【川畠成道(かわばた なりみち)さんのこと】     【機関誌第2号】     Top


                    澤 井 信 子(さわい のぶこ)

 昨年、息子は目の障害を乗り越えてやっと医師国家試験に合格しました。5回生の時から網膜剥離の繰り返しでどんどん悪くなり、最もつらかったのは手術後の緑内障で眼圧が異常に上昇した時でした。最後に必死で先生を探し、私があちこち連れて行っていた時、本人は何が何だかわからず、痛みや眩暈に苦しんでいるばかりでした。やっと名古屋で手術して助けていただき、何とか今の状態を維持できています。

 試験が受けられず留年したり、試験結果が駄目だったりで、結局10年の学生生活になってしまいました。絶望したり自暴自棄になったりしたこともあったと思いますが、昨年、やっと苦労と努力が実りました。視力はかなり落ちてしまいましたが、何とか維持し、現在金沢医科大学で研修をしています。今あるのは多くの方々に助けていただき、国家試験での受験のお世話など本当に良くしていただいたお蔭と、感謝の気持ちで一杯です。

 私は京都に在住していますので、常に金沢にいる息子の眼の状態が気になり行ったり来たりの状態ですが、金沢駅前に石川県立音楽堂という素敵なコンサートホールがあり、内外の演奏家のコンサートや、古都にふさわしく日本芸能の催しもよく行われています。目の障害をかかえて遠くで一人暮らしをしている息子の様子を見に何度も通いましたが、つらいことばかりではなく、この音楽堂でのコンサートは時々私をとても幸せな気持ちにさせてくれました。

 県立音楽堂を本拠地とする「オーケストラアンサンブル 金沢」は大きな規模ではないのですが、美しい音色と面白い企画、演奏技術の高さなど、私は一級の実力のオーケストラだと思っています。定期公演はいつも一杯のお客さんで、きっと金沢の人たちの誇りなのでしょう。

 12月には大ホールでキエフ国立フィルハーモニー交響楽団の公演があり、8歳の時に視覚障害を負った川畠成道さんのチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を聴きました。デビューCD「歌の翼に」を買って以来、とても素敵な演奏ですっかりファンになったのです。しかし心の余裕も時間の余裕もなかった10年余り、彼のコンサートを聴く機会はなかなかありませんでした。
 今回は息子も医師として働けるようになったので、今までのような、心の片隅に悲愴感を携え、「音楽で癒してもらおう」という受け身の気持ちで聴くこともなく、心を真っ直ぐ音楽に向けて対峙することができました。

 小柄で、まだ若い少年のように颯爽と姿勢よく舞台中央に進んでいく姿は、視力障害があるとは思えないほど力強い歩みで、その流れのまま、音楽もまた力に満ちて迷いなく、美しさに満ちていました。歩いている時からすでに音楽が始まっているようでした。

 演奏が終わった後、指揮者のニコライ・ジャジューラさんは静止画像のように動かず、会場はモノクロ写真のように静けさをたたえました。誰も拍手したくない…と、そのとき誰かがやっとその静寂を破って拍手をしたかと思うと、会場全体が唸るように拍手に包まれ、求道者のように集中力と情熱をかけた川畠さんは、優しさにあふれた笑顔で客席へ感謝の意を表していました。

 1時間近い大曲をオーケストラと共演した後は通常アンコールはないのですが、あの日は大サービスで、イザイの無伴奏ソナタから「バラード」を演奏してくれました。チャイコフスキーの協奏曲も超難曲ですがイザイという作曲家は一般的には知られていませんが、とんでもない難曲で、しかも素晴らしい名曲です。無伴奏ですから、指揮者もオーケストラのメンバーもじっと耳を傾け、素晴らしい演奏に聴き入っていました。

 あのコンサートで、川畠さんは視力障害をもちながら優れた才能を開花させ人々を感動させてくれました。「聴いてくれる人たちが幸せを感じてくれる演奏をしたい。」と自らの著書に記しているように。彼をここまで立派に見守り、育てられたご両親や先生たちの思いも、私のつらさとは比較にはなりませんが、感動の一因となったのでしょう。私は初めてコンサートで涙ぐんでしまいました。

 8歳の時、川畠さんは旅行で訪れたロサンゼルスで、薬害のため「スティーブンス・ジョンソン症候群」という難病に侵されたそうです。医師ではないので全く病気についての知識はないのですが、ご自身の手記でその壮絶な闘病生活を記しておられました。UCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)でいろいろな先生方にお世話になり命を救ってもらいましたが、視力障害が残ってしまいました。

 バイオリニストだったお父さんは、将来息子が何とか自分の力で生きていけるようにと考え、バイオリンを弾かせてみると、最初からちゃんと楽器を構え、きれいな音を出したので「10歳では遅いけれどこれしかない」と、毎日休むことなくレッスンを続けました。

 お父さんが優れたバイオリニストだったとはいえ、10歳からバイオリンを始めて一流のプロになることは稀有なことです。かすかにまだ視力があった頃、模造紙に大きなオタマジャクシを書いてもらい家中の壁に貼り付けて曲を覚え、練習したそうです。次第にそのオタマジャクシが見えなくなり、複雑で難解な楽譜も当然見ることはできません。CDで聴いたりお父さんに演奏してもらったりして覚えてしまってから、やっと弾く練習が始まります。
 結果的に彼は全ての曲を暗譜するわけです。視力を失ったことで自分にはそういう能力がついたと彼は記していますが、多分素晴らしい頭脳と絶対音感を有効に使うことを自らの努力で体得したのでしょう。

 コンサート会場の出口にデビュー10周年のCDを売っていたので買い求め、デビューCDと同じ曲、メンデルスゾーンの「歌の翼に」が収録されているので聴き比べてみました。音はすっかり艶っぽく深く、大人の音になり、伴奏とのアンサンブルのとどまることのない滔々とした流れに感動し、「成長したんだねぇ」とすっかり嬉しくなってしまいました。伴奏者もとても楽しそうで即興で遊ぶような演奏です。

 とにかくバイオリンが大好き、音楽が大好きと言う川畠さん。ストイックな風貌ながら演奏は情熱的でお洒落です。またいつか、今度はクライスラーの小品などをたくさん聴きたいと楽しみにしています。