【症例報告】     【機関誌第3号】     Top


 2011年11月開催の第7回日本シーティング・シンポジウムで発表した症例報告を、個人情報保護に配慮し、一部修正して以下に紹介させていただきます。


    「車イスで新幹線に乗り母親への面会を果たした緩和ケア病棟の一症例」


                     理学療法士 川 上 真 弓 (東京) 他

     キーワード:緩和ケア病棟 対麻痺 シーティング

 1. はじめに

 当院緩和ケア病棟に入院された癌末期、対麻痺の患者様に対し、外出がしたいという本人の希望に添うかたちでシーティングを行い、当初の期待を超え、新幹線移動による遠方の母親との面会を実現させることができた。本症例にかかわることで多くを学んだ。ご家族の承諾を得て、ここに報告する。

 2. 症例紹介

 69歳男性。2009年8月食欲不振、体力低下にてT病院へ入院。翌日に対麻痺が出現。精査の結果、進行食道癌で、気管・気管支浸潤、リンパ節転移に伴う反回神経麻痺、肺転移、胸椎転移及び脊椎圧迫骨折に伴う下半身麻痺を認めた。化学療法、放射線療法の効果なく、緩和ケア目的で同年12/21当院に転院。「余命が短くなってもいいから自分の好きなことをしたい」と希望。前医では誤嚥のリスクがあるため胃瘻からの経管栄養を行い、圧迫骨折のリスクがあるためベッド上生活だったが、当院では経口的食事と外出を望み、リスクの説明を受け承知の上で入院した。NSTでも確認し食事を開始、車イス乗車目的でリハ指示が出された。

 3. 初期評価

 意識清明。認知症なし。疼痛なし。全身状態は比較的安定し、食欲もあり。主治医より「余命は月単位」と宣告。Th8より遠位のほぼ完全麻痺。上肢筋力MMTにて5。端座位は上肢支持にて可。備品車イスの「マイラ」(簡易モジュラー 背角度・背張り調整なし)に試乗。体幹が前方に不安定なため、両手をアームサポートから離せない。滑り座りにすることで若干安定し安心感も得られ、平地を自走可能。しかし、ずり落ち、褥瘡のリスクも発生する。約30分の乗車で疲労。移乗板による座位移乗が適応。

 4. リハ目標

 「できる間は車イスに乗って外出し、行きたい場所へ行き、会いたい人々に会いたい」という本人の希望を可能な限りかなえるようシーティングを行う。

 5. リハ経過

 2009/12/28〜 本人の希望の聞き取りと、身体機能評価。移乗板移乗と普通型車イス坐位を経験。座位移乗は、エアマット上では不安定、動作に未習熟、体力低下があることを考慮し、2人介助とした。
 リクライニング型車イスの経験しかなかった患者にとって、普通型での自走は喜びであったが、ハンドリムでのブレーキ操作で前方へ倒れそうになり、「身体を車イスに縛りつけて欲しい」と訴えあり。
 個々人に適した車イスを調達できるレンタル制度の情報と業者のパンフレットを紹介。本人より、購入価格がレンタル月額で何ヶ月分にあたるか問い合わせあり。

 2010/1/22〜 レンタル 車イスの利用希望あり。それに先立ち本人から主治医に予後について再確認があり、月単位での変化が予想されるので、やりたいことは 先延ばしにしない方が良いと返答。レンタルに向け車イス・アセスメント。マット評価で、股関節屈曲80°。安心して手を離せる背角度10°以上。候補2機種を選び、業者にデモを依頼。

 1/27〜 パンフレットを見た本人の希望機種でもある「ネッティ4U」(ティルト・リクライニング・自走式)のデモ開始。座面奥行、座背角、ティルト角度を調整し、屋外介助走行を試す。備品の「マイラ」と比べ座位の安定性・快適性は格段に良い。しかし、車体が重く介助ブレーキがないためスロープで介助者の負担が大きい。また、前後長が長く飲食店などの狭い空間に入りにくい。以上の難点を本人と確認。

 2/10〜 別機種「アクトモア・レボ」(モジュラー型)のデモ開始。背角度を、この機種最大の8°に設定し、背張りベルトを緩めて骨盤が若干後傾位となるよう調整。座面クッションは奥行が長めの「EXGELサポート」とした。「マイラ」と比べ快適性が増し、体幹の安定に伴い安心感と上肢の機能が向上。また「ネッティ4U」と比べ、軽く小さい分、狭い所での取り回しが良く、スロープでの介助が楽に。ただ長時間の乗車をするには疲れた時の休憩の為にティルト・リクライニング機構が必要かもしれない。そこで2機種とも外出で長時間使用した結果、「アクトモア・レボ」で十分との本人の実感あり、これに決定。

 2/17 「アクトモアレボ」+クッション「EXGELサポート」のレンタル契約。10,000円/月(車イス8,000円、クッション2,000円)。ブレーキレバー延長。この頃よりムセ、咳で食事中止することがみられる。
 2/26〜 移乗時にキャスターが浮き上がる状況があり、転倒防止バーを装着。歩道を長距離走行した際、足が前へ落ちることがあり、フットサポートの角度調整とベルトの下腿前面への取付けで対応する。
 2/27〜 友人達が企画した浅草での焼肉パーティーに車イスで介護タクシーに乗り参加。翌日は娘と外食。リハでもほぼ毎回散歩外出。

 3/13〜 弟夫婦と介護タクシーで浅草へ。連続4時間の車イス乗車で、その後 尾骨部に表皮剥離見つかる。座位での褥瘡と判断し、除圧動作の徹底とクッションの変更を決定。この後 腫瘍熱で一時安静に。
 3/26 クッションのデモ器「エキシボ」で同窓会に出席。4時間連続乗車で問題なく、これに変更。

 4/2〜 褥瘡治癒。娘、孫達との食事や花見で外出。
 4/16〜 痰が多く食事がすすまない。食べ易く食指の動くものを求め、車イスで買い物や外食をする。
 4/25 弟運転のレンタカーで連続5時間の遠出。

 5/13 友人と鰻を食べに行く。
 5/16 大学時代の仲間たちと、上野S軒で『お別れ』パーティー。連続6時間外出し食事、散策。
 5/19〜 名古屋の母親に会いに行く事を本人計画。事前打ち合わせで来院した付添い看護師にPTから情報提供し移乗方法など一緒に検討する。
 5/29・30 新幹線で名古屋へ。老人ホームの母親と面会、ホテルに一泊。「大変だったけれど行って良かった」と笑顔。疲労大。息苦しさあり酸素吸入開始。

 6/3〜 さらに状態低下し、家族駆けつける。本人の希望で4日まで車イスに乗車。その後はベッド上リハ。
 6/11 血圧下がり、応答困難となったが家族の希望に添いマッサージ施行。病室は本人らしく家族、親しい友人が集まり賑やかに見送る態勢。夜、永眠。


 6. 考察

 本症例は、精神面が安定し、身体状況とリスクをよく理解したうえで人生の最終章をどのように過ごすかの希望が明確であった。可能な限りそれを尊重する緩和ケア病棟の主旨を理解し選択して入院した患者である。転院当初に予想したゴールは、備品のリクライニング型車イスで近隣へ外出する程度だった。

 リハでは病棟の主旨に添うよう、シーティング、つまり「イス・車イス使用者の身体的・社会的適合」を行なった。余命月単位という中での本人のニーズの聞き取りと、身体機能評価、社会資源の情報に基づき、適した車イスのタイプとそれを速やかに提供する手段を検討した。タイプとしてはモジュラー型を、提供手段としては民間業者によるレンタル制度を推奨した。それにより近隣への散歩にとどまらず、介護タクシーを利用して遠距離の外出へと行動範囲を広げていった。

 座位時間が延長する中、臀部に褥瘡が発生したが、褥瘡リスクを看護サイドに伝えてあり、看護師により乗車後に臀部の皮膚の状態が注意深く観察されていたため、すぐに報告を受け、医師からは、栄養状態が不良で治癒しづらいが治癒のためあらゆる手を打とう、との指示を得た。

 リハとしては、除圧動作の徹底を指導し、クッションの機種変更を行なった。褥瘡は短期間で治癒し、行動を制限することは最小限で済んだ。その後も行動範囲を広げ、亡くなる半月前には、派遣看護師を伴い新幹線で名古屋へ行き、老人ホームに入居している母親を囲んで家族一同に会するという機会を自ら企画し、実現した。

 シーティングにより獲得した移動手段を使って何をするかは患者自身が考え、目標を広げていった。母親との面会に際しては、バリアフリーマップや駅員のサポートなどの社会資源について本人主導で情報収集・手配した。これらを可能にした要因としては、新聞記者であった本人の情報収集力と行動力が最も大きかった。それに寄り添い、人生の最後の時間をその人らしく過ごすことにシーティングの知識と技術を生かせたことを幸いに思う。