【神に与えられた障害と共に生きる重ね着人生】 【機関誌】 Top
佐藤 正純(さとう まさずみ)
1996年2月25日に、私がスノーボードの転倒事故による頭部外傷で皮質盲を含む重度障害を負ってから今年で14年が過ぎました。当時 私は37歳、横浜市立大学病院に勤務する卒後12年の脳神経外科専門医で、その年には医局長を務めた後に海外留学をして論文を仕上げるという将来の予定もありました。
家には結婚7年目の家内と4歳・0歳の娘2人がいて、なかなか家族サービスもできない忙しさながら安定した家庭生活を送っていました。それが、不慮の事故によって1ヵ月にわたる昏睡状態の末に意識が回復した時には、視力障害と歩行困難、高次脳機能障害などが重複した重度の障害者となっていました。
受傷から1年半後、39歳となって職業リハビリには到達できずにリハビリセンターから退院しましたが、視覚を失った私が脳外科臨床の仕事に2度と復帰できないのは明らかで、ここで大きな人生の転換をしなければならないことになりました。脳外科医という仕事柄、脳という中枢神経の再生が不可能であることを知っていましたので、自分の視覚障害が治癒不能であることは素直に受け入れることができましたが、まだ30代の自分が残りの人生をただ無為に過ごすことはできず、家族のためにもそれは許されないことでした。
退院した私は、その当時の自分に何ができて何ができないかを明らかにして、まず日常生活の中で自立できる範囲を広げることから始めました。次には、リハビリセンターで不可能とされた職業リハビリに挑戦するために、手の届く目標に向かって独立歩行訓練、点字教室、パソコンの音声読み上げソフト技術習得、インターネット接続などで自らのリハビリプログラムを立てて一つずつ追及していきました。
その結果、受傷6年後には大学医局からの紹介もあって、横浜市内の医療福祉専門学校の非常勤講師として、曲がりなりにも社会復帰を果たすことができました。その後は、「職業は最大のリハビリである」という言葉通り、脳機能の回復と共に仕事の幅を広げることができて、現在は受傷11年目で就職した有料老人ホームで、診療には直接関われない立場ながら福祉現場の後方支援として常勤の医療相談員を務めています。
また、依頼に応じて医学・福祉の講義や自身のリハビリ体験を題材とした講演、月刊誌への原稿執筆、新聞・ラジオなどメディア取材への協力などといった仕事も広げています。障害者バンドの指導やジャズハウスのジャムセッションへの参加などの音楽活動も変わらずに続けています。
障害を負ってから今まで私を支えてきたのは、「人は誰しも何らかの責任を持って生まれるべくして生まれ、生きるべくして生かされている」という死生観です。私は特定の宗教を持ち合わせてはいませんが、医の与り知らぬ生死の力が働く救急医療の現場で、医学の限界と神の存在を意識しながら働いてきた現役の頃からこうした発想を持つようになっていました。
ですから、瀕死の重傷を経て奇跡的に生還して、今 この世にいられるのは、まだ私になすべきことが神から与えられているということであり、命と引き換えのように負った障害も、医師と患者の両面を経験して考える機会を得るために、神から与えられた財産のように思えているのです。
次に私を常に前向きの気持ちにさせてくれているのは、重度の障害を負って仕事が続けられなくなっても、自分は何も変わったところはなく、それまでの仕事や趣味で育ててきた経験を活かして切れ目のない人生のレールをこれからも走っていけるはずだと信じているからです。
リハビリの段階で、医師としての資格と経験、そして人脈が具体的な復職に役立ったことは言うまでもありませんが、ジャズピアノや歌の伴奏といった音楽の趣味や、鉄道少年だった昔から持ち続けてきた鉄道への興味がリハビリにどれほど役立ったかわかりません。ですから、私が医師だった故に特別なリハビリができたというわけではありません。
障害が受容できずに過去を引きずっている患者さんはリハビリが進まないので、その解決のためには自分の過去を捨ててもらわなければならないという障害受容論は間違いだと思っています。人には誰でも様々な経験をしてきた大切な過去があり、それから活かせるところをなるべく重ねて未来の人生に繋げていくことが大切だというのが、私の重ね着人生理論です。
また、私にとって最も有効だったのは、自分なりの心のリハビリでした。私もすべて順調にリハビリが進んだわけではなく、何度か行き詰まって挫折を感じたことがありました。ですが、いつも昨日・先週・先月・去年の自分を思い出して現在と比較し、そこに少しでも進歩が感じられれば自分の努力を褒めてやるといういささかおめでたい考え方をするだけで、明日への意欲を失うことなく歩いてくることができたのです。
ですから私のことを「前向な性格ですね」と言ってくださる方には、「いいえ、私は常に過去を振り返りながら進んできた後ろ向きな性格です」と答えることにしています。障害者に対する社会の風はまだまだ冷たく、私も未だにリハビリの途上にあって苦労していますが、私たち障害者は「Challenged(挑戦するよう神から運命づけられた人)」なのだから、与えられた試練も神から与えられたものだと思えばつらいことは何もありません。
さて、私は障害を負ってから多くの障害者とその支援をしてくださる方に出会い、かえって自分の世界が広がったように感じています。その一つがこのゆいまーるで、2005年にお招きを受けて出席した大里先生の国家試験合格祝賀会で、大里先生、和泉さんとお会いしたことから、ゆいまーるの設立に関わることになりました。
障害者団体にとって大切なことは、集団として主張を発信することもありますが、最も大事なのは、障害者が社会と共存していくために必要なスキルを共有することで、それが助け合いの心(ゆいまーる)だと思います。
私自身の些細な経験から伝えられることはわずかですが、各自が少しずつ工夫を見せ合って新入会の方にも伝えていくことで会の発展がなされることと信じています。