【希望のワクチン】     【機関誌第4号】     Top



                       福 場  将 太(北 海 道)


 心の強さとはどういうものだろう。
 精神科医療に携わっていると、ふとそんなことを考える…心に強い・弱いの違いはあるのだろうかと。実際に患者からそういった質問を受けることもあるが、私は本質的にはそんなに強さの違いはないと思っている。

 確かに同じようなストレスを受けても平気な人もいればめげてしまう人もいる。でもそれは打たれ強さの違いというよりも、心を支えてくれるものの違いによるものだろう。支えてくれるものがあればそう簡単に心は折れない。大好きなこと・大好きな人…それらは心を支えてくれる柱だ。この柱の数が多い人、あるいは数は少なくても太い柱が立っている人はそう簡単にめげない。

 あるいはもう一つ、ストレスに対する捉え方の違いによるところも大きいかもしれない。同じストレスにさらされても、それを前向きに、あるいは楽観的に捉えることができれば心が受けるダメージを軽減することができる。ストレスに対して平気な人というのは、きっとその捉え方の技法が上手なのだと思う。

 そして私は考える。自分の大切なものをちゃんとわかっている人、ストレスの捉え方の技法が上手な人というのは決して天性の素質ではないと。それは少なからず悲しみや絶望を乗り越えてきたからこそ備わっていることなのだと。

 精神科医療において、患者の回復のために必要なものはいくつかあるが、その一つは負荷…すなわちストレスである。もちろんストレスこそが患者を苦しめる元凶でもあるのだが、治療の後半において適度な負荷は患者の背中を押す役割も果たしてくれる。人間というものはあまりにストレスがないとそれはそれで調子を崩してしまうのである。

 私が与えられた負荷は網膜色素変性症。いずれは失明に至ることもある進行性の視力障害。もちろん最初にそう告知を受けた時は絶望があった。しかし幸いなことにそれは穏やかな絶望であることにやがて気付く。一日一日少しずつ見えなくなっていくおかげで、その都度気持ちを整理したり対策を練ったりすることができるからだ。

 確かにこの病気のせいで失ったものは数多い。好きだった本も、映画も、自転車旅行も…もう楽しめない。自分でずっと書き溜めてきたノートももう見えない。それは間違いなく残念だ。しかしこの病気のおかげで手にしたものも多くある。自分には時間がないと背中を押されて、二十代の頃は無駄な時間を過ごさないよう心掛けて生きられたように思う。もしこの病気がなかったら、同級生と同じように東京の大学病院に残っていたかもしれない。北海道の素晴らしい大地に出会えたのも、今 自分の周りにいてくれる素晴らしい人たちに出会えたのも、言うなればこの病気のおかげなのである。患者の痛みを受容し助言を行う精神科医という仕事においても、視力障害は弱点だけでなく武器にもなってくれている。

 そして思う。網膜色素変性症のおかげで、心は少し強くなれたのかな、大切なものに気付いたり、ストレスの捉え方が上手になれたりしたのかな…と。少しだけ感染させて抗体を作るのがワクチンの理論。それでいくと、少しずつ絶望を与えられたこの心には抗絶望抗体ができているのかもしれない。

 『ゆいまーる』に所属されている方々は皆さんいつも明るい。見えなくてもそれはわかる。私のようにゆっくりではなく、ある日突然視力を奪われた方もいる。それでも笑っておられるのだから、きっとその心には思いも寄らない抗体が備わっているのだと思う。ここにいる皆さんは弱いけれど、とても強いのだと感じる。

 現在私は三十代。視力低下の進行も一段落してきたせいか最近ではどうもダラダラ過ごしている。これではいかん、と思い今回の原稿を書いてみた。こんな話は普段できないから『ゆいまーる』という場があるのは嬉しい。負荷を忘れて語り合える仲間がいるのは本当に有り難い。だからこそ日々はちゃんと適度なストレスの中にいて、自分を戒めていたいと思う。

 もしこの心に本当に抗絶望抗体なるものがあるのなら、そのワクチンを誰かに届けたい。穏やかな絶望は希望を生み出せることを伝えたい。
 そんなことを思えるのだから、私はきっと自分の病気を愛している。