ただ目が見えていない人間にとっては、ランダムな位置に表示されるボタンのワンタッチが逆に難しいのである。
4.電子カルテ時代の手法
そこで職場のスタッフや電子カルテ業者さんとの相談を重ねて考えたのが以下のやり方。
まず、患者さんの名前を選んでから『診察開始』のボタン、そして『精神療法』あるいは『デイケア診察』のボタンを押す作業は看護師さんにやってもらう。目が見えている看護師さんなら3秒とかからない。そして必要な場合は前回の診療記録や処方内容を読み上げてもらい、看護師さんは患者さんを診察室に呼ぶと入れ替わりに退室する。
診察終了後、次回の予約日と処方の変更内容を私が口頭で患者さんに確認したら患者さんは退室。するとまた看護師さんが入ってくるので、私が予約日と処方変更を口頭で伝える。聞き間違えないように看護師さんはメモを取りながらそれを聞いてくれる。
そして私が「記録を直接打ちます」と言った場合は、電子カルテの入力画面を看護師さんが開いてくれて、私は入力作業。それをしている間に看護師さんは隣の処置室のパソコンで予約と処方を入力。複数のパソコンでアクセスできるのが電子カルテの大きなメリットである。また、コメディカルスタッフによる代行入力は、正式な操作として電子カルテでは許可されているのも助かる。
おおよそ1〜2分でお互いの作業が終了するので、そうなったら打ち終わった医師記録の確定ボタンを看護師さんに押してもらう。そして次の患者さんの診察へ…という流れだが、看護師さんは私が次の患者さんの診察をしている間に、待合室で前の患者さんに再度予約日と処方の内容が間違っていないか確認してくれている。そのダブルチェックで大丈夫なら処方箋を発行、お会計となる。
ちなみに診察の後で私が「記録を直接打ちます」ではなく「後で打ちます」と言った場合は、医師記録の入力作業をスキップして次の患者さんの診察へ入る。これは待合室が込んでいる場合や、内容が多くてとても1〜2分では記録を打てない患者さんの場合、しっかり打ちたい初診の患者さんの場合である。
後で打つ場合は昼休みなどに改めて看護師さんに医師記録入力の画面を開いてもらうか、私が手の空いた時にWord文書で記録を打ち、それをUSBメモリーで渡す。そうすると看護師さんは処置室のパソコンでUSBのデータを電子カルテにコピペしてくれる。文章の量が多い記録はやはり重要な内容の場合が多いので、私の手元にもWordでデータが残るのは何かと重宝するのである。
紹介状や診断書に関しても、電子カルテに専用のフォームがあるので、基本的にはその入力画面を看護師さんに開いてもらって作っているが、緊急の際などは今までどおり慣れているWordで作り、後からUSBでデータを渡して電子カルテにコピペしてもらっている。
5.電子カルテ時代の落とし穴
そんなこんなで1カ月半が経過し、それなりにスムーズに電子カルテに移行できた感じだ。とはいえ看護師さんにはいくつもボタン押しや予約と処方の入力作業を頼んでいるので、本当に有難いし申し訳ない。そこは少しでも良い診療をして返すしかないと思っている。
ただこの手法は、クリニックだから成立している。医師の数が少なく、診察室が固定で、医師一人ずつに電子カルテが入ったパソコンを与えられており、医師一人ずつに看護師さんがついてくれる。これがたくさんの外来が同時に稼働する大きな病院となると、診察室も固定ではなくパソコンも他の医者と共用だから、どれか一つにPCトーカーを入れればよいというわけにはいかないし、看護師さんも一人の医師にずっとついてサポートできるわけではないのである。
また、PCトーカーと電子カルテのソフトの互換性の問題も 実は大きい。PCトーカーは非常に有能だが、それをパソコンに入れることでWordの動作が鈍ることは稀にある。同様に、電子カルテの動作にも不具合をもたらす可能性があるのだ。
現在、うちの職場で使っているソフトはあまり相性が良くないらしく、PCトーカーを入れたパソコンでだけ特定の作業ができないという問題が生じた。その度に電子カルテ業者さんに伝えて解決はしてもらっているのだが、そもそも電子カルテを音声読み上げで操作することを想定されてソフトが開発されていないのは痛い。急ぎで診断書を発行しなくてはいけないのに電子カルテの動作が鈍った時には、以前に使っていたパソコンのWordで対応する時もあるのである。
そんなわけで私の診察室には新旧2台のパソコンが並んでいる。時にはハイテク、時にはロウテクが頼りになるということだ。
6.理想の電子カルテとは
電子カルテを用いるのは医師だけではない。看護師さんにサポートしてもらえるのはやはり医師という職種の特性も大きく、例えば目が不自由な看護師さんのために もう一人サポートの看護師さんを配置する、というのは、人員配置がシビアな病院という組織ではなかなか難しいのが現実であろう。
私だってそうだ。できればサポートなしで自力で操作できるに越したことはない。視覚障害に限らず、多様な障害の当事者であっても、練習次第で誰でも自力で基本的な操作ができるような電子カルテソフトの開発を期待している。そして、電子カルテを使えないという理由で職を失う医療者が、遠くない未来にいなくなることを願っている。
(2024年8月17日)
「第16回ゆいまーる通常総会レポート」
1.総会の変遷
ゆいまーるの創設は2008年。日本各地に暮らす会員が一堂に会する機会として、通常総会は年1回、東京と大阪を交互に開催地にしながら行なわれてきた。活動や予算について決議や承認を行なうだけでなく、ゲストを招いての講演会をしたり、施設見学をしたり、何より普段、会えない仲間との交流が一番の目的であった。
そんな貴重な機会である総会が初めて行なわれなかったのが2020年、理由は言うまでもなく新型コロナウイルスの感染拡大。しかし、翌2021年からはZoomを用いたオンラインという形で総会を再開、さらに2023年からはリアル会場プラスZoomというハイブリッドの形式となった。
怪我の功名と呼ぶべきか、コロナ禍がなければゆいまーるにこれほど迅速にオンラインが導入されることも、総会がハイブリッド化されることもなかっただろう。医療従事者であると同時に視覚障害当事者でもある会員たちにとって長距離移動は一つのネック、オンラインの導入でその問題がクリアされ、総勢数十名の会員が総会に参加するようになったことは大きな革命である。
昨年の開催地が大阪だったので今年は東京。東日本在住の役員で準備を進め、無事に第16回ゆいまーる通常総会は行なわれる運びとなり、僕も現地へ飛んだ。
2.総会前夜
現地参加の醍醐味の一つは前夜に開催される懇親会。総会会場近くの『さかな酒場 魚星』に30名近い会員と関係者が集まった。僕は初めての懇親会参加だったが正直驚いた。これが目の不自由な人たちの宴であろうか。
全盲の者は弱視や晴眼の者に料理をよそってもらったりメニューを読み上げてもらったりしなければならないが、それもコミュニケーションのよいきっかけとなり、語る、食べる、笑って盛り上がる!
よく見えなくても乾杯のコールでグラスを合わせ、口に運ぶまで何の天ぷらかわからなかったり、話しかけていた相手が実はトイレに立っていて空席だったりするのもご愛嬌、それがまた話のタネになる。
宴も後半戦になると、ベテランメンバーのみなさんは見えないはずなのに自由に席を移動、さらに会話を楽しんでいた。僕の席にも来てくださり、再会の握手や初対面の挨拶を交わした。
不思議である。顔を知らない仲間たちの笑顔がいくつも思い出に刻まれていく気がした。
3.総会午前
2024年5月26日(日)。一夜が明けていよいよ総会当日。会場は大井町「きゅりあん」。昨年度の参加者はリアルとオンラインが半々の割合であったが、今回は現地参加者が多数。司会担当の役員の進行で総会は幕を開けた。
まずは守田代表の挨拶。続いてみなさんの簡単な自己紹介と近況報告。オンライン組の声もまるでそこにいるかのように届いており、本当に文明の利器の力は凄まじい。その後は活動報告や会計報告、新役員体制発表などが行なわれ、僕も編集担当として関わった機関誌第8号について完成の目途をお知らせした。
また、昨年ご逝去された戸田陽先生…機関誌の発案者でありゆいまーる創設期の功労者でもある方…に対して守田代表から追悼と感謝のメッセージが贈られた。そして、この度 守田代表が第17回塙保己一賞を受賞されたことについて、みんなから祝福の拍手が贈られた。さらに国の電子カルテ標準化の動きに対して、ゆいまーる内で行なったアンケートをもとに要望書を提出したことも発表。
たくさんの人たちの力添えで歩んできた過去、今みんなで歩んでいる現在、そしてこれから歩んでいく未来。受け継がれてきたバトン、受け継がれていくバトンがゆいまーるにはいくつもあることを、僕はみなさんのお話を聞きながら感じていた。
4.総会午後
お昼休みは、みんなで談笑しながらお弁当をいただく。ここでもサポーターの方からお弁当の中身を解説していただくのがなんだか楽しかった。
午後の前半のプログラムは会員による講演会。オンラインやメーリングリストで交流していた仲間がこれまでどんな道を歩いて来たのか、どんな思いで今を生きているのかを改めてじっくり拝聴するのはとても興味深かった。
そして後半のプログラムは、オンライン導入から恒例となった少人数に分かれてのグループトーク。今年も会場組は運動部・文芸部・グルメ部・レジャー部・音楽部・アニマル部と部活に分かれて趣味の会話に花を咲かせた。オンライン組は人数が少なくフリートークになったが、そこでも視覚障害と日々の業務について活発な議論が交わされていた。
そして、最後は守田代表の挨拶でつつがなく閉会。颯爽とみんなそれぞれの日々へと帰って行った。
ゆいまーるの中では視覚障害をもつ医療従事者は当たり前の存在、自分もそうなら相手もそう。しかし業界ではまだまだ稀有な存在であり、普段の職場では目が不自由な医者は自分しかいない。でもだからこそ、こういった集いが大切になるのだろう。同じ苦労をしている仲間がいることを実感し、普段遣っている気を遣わずに思ったことを吐き出し、またそれぞれの一歩を踏み出すためのエネルギーをチャージする。
ゆいまーるはいじけて社会に背を向けるための会ではない。怒って社会と闘うための会でもない。当たり前の社会の一員として、笑顔でいるための会なのだ。
5.まとめ
懇親会も総会も、支えてくれる事務局の方、サポーターの方のおかげで成立しています。いつも本当にありがとうございます。来年は大阪でお会いしましょう。
(2024年2月1日)
「未来を歩く」
みなさんの子供の頃の夢は何だろう。「大きくなったらお医者さんになりたい」… そんな未来を描いた子供がいても、目が見えなくなってしまったらかつてはその夢を断念するしかなかった。法律の中の欠格条項というものが巨大な壁として立ちはだかっていたからだ。
2001年、医師の欠格条項の一部が緩和され、目が見えない者でも医師国家試験を受験したり、視力を失った医者でも仕事を続けたりする道が生まれた。ゆいまーるの守田稔代表は前者、僕は後者のケースだ。そして2023年4月、解放出版社から発刊された書籍『障害のある人の欠格条項ってなんだろう? Q&A』に守田代表と僕で原稿を寄せ、自身でも欠格条項について考えるようになった。
障害の有無にかかわらず全ての人間に職業選択の自由があるべきという考え方は正しい。ただ難しいのは、そもそも資格や免許は能力を有している者に与えられるものであるということ。法の下の平等だからといって、試験の点数が達していない者を合格にするわけにはいかない。だから欠格条項をなくすことと誰にでも資格を与えることは異なる。大切なのは「障害がある」イコール「能力がない」と決めつけてはいけないということだ。
とはいえ実際に障害者が健常者と同等の能力を発揮するのは難しい。目が見えない医者にレントゲンを読めというのは無理な話。これをクリアする一つの方法が、サポートによって足りない能力をカバーするというもの。例えば弱視の医者でも電子拡大鏡で画像を見るなどである。
もう一つの方法は、できないことはあきらめてできることを頑張るというもの。例えば目が見えない医者なら問診や聴診・触診、処方調整の技術を高めるなど。「あきらめる」という言葉は「明らかにする」という意味から来ているそうだ。自分にできないことをあきらめるということは、裏を返せばできることを明らかにするということ。決して後ろ向きな姿勢ではない。
そもそも欠格条項は資格に関する取り決め。資格や免許は多くの医療従事者の誇りであり、それによって使命感が宿り、未知のウイルスと闘うことだってできた。
ただ一方で、医療には資格至上主義が横行し、人間性や情熱よりも資格の有無が重視され、業界そのものを閉鎖的にしてしまっている側面もある。今後、欠格条項がさらに見直され、障害があっても情熱に溢れた者が参入してくることは、業界の風通しを良くするだけにとどまらず、新しい医療の在り方を生み出すことにつながるのではないだろうか。
門前払いではなくなったとはいえ、障害をもつ医療従事者が歩む道はまだまだ狭く険しい。ゆいまーるが存在することで、もちろん今を歩いている仲間たちを応援しながら、これから歩き出そうとしている仲間たちの道を少しでも整えてあげられたら嬉しい。
この会には、視力は頼りないが、情熱は頼もしい仲間がいる。目が見えないことで悔しい思い、情けない思いはたくさんする。視覚障害のせいで患者さんに不利益を及ぼすんじゃないかという恐怖も常にある。その気持ちを押してでも、自分は助けてもらいながらこの仕事をするんだと腹を括っている人たちがここにはたくさんいるのだ。
僕も失明するかもしれない未来を告げられた時は、景色よりも教科書よりも、何より夢が見えなくなった。でも今はゆいまーるのおかげで、また新しい夢が見られそうだ。
これでも医療従事者の端くれ。未来を歩く誰かのために、今僕たちも歩みを止めるわけにはいかない。
欠格条項書籍発刊記念イベント 福場講演URL:
https://m.youtube.com/watch?v=uk5FbrKP3Mo/home/
(2023年8月27日)
「全盲の精神科医ではありません」
僕は自己紹介をする時に「精神科医の福場将太です」とはなるべく言わず、「福場将太です。仕事は精神科医です」と言うようにしている。何故なら、精神科医が僕の全てでは全くないからだ。
僕を構成している要素は他にもたくさんある。例えば男性だとか、広島出身だとか、音楽・文芸好きだとか、ドラえもんファンだとか、カレー愛好家だとか、へっぽこ柔道初段だとか。だから精神科医だというのもそれらと同列なのだ。
視覚障害についても同じことが言えて、確かに目は見えないがそれが僕の全てではない。やはり構成要素の一つに過ぎないのである。
しかしながら社会では、どうしても医師や障害というレッテルが前面に出てしまいがちだ。まあ僕がどれだけドラえもんやカレーを好きだろうが、どこの出身だろうが、そんなこと社会においてはどうでもいいわけで、致し方ないことではある。ただ忘れてほしくないのは、精神科医であるということも、視覚障害者であるということも、あくまで僕の一面ということだ。
2023年7月にNHK北海道のテレビ取材を受けた時も、打ち合わせでディレクターさんに一番伝えたのはこのこと。人間は多面体、福場将太も多面体だから一面だけで捉えてほしくなかった。その感覚を理解してくださるディレクターさんだったのは本当に恵まれた。
ただ『精神科医』とか『視覚障害者』というのはパワーワードなので、視聴者の興味を引き付けなくてはいけないテレビ番組である以上、どうしても掴みの見出しは『全盲の精神科医』となったのだが、内容は「目が見えなくて大変だけど頑張ってる医者」ということではなく、「みんな多面体。医者も障害があったっていい、患者も障害があったってそれが全てではない」という構成にしてくださっていたのが有難かった。
改めて宣言する。僕は全盲の精神科医ではない。精神科医がたまたま目が見えないだけ、もっと言えばたまたま精神科医なだけ。それ以外の色んな面もたくさんたくさん併せ持っての僕という人間。そうありたい、そうなりたいと思っている。
* NHK北海道テレビの記事は、下記でご覧いただけます。
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n7078ec370260
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(2023年2月5日)
【その1】「アニバーサリーマン」
無類のアニバーサリー好きである。何周年記念なんて言われるとそれだけでテンションが上がってしまい、先日も新宿区視覚・聴覚障害者交流コーナーの講演依頼を10周年記念ですと言われてすぐさま快諾した。神戸アイセンターの5周年記念式典と聞くやいなや、コロナの病み上がりのくせに北海道から現地へ飛んだ。昨年のゆいまーる機関誌も第7号ということで編集に燃え上がったし、そもそも医学部卒業後に医者になれずに放浪していた時ももう一度国家試験を受けようと思ったのは、それが第100回試験だったからである。
そんなアニバーサリーにチョロ過ぎる男にとって、2023年は奇跡のアニバーサリーイヤーになりそうだ。
自分の好きなものだけに限定しても、今年は刑事コロンボの放映55周年であり、ブラック・ジャックの連載50周年であり、サザンオールスターズのデビュー45周年であり、ファミコンの発売40周年であり、Winkのデビュー35周年であり、僕の小学校卒業&中学校入学30周年であり、インディ・ジョーンズ最新作の公開年である。
そんなわけで「うちのカミさんがね」と呟いたり、黒ずくめのコートを着たり、『涙のキッス』を歌ったり、マリオの真似してジャンプしたり、『淋しい熱帯魚』を踊ったり、昔の同級生に連絡したり、あえて扉が閉まるギリギリでエレベーターに乗ったりして過ごしている。
アホかと言われればまさしくアホなのだが、それで今年は楽しい年になるような気がしてくる。生きててよかったと思えてくる。物事をポジティブに捉えること、それは心の健康の基本なのだ。
2023という数字だって見方によってはミラクルナンバー。2023は素因数分解すると17×17×7、つまり今年はセブンティーンを二乗してさらにラッキーセブンを掛け合わせた青春と幸運が溢れる年なのだ。こじつけなのは百も承知、でもそれでエネルギーが湧くじゃないか。
そして今年はさらに、本当にアニバーサリーなことがある。それは我らがゆいまーるの15周年! 加えてゆいまーるでもお馴染みの京都府視覚障害者協会が発行しているメルマガ色鉛筆の10周年!
これだけ揃っていい年にならないはずがない。さあ皆の衆、テンションを上げようではないか! 歌って踊ってアニバーサリーを祝福しようではないか!
ちなみに去年は去年でミスチル30周年と仕事サロン10周年ではしゃいでいたのは内緒である。
【その2】「イメージソング」
昨年のつぶやき原稿でも書いたが、何か印象深いことがあると音楽にして残すのが僕のライフワークである。そして今年はゆいまーるの15周年、非公式ながらイメージソングを作るのは当然の流れ。「ゆいまーる」とは沖縄の言葉でつながりや結び付きを意味するので、それを感じられるような曲にできたら嬉しい。
普段は楽曲が完成してから自分のホームページに音源を公開するのだが、今回はそれに先駆けて歌詞だけの段階でここに掲載しておきたい。やがてどんなメロディが生まれてここに宿るのか、想像してお楽しみいただけたら幸甚である。
♪『ちいさな役割』♪
この暗さも このつらさも
あの別れも あの報せも
嘘ならば 夢ならば 何度も願った
望みはない 居場所はない
答えもない 時間もない
無意味だと 無慈悲だと 何度も思った
一人一人のちいさな役割
果たせたら 結べたら 大きな結果が出る
私にもあるちいさな役割
果たせたら 結べたら 誰かの奇跡になるのかもしれない
出会う度に 集う度に
笑う度に 学ぶ度に
遂げたいと 逃げたいと 何度も迷った
もう命が嫌で でも命が好きで
生きてたら 生きてみたら バトンが回ってくる
あなたにもあるちいさな役割
果たせたら 結べたら 誰かの奇跡になる
誰かの命になるのかもしれない
試聴URL:
https://micro-world-presents.net/cat_musics/22/
(2022年8月12日)
【その1】 「一つの曲ができるまで」
僕のライフワークは音楽や小説の創作活動だ。今回はこの場をお借りして、一つの楽曲の制作過程について書いてみたい。創作に興味のある方は暇つぶしにでも読んでいただけたら幸いである。
1.着眼
2022年4月某日、僕はオンラインで開催された『網膜色素変性症フォーラム』というイベントに参加した。その中で特に印象的だったのがトークセッション。晴眼者1名、当事者は僕を含め3名という計4名での座談会、トークテーマは「カミングアウト」、すなわち視覚障害の告白であった。
自由に話しているうちに気付けば話題は恋愛のことが中心に。好きだからこそ言えない、デートにも臆病になる、結婚となると相手のご家族にどう思われるか、などなど様々な不安が語られた。でも一方で、普通は人に言いたくないことを打ち明けてくれたと思うと言われた側も嬉しい、目が見えない人とデートするのも新鮮な発見があって楽しい、家事や育児だってやってやれないことはない、などなどいくつもの希望も語られた。
そして、そんな話をしながら僕は思った…これは曲になる、曲にしたい、と。
2.着想
創作をする人間にとって、着想の瞬間というのは何ものにも代え難い幸福であり、やがてそれが成就して作品になった時はさらに至福。そんなわけで網膜色素変性症フォーラムが終わると同時に今度は楽曲制作に動き出した。
楽曲を作る場合、曲から作るか、歌詞から作るか、あるいは同時に作るかというのはその時次第なのだが、今回は曲からとなった。ほんのり苦くて甘い曲、というイメージでギターを鳴らすと、不思議なほどメロディーはすぐに完成した。
なんだ、今回は楽勝か? と思ったのも束の間、ここからが大いに難航した。歌詞がはまらない。トークセッションで語られた言葉、感じたことを色々と書いてみるのだが、どうもうまくいかない。ほろ苦くて甘い歌詞、というのはなかなかに手ごわい。カミングアウトの曲なので冒頭は「あのね あのね」という呼びかけにしようとは決めていたのだが、次に何を言えばいいのかがわからない。
でもここからが創作活動の面白いところで、そんなことを考えながら生活していると必ずひらめきが起こるのだ。ある時、もらい物のお菓子の中にマドレーヌが入っていた。それをかじった瞬間に脳内でビッグバン、「あのね」と「マドレーヌ」は韻を踏んでいる、これだ! スイーツの名前を並べようと思い至った。
甘い雰囲気の曲にするためにスイーツを使う、というのはあまりに安易なアイデアではあるが、あの時のトークセッションもどこかお菓子を囲んでのお茶会みたいだったからこれで決定することにした。
3.着手
歌詞と譜面が決まればいよいよレコーディング。残念ながら目が見えなくなってからリズムマシーンでドラムを打ちこむことはもうできない。なのでマイクとギターを機材につないで弾き語りの一発録音。アナログな手法ではあるが、自作の曲を演奏する時というのはまさに夢心地である。
それが終わると、今度は録音した音源に他の楽器やコーラスを加える。そして耳だけを用いての編集作業。
こうして完成したのが『スイート☆カミングアウト』という楽曲である。
4.帰着
正直、今は作ったばっかりなので浮かれている。夜中に夢中で書いたラブレターを翌朝に読み返すと幻滅するのと同じ、時間が経てばきっといくつもダメ出ししたい箇所は出てくるだろう。もっと良い歌詞だって思い付くかもしれない。でもそれは創作活動の常、その後悔は次作に活かしていくしかないのだ。
でも少なからず、1年後でも10年後でも、この曲を聴き返せばあのトークセッションで感じた気持ちを思い出せるはず。作品は僕にとって心の保管庫。昔の懐かしい心に帰り着けるのもまた人生の楽しみである。
こんな感じで僕は音楽の創作を続けてきた。きっとこれからも続けていくだろう。実は今年5月のゆいまーる総会でも一つの着想が起こった。これもいずれ形になってくれたら嬉しいと思っている。
では最後になりますが、視覚障害の告白をテーマにしたラブソング、『スイート☆カミングアウト』の歌詞をご紹介させていただきます。ご興味のある方は福場のホームページで音源を試聴できますのでいつでも遊びにいらっしゃってください。
https://micro-world-presents.net/cat_musics/18/
♪『スイート☆カミングアウト』♪
あのね あのね あのね 本当は
でもね でもね でもね 続きが言えない
マドレーヌ マドレーヌ マドレーヌのように
レモネード レモネード レモネードのように
甘酸っぱい嘘で隠し続けてた
打ち明けてしまったら既成事実になるのか?
これ以上君を騙したくない
きっと君に言うよ もうすぐ見えなくなる
ちゃんと聞いてほしいな I’m coming out soon
ミルフィーユ ミルフィーユ ミルフィーユのように
シュークリーム シュークリーム シュークリームのように
柔らかい愛で包み込まれてる
よけられないkissは規制緩和になるのか?
新しい海を見せてあげたい
きっと君に言うよ 本当はもう見えてない
無茶なデートしようか I’m coming out slow
どんな言葉で どんなタイミングで
どんな顔して 伝えればいい?
そっと君に言うよ 本当はもう見えてない
笑ってほしいから You are light!
君に言うよ それでも見つめている
君だから言うんだって I’m coming out sweet
あのね あのね あのね 本当は…
【その2】「愛用の7つ道具」
2022年夏、ゆいまーる機関誌の第7号が無事完成しました。今回は第7号にちなんで「7」という数字にまつわるエッセイを特集しました。その原稿募集の際に例文として考えたエッセイをここで紹介させていただきます。実際に会員のみなさんから集まったエッセイは専用のページに掲載されておりますのでそちらをご覧ください。ではここからです。
ライター、万能ナイフ、万年筆、手鏡、ヘアピンなどなど、あなたには愛用の道具はあるだろうか。コロナ時代になってからはすっかりマスクが必携になったが、それ以外にも目を悪くすると色々な道具を普段から持ち歩いているものだ。今回は、ジャケットのポケットやバッグの中をまさぐって、僕の7つ道具をご紹介したい。
1.ボイスレコーダー
重要な予定や約束、講演会や研修で学んだ知識、思い付いた楽曲や小説のアイデアなどなど、忘れてはいけないことをすぐワンタッチで録音できる文明の利器、それがボイスレコーダーだ。目が見えない人間にとってはメモ帳代わりであり、職場でも実生活でも大活躍。さらに音楽や音声図書を聴くプレイヤーの用途も兼ねてくれている。まさに人生の相棒とも呼ぶべき存在。
2.音声パソコン
正確には音声読み上げソフトである『PCトーカー』をインストールしたノートパソコン。仕事の書類はもちろん、今このエッセイの原稿が書けるのも、メールでファイルをやりとりできるのも、オンラインで交流できるのも、一度はあきらめた小説の執筆がまたできるのも全てこいつのおかげ。開発者様には足を向けて眠れない。
3.音声携帯電話
音声読み上げ機能のついた携帯電話。もちろん形はガラケイ。おかげで、画面を見ずともアドレス帳から選んで電話をかけたり、メールをやりとりしたり、インターネットを閲覧したり、レンタルDVDを注文したりと非常に重宝。ボイスレコーダー、音声パソコンと合わせて三種の神器といったところだ。
4.音声腕時計
トーキングウォッチの腕時計バージョン。診察中や会議中、飛行機の機内など携帯電話を使えない状況で時刻を知るのにとても助かる。ストップウォッチ機能で時間も計れるため、講演や授業をする際の練習にも役立つ。
5.サングラス
いわゆる遮光メガネで、眩しさから目を守るために使用。顔の前面だけでなく側面もガードしてくれる黒のゴーグルタイプ。雪の乱反射が激しい北海道の冬には欠かせないが、コロナ予防でマスクも同時に装着していると明らかに不審人物になってしまうのが難点。別に指名手配犯でもお忍び旅行の有名人でもないのだが。
6.目薬と頭痛薬
この2つの常備薬もいつもポケットの中にある。たいして目を使っていないはずなのに目は結構疲れてくるもので、そこから頭痛も起こりやすい。持っておくと非常に安心。
7.フォークギター
人生のもう一人の相棒はやっぱりこいつ。どんなにイライラしてもギターを弾きながら歌えばすっきり、どんなにつらい出来事も楽曲に変えてしまえば乗り越えられる。僕にとってこれ以上の特効薬はない。職場でも家でもすぐ弾ける状態でいつも手近に置いてある。
そんなわけで、ギターを弾くためのピックは財布の中、チューニングするための音叉はバッグの中に常備されている。
以上、7つもあるだろうかと思ったらあっさり揃った。本来ならここに白杖をラインナップしたいところだが、7つ道具と呼べるほどまだ使いこなせていない。また、最近は視覚障害を補ってくれる数々のデジタル機器やアプリが登場していると聞く。根っからのアナログ人間だが、少しずつ新たな文明の利器にもあやかりたいと思っている。
(2021年7月15日)
【その1】最愛の名探偵
有名な名探偵を10人挙げてください、と言われてスラスラ答えられる人はかなりのミステリーファンだと思う。まずはシャーロック・ホームズが浮かぶとして、次に出てくるのは誰だろう。国外ならエルキュール・ポワロ、国内なら金田一耕助がやはり有名か。少し通になってくるとエラリー・クイーンや明智小五郎、2時間サスペンスが好きな人なら浅見光彦や十津川警部が思い付くかもしれない。
推理小説やミステリードラマの味わいには、ストーリーやトリックはもちろん、謎を解く名探偵の魅力というのも欠かせない。特にシリーズ物となると、そのキャラクターは非常に重要で、いかに読者や視聴者を引き付ける名探偵を生み出すかということに推理作家は日夜頭を悩ませているに違いない。
しかし、これまでにない新たな名探偵のキャラクターを考えるというのはなかなかに難しい。警察関係者や私立探偵以外にも、新聞記者、家政婦、俳優、博士、主婦、学生、時には動物や幽霊まで、古今東西様々な職種、老若男女の名探偵がすでに存在している。
その意味では漫画から生み出された金田一少年や江戸川コナン、テレビドラマから生み出された古畑任三郎や杉下右京などは、ちゃんと知名度を確立した平成以降の名探偵として素晴らしい功績と言えるだろう。
ちなみに僕が最も好きで最も衝撃を受けた名探偵は刑事コロンボ。この人が画期的なのは、ホームズを筆頭に多くの名探偵がまとっている超然的で天才的なオーラは一切なく、ヨレヨレのレインコートとモジャモジャ頭の冴えないおじさんであるということ。そんな一見うだつの上がらない刑事が銃撃戦やカーチェイスをすることもなく、ただ頭脳と心理の駆け引きだけで自信満々のエリート犯人を追い詰めていくこのシリーズは、世界中で幅広い人気を得た。特に日本では「うちのカミさんがね」という独特の邦訳と声優さんの名演もあって、お茶の間でもそのキャラクターが愛された。
全ての話を収録したブルーレイボックスが世界に先駆けて日本で一番最初に発売されたのも有名な話。視聴者は犯人を当てるのではなく、最初からわかっている犯人と名探偵の対決を楽しむ。このスタイルのミステリーでは間違いなく金字塔であろう。
実はコロンボを演じたピーター・フォークさんは幼い頃に病気で片目を失っている。表情で演技する俳優にとって片目が義眼というのはかなりのハンディキャップだっただろうが、コロンボのあの独特の目付きや挙動にはその義眼がプラスに作用していたように思う。
あきらめずに俳優を続け、コロンボという当たり役にめぐり会い、世界中に知られる名探偵の一人になった。これは障害を価値に変えた、バリアバリューの一例と呼んでもよいのではないだろうか。だからこそ、僕は余計にコロンボが大好きなのかもしれない。
【その2】僕の発明王
僕がどんなに感謝してもし足りない相手、それはパソコンで使用する音声読み上げソフトの開発者様である。今だってこの文章が打てているのは紛れもなくその人のおかげなのだ。どこのどなたか存じませんが、本当に何とお礼を言ったらよいか。
幸い中学・高校時代にパソコン部に所属していたので、当時はまだパソコンが一般家庭に普及している時代ではなかったが、僕はブラインドタッチを習得していた。学内新聞の記事や自作の曲の歌詞、ヘタクソな推理小説などをパソコンで打って楽しんでいた。大学に進んでからも趣味だけでなく、部活のホームページや合宿のしおりの作成、病院実習のレポートの作成などでもパソコンは大いに活躍してくれた。
そして大学を卒業して精神科医になったわけだが、この仕事はやたらに書類作業が多い。カルテには患者さんの症状だけでなく、語った言葉、生活歴や治療歴なども書かなくてはならないのでどうしても文章は長くなる。紹介状や各種診断書も同様だ。だから目が見えなくなった時、患者さんの姿が見えないこともそうだが、自分で文章が書けないことが大きなネックとなった。新米のくせに早々に引退も覚悟したくらいだ。しかしこの危機を救ってくれた物こそ、音声読み上げソフトである。
おかげでまた自分で文章が打てるのは本当に嬉しい。例えば初診の患者さんが来た時、その人のこれまでの経過は必ずしっかり書く。仮に他の病院から紹介状を持って転院してきた患者さんでも、その紹介状に書かれた生活歴・治療歴を必ず自分の言葉に咀嚼して打ち直すようにしている。やっぱり自分で書くと頭に入るからだ。普段の診察の記録も、自分で書いた文章は次回読み返した時にその時の雰囲気や自分の気持ちを思い出させてくれる。なんと有り難いことか。
その他、看護学校の講義で使うプリントやスライドの作成、ゆいまーるのこころだよりの執筆、メールのやりとり、そしてライフワークの小説や音楽の創作、これら全て音声読み上げソフトがなくては成しえないものばかりである。
本当に開発者様には足を向けて眠れない。僕にとってはエジソンの白熱電球と同じくらい、いやそれ以上に歴史に残る、人生を救ってくれた大発明だと思っております。ありがとうございました!
(2020年8月11日)
【その1】『こころだより』の書き方
ゆいまーるのおかげで、点字毎日に連載中の『ゆいまーるのこころだより』の原稿を書かせてもらっています。文章の書き上げ方は色々あると思いますが、僕の場合は、ひとまずテーマを決めたら思い付くままに書いてみます。すると大抵規定文字数を超過してしまうので、今度はそこからどんどん削除する作業を行ないます。実はこれが結構面白いもので、まずは段落単位で大きく削除していきます。時には一つの話題が丸ごとカットになることもあります。
続いておおよそ規定文字数に近付いたら、細かく単語や文を削っていきます。なんだか散髪してるみたいですが、最終的には最初に書いたものの3分の2くらいの文量になって脱稿します。またそこから編集者さんとの最終の微調整。散髪でいうと、頭を洗った後にちょこっと切りそろえる感じですかね。これでようやく完成版となります。
まあこんな感じで書いている『こころだより』。今年の2月に神戸アイセンターのイベントに行った際、点字毎日の関係者とお会いして、読者からなかなかの反響をいただいているとの嬉しいお言葉をもらいました。それはきっと守田代表を始め、各先生方それぞれの文章のテイストがあってこそと思います。この8月末は僕の担当。依存、妄想、不安ときて、またまた精神科医療と切っても切れないテーマを選んでみました。この4カ月に一度の執筆がとても楽しみです。
【その2】この曲は何色に見えますか?
とりわけポップスやフォークソングといった軽音楽では、コードというものが重宝される。コードとはすなわち和音のことであり、Cのコードはドミソの和音、Aマイナーのコードはラドミの和音といった具合で決まっている。フォークギターなどはあの6本の弦で6つの異なる音を同時に鳴らして和音を奏でているわけだ。コードを切り替えていくのがすなわち伴奏であり、ここに歌の主旋律を乗せて曲の完成となる。
このコードの世界が僕はとても面白い。音一つ一つには明るいも暗いもないのに、和音になると明るく響いたり暗く響いたりする。例えばドミソを鳴らすと明るいが、ミを半音下げてミのフラットにして鳴らすと途端に暗くなる。逆に一音足してドミソシの和音で鳴らすと爽やかになる。そう、どんなコードをどんな順番で並べるかが曲のカラーを決める。
今年解散から50年を迎えたビートルズの楽曲が未だにあれだけ印象的なのも、俗にビートルズコードと呼ばれるそれまでになかった斬新なコードの使い方をしている点が大きい。ヒット曲を聴きながら、どんなコードが使われているかを解析するのが僕の密かな趣味である。
先ほどカラーという言葉を使ったが、音楽には色があると思う。だから僕は誰かと音楽を聴いた時、「この曲は何色に見えますか?」と必ず尋ねる。何のこっちゃと思われることもあるが、ちゃんと色を答えてくれる人がいるととても嬉しい。
それは必ずしも僕が見えた色とは違うのだが、それもまた面白い。僕には水色に見えた曲が紫色に見える人もいるのだ。またギターやピアノをやっている人には、コード一つ一つが何色に見えるかも質問するが、この答えも人それぞれでとても興味深い。僕にはCのコードは黄色に見えるが、ある人は緑色と言った。僕にとっては緑色はEのコードだったりするんだけど、まさに十人十色、心の謎は深まるばかりだ。
何はともあれ、目を悪くしても、耳で色彩を感じられるのは楽しいことである。
(2019年1月1日)
☆☆ 福場 将太 Official Websiteのご紹介 ☆☆
https://micro-world-presents.net/home/
2019年元旦、長年の夢であった自分のウェブサイトを始動させることができました。自由に創作活動や表現活動を行なう小さな世界、その世界からの贈り物という意味でサイトは[MICRO WORLD PRESENTS]と名付けました。
コンセプトはただ好きだからやる活動、僕が元気な心でいるために不可欠なライフワークを紹介していきます。主に更新していくコンテンツは、
★ 音楽室 … 自作の楽曲をアルバム単位で紹介
★ 図書室 … 自作の推理小説を紹介、刑事カイカンシリーズなど
★ 研究室 … 日々の思いを綴ったコラム、視覚障害当事者としての活動報告を掲載
コンテンツはまだまだ充実させていく予定です。たまたま聴いたラジオから流れる音楽のように、たまたま立ち寄った本屋で手にした小説のように、ふらりとぶらりとこのサイトをお楽しみ頂けたら嬉しいです。
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