ゆいまーる機関誌掲載にあたって
川 上 真 弓(東京)
この症例は、私にとって忘れがたい症例です。その理由の一つとして、視覚障害が進行中の私にとって、このようなかたちで仕事ができるのはこれが最後かもしれないと思いながら、あたらせていただいたことにあります。
また実はこの症例を担当している時、同時並行で弟の癌との闘いと死がありました。この症例を思い出すことは、その節目節目に同時に進んでいた弟のエピソードを思い出すことになり、また、その時どのような気持ちで仕事をしていたかを思い出すことにもなります。これを書いたのは、それから1年半経ってからのことです。思い出すことはとてもつらく、書けるようになるまでに時間がかかりましたが、書き留めなければならないという強い気持ちがあり、報告にまとめたものです。
弟の病状は厳しいものではありましたが、ここでなら手術で回復の可能性があるとの医師の言葉に希望を託して、妻と子どもたちのために生き残りをかけて、弟は手術に臨みました。遠い岡山の大学病院で、妻に付き添われて闘病する弟の回復を信じて、その時の私は、私のするべきことは自分の持ち場で、自分の担当患者さんに対して自分にできることを精一杯やることだ、と思いながら仕事をしていました。
残念ながら手術の1ヵ月半後、力一杯闘った末に弟は亡くなりました。2010年4月26日のことでした。当時の私の気持ちは、まさか亡くなるなどとは思わなかった、妻と二人の子どもたちを残してこの世を去る弟の無念を思うと、言葉がありませんでした。弟の命を救うために、できることは何でもしてやりたかった。大きな手術を受ける弟に、何ができたかわからないにしても、仕事を辞めてでもそばに付き添ってやれなかったことを後悔しました。
弟が亡くなるという信じ難い悲しい出来事の後、病院という職場に出勤するのはとてもつらいことでした。けれども、そのときの私は、弟が帰ってこない以上、自分の担当患者さんに向き合うこと、病院という現場から逃げないことを、強く意識しました。
医療者を信じて、命を預けるしかない患者と家族の切ない気持ちを身をもって体験したことは、患者の立場に立つ医療者でいようとすることに迷いがなくなることでもありました。亡き弟が病院で働く私をいつまでも見ているように思います。
これらの当時の気持ちを、症例報告をまとめることで、少し整理できたように思っています。