【どくとるマンボウ老年記】     【機関誌第2号】     Top


                       T・N
   
 私は小さな町で精神科のクリニックを開業しています。30歳の時、網膜色素変性症と診断され、いずれ失明するでしょうと宣告されました。
 「今の西洋医学では治療法はありません。『アダプチノール』という薬がありますが気休めなので飲んでも仕方がないでしょう。2、3年に1回、検査に来てください。」と言われました。その時、西洋医学がダメならば鍼で治る可能性があるのでは?と思いました。

 それからいろいろな本を読んだりしながら探しましたが、どこの鍼灸の先生がいいのかわからず、たまたま姉の知人に鍼灸院をしている方がいて、そこに通うことにしました。その先生は眼のツボについて全く知らず、自身の感覚を頼りに体の良かれと思うツボに鍼を刺すだけでしたが、それでも行きと帰りでの色彩感覚の違いは歴然で、行きで見たチューリップの色が帰りには全く別物の色鮮やかさでした。しかし地理的・時間的関係上、そこには1年ほど通っただけで行かなくなりました。

 36歳の時、今は故人となられましたが、千葉の木更津に眼科の専門医で小倉という先生が『自然治癒力を活かせ』という本を出版されており、その本の中で「網膜色素変性症の進行を止めることができる」と書いてありました。そのためには玄米菜食1日1食の上、1日10km走ることとありました。とても無理だと思いました。

 また、漢方薬の小柴胡湯(しょうさいことう)・桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)が有効であり、若い時に飲めば飲むほど良いとも書かれていました。余談ながら眼科専門医で中国医学に精通している小倉先生を含む3人の先生方がそれぞれ論文を発表されていますが、この2つの漢方薬の有効性は、どの論文でも示されていました。たまたまその先生方が単独で試して、3つの論文がたまたま一致したというのは驚くべきことでした。

 38歳の時、偶然目にした新聞の記事で芦川先生という眼の病気専門の鍼治療をする先生が大阪にいると知って通院するようになり、現在に至っています。今年で27年目です。初めて芦川先生にお会いした時に「安心してください、失明しませんから」という言葉を聞いて安堵したのを覚えています。しかし、現実はそう甘くはありませんでしたが…。できるだけ病気の進行を遅らせるため、今は週1回治療を受けに行っています。

 クリニックを開業して今年の4月で丸11年になります。開業した頃は、視野は狭いものの日常生活にはほとんど支障なく、診察もできていました。当初は1日 2、3人の患者さんしか来ない日もあり、当時小学2年生だった長女に「お父さん、今日何人患者さん来た?」と聞かれ、「3人」と答えたことを昨日のことのように覚えています。
 その娘も今春から大学生となり時の流れの早さをしみじみ感じています。今は1日平均44、5名の患者さんを診ています。少ない日で30名、多い日は64、5名、毎日クタクタになって診察しています。

 ここ10年で徐々に視力も低下し、途中、拡大読書器でカルテを見たり書いたりしていましたが、画面を一日中見ていると目にかなりの負担がかかるので、ある日を機に突然止めました。ほとんど見えないながらもカルテに直接サラサラと書いた、その開放感が忘れられません。

 スタッフが、私の書くカルテや処方内容の文字を辛うじて読んでくれ診察をしています。私のクリニックの1カ月の患者数は延べ880名ほどです。似たような名前の方もいるので、その人がどんな人であるかすぐにわかるように名刺大のカードに各患者さんの特徴を書き、カルテの表に貼って診察時にスタッフにそれを読んでもらい、誰であるか認識してから診察を始めます。

 今年で64歳。開業した頃に比べると体力は、はるかに落ちてきています。私が突然クリニックを閉鎖したら、いま通院している患者さんたちの行き場がなくなりパニック状態が起こるのではないか?と思い、誰か私の跡を引き継いでくれる人がいないか探していますが、なかなか見つからないのが現状です。

 以上、私の病状を含むこれまでの経歴や近況を報告させていただきました。『ゆいまーる』に入会してから総会にまだ一度しか参加できず、会員の皆様にお会いできずにいるのが残念ですが、今後ともよろしくお願いいたします。