【一年前とは違う東京の景色】   【機関誌第6号】     Top


                  藤 原 義 朗(ふじはら よしろう)(高知県)


 2017年3月、岡山から「のぞみ」が出発して数分、妻の携帯が鳴った。
 「お母ちゃん、○合格でした」
 「おめでとう、Sちゃん」
 「違う、違う、落ちたの…」

 それまで続いてきた大学へ向けての娘と妻・私の三人四脚は、予想していなかった一年を長く続けることになったのである。本来は大学専用マンションの契約・引っ越し準備の為の妻の上京だったのである。一転、予備校と浪人専用寮探しになった。

 高知にいる私の携帯が鳴った。
 「大学に行かんと、アパート借りて芸能界向けてやるき、もう構わんといて」。
 私の不安は増すばかり。悪い方向にいかなければいいが…。それでも何とか新宿の予備校、中野のマンションを契約し引っ越した。
 妻がマンションを出る時、娘の目は潤んでいた。高知へ帰るバスの中で妻は泣いていた。

 私に似て目立ちたがり屋の娘は、小学3年から子どもミュージカルを始め、演劇に力を入れている中高一貫校に進学した。大学は演劇学科を志望したが、叶わなかった。
 芸能界は私の果たせなかった夢である。娘は、それ以上に舞台やテレビに出るのが好きだ。

 さて、私は年に数回上京しているが、その年は、焼き鳥屋などで話を聴いた。別れる時は、笑顔を作っていても後ろ髪を引かれた。
 受験真っ最中の翌年2月、私はケアマネの講師に呼ばれて上京していたが、娘に会わないつもりであった。「やっぱり会いたい」と携帯が鳴った。新宿でうどん屋に入り、「よく頑張ってきたね」「うん」。お互い、それ以上話すと泣いてしまいそうで、何も話さなかった。

 2日後、合格を知らせる明るい声が届いた。日を置かず、妻が、今度こそ本命のマンション探しに上京した。
 「同じビルから東京を見る景色は、一年前とは随分違って見えた。今度は、色が付いていた」とのこと。

 4月、私も娘の住んでいる大学専用マンションに行った。
 「お父ちゃんは、サッポロビール、私はノンアルコール。ちょっと辛めに漬けたキューリの漬物」と言って乾杯した。また、涙が溢れそうになった。
 「あのままストレートに大学に入ってたら、世の中なめてたかもしれん。こんな苦しいこともあるなんて。一年の浪人は無駄ではなかったと思う」とのこと。世の中もっともっと苦労している人はたくさんいる。

 娘は現在、青山学院大学の3年生。アルバイトをいくつも掛け持ちしながら、お笑いサークルで活動している。憧れていた東京で高く高くジャンプしてください。父はいつも見守っています。