障害者として働く
吉 金 英 二 (愛媛)
私は今年で失明して20年になります。一度は理学療法士の仕事をあきらめ、鍼灸の資格も取りましたが、アルバイトや短期契約などを繰り返すことで理学療法士として、再度働くことができました。障害を抱えて仕事をする中でいろいろな場面に出会い、試行錯誤もしてきました。嫌な思い出もありますが、とても感動することもありました。私が体験した中で、今回は介助方法について書いてみたいと思います。
障害者として働く中でどうしても私自身の移動に困ることがありました。スタッフや患者さんが手引き(誘導)してくれるのですが、はじめはこの手引きがうまくできませんでした。ほとんどの人が幼子を連れて行くように、手を繋いで引っ張って誘導してくれました。時には向かい合わせで両手を繋いで、後ろ向きで誘導してくれる人もいました。
そして一番怖かったのは、後ろから両肘をつかまれて前に押し出される方法です。これは両手が利かない上に、介助する人からも私の足元が確認しにくいということでした。どの誘導方法でも何度かぶつかったり、つまずいたりしました。今では私が先に声がけをして、肩を借りて歩くことにしています。この声がけができるようになるのにも時間と慣れが必要でした。
まだまだ手引きもうまく声がけのできない障害初心者の頃の話になります。
私が短期採用で試験的に理学療法士として働いていた施設のことです。その患者さんは脳梗塞で左半身不随の80歳代の男性でした。車いすで過ごしており、リハビリは麻痺の手足を動かしたり、平行棒の中で立つことでした。調子が良ければ平行棒内を1往復ずつ歩くこともできる患者さんでしたが、あまり積極的に動くことのない人でもありました。
いつもは別の理学療法士がプラットホームというリハビリ訓練用の2×2mの低い台で基本的な手足の訓練をしてから車いすに乗せ、数メートル離れた平行棒に連れて行きます。私が1ヵ月ほど働いて慣れてきた頃に、平行棒までの移動は手伝うということで、担当を替わることになりました。
プラットホームで基本的な訓練をして車いすに乗せ、さあ平行棒に移動しようとした時でした。いつもは車いすで押されているだけの患者さんが、自分で車いすのブレーキを外して思わぬ行動に出ました。片側が半身不随の人は、自由な側の手足で車いすを操作します。この患者さんも時折は片手片足操作で動いていました。ブレーキを外した患者さんは、右手で私の手を引いて右足だけで車いすをこぎ出したのです。そのまま平行棒まで行き、私に、ここが平行棒だと教えてくれました。
私も手伝おうとしていた理学療法士も、それを見ていたスタッフ・他の患者さんもびっくりです。
患者さんにお礼を言い、理由を聴いてみました。患者さんは私の働いている姿を見て、自分もできることはしなくてはと思ったそうです。それからは、その患者さんは時間になると一人で車いすを操作してプラットホームまで来てくれるようになり、また車いすに移ると私の手を引いて平行棒まで連れて行ってくれるようになりました。もちろん歩行訓練にも積極的になりました。
それまでの私は障害を抱えて仕事ができるのかと不安で、失敗すると自信をなくし、手伝ってもらうことが多くなると情けなく感じていました。しかし、この患者さんの行動で私自身も働くことに自信ができてきて、失敗しても手伝ってもらってもできることはあるはずだと前向きに考えられるようになりました。
今回は私を手引きしてくれた話でしたが、他にもいろいろな場面で、患者さんやスタッフとの間に笑いや感動、勘違いなど多くの体験をしてきました。これからも嫌なことや自信を失うようなことがあるのでしょうが、面白く楽しい思い出ができるように、もうしばらく働いてみたいと思っています。