【「ゆいまーる」の会の皆さまへ】  【機関誌第7号】   Top

                 公益社団法人 NEXT VISION 代表理事

                 三 宅 養 三(みやけ ようぞう)


 皆様こんにちは。NEXT VISIONの三宅と申します。「ゆいまーる」の会は、その趣旨と重要性に鑑み、私はこれまでも高く評価してまいりました。

 私は1968年に眼科医になってから54年が経ちます。大部分大学や研究所で過ごし、多くの眼科に来院された患者さんと接してまいりました。専門は網膜で、網膜剥離に代表される手術で完治させることができる種類の疾患と、網膜色素変性に代表される現時点ではまだ治療に到達していない遺伝性疾患の多くに取り組んできました。特に遺伝性疾患では今から40年以上前に初めてお会いし、今でも定期的に診察をし、いろいろ話し合ってきた患者さんも多くおられ、重篤な視覚障害の方がこの間どのように生きて来られたかを、いろいろ見せていただきました。

 視覚障害を持つ患者さんには、いろいろあります。生まれつき視覚障害が強く、ただそれがそれ以上進行せず、そのままの状態で一生を送られる方、若い頃から中年に急速に進行してほとんど視覚を失うような状態になった方、少しずつ年令とともに進行して晩年にはほとんど見えない状態になる方といろいろです。生まれつきの方はよく見える状態の経験がないため、不幸感はありません。自分の目の状態と目の正常な方に合わせた社会構成が食い違っており、それに合わせるように努力され、立派なお仕事をされた方は多くおられます。
 またこのような方は人一倍努力されるせいかもしれませんが、他の感覚器官が普通より発達し、それを駆使して「頭で見る」といった表現が適当のような能力を発揮されることも稀ではありません。天才ピアニストの辻井伸行少年もすごいですね。

 今から50年ほど前の患者さんで視力や色覚に関係する網膜の錐体細胞が生まれつき機能不全の状態で、そのため視力が非常に悪く全色盲の青年がおられました。杆体1色覚という疾患で、これ以上は悪化しません。ご本人が教師になりたいという希望を持たれていましたので、その大変な熱意と失明することはないということを詳しく書いた推薦書を持参させましたところ、見事に教員試験に合格し、60歳まで高校の教師を立派に務められました。教官としての彼の態度は、ひと目で目が不自由であることはわかりましたが、その状態で一生懸命教育をしている姿は学生や父兄から大変尊敬され好感を持って捉えられ、それが非常に大きな教育効果に繋がったことを校長先生からお聞きしたことがあります。

 私が40歳の頃、31歳の男性が訪れ、他医で網膜色素変性と診断され、遠くない将来失明することを告げられました。そんな時ちょうど勤務先の会社から米国への長期赴任を命じられ、どうしたら良いのかと相談に来られました。私は種々の検査から遺伝性網膜変性ではあるが、予後は網膜色素変性ほど重篤ではなく、進行はするものの60歳までは十分に今の仕事が続けられると診断いたしました。その時の御本人と同伴された奥様の喜びは大変なもので、その時の状態を忘れることはできません。私の勧めを受けて米国に赴任されることを決められました。赴任先がサンフランシスコでスタンフォード大学眼科の主任教授が私の親友でしたので、彼に現状と私の考えを手紙にして渡しました。

 それから30年程経った時、私は愛知医科大学の理事長をしておりました。大学が新病院を建設することになり、寄付を募っており、特別病棟入院の患者さんには私の写真入りの要望書を配っておりました。そんな時、とある女性から一通の手紙を受け取りました。その女性は上述した米国に赴任した男性の奥様で、私が米国行きを許可した事を殊の外喜んでおられた方だったのです。彼女はこの寄付要望書の写真を見て、これが私であることを瞬時に見破られ、一度会ってほしいとのお手紙でした。病室に伺うと、彼女のお父様が入院されており付き添っておられました。彼女はまず最初に、約40年前に米国赴任を許可されたことの御礼を何度も繰り返されました。

 私の申した通りで40歳くらいまでは少しは進行するがそれ以後は非常にゆっくりした経過をたどると私が申し上げたことがそのまま事実で、60歳になっても会社で普通に働くことができたと申され、もしあの時に他医が述べたように、網膜色素変性で失明を暗示されたら、米国も行かず職業も変わっていたし、何よりその後の人生における気持ちが全く別のものであったと申され、私が当時米国の教授に書いた手紙を大事に持っておられました。すぐに入院されていたお父様が、大学に2,500万円のご寄付をしていただき、私が退官した後も毎年大学に寄付を続けておられるそうです。それほど私の診断が、この夫婦にとって人生の方向とその後のやる気を決めた大事なものだったようです。

 私の友人の奥様が視野が狭くなったということで、39歳の頃名古屋大学に来院されました。一見、網膜色素変性類縁の疾患でしたが予想以上に急速に悪化して約1年でほぼ失明に至りました。ご主人が先端医療の研究をされている外科医でしたが、このような疾患でもこれからの先端医療で治療法が開発されないかとの希望のもとに、ご主人と特定非営利活動法人の組織を立ち上げられ、全国から人材を集めこの女性を中心に組織の進展を図られました。私も役員に加わりましたが、この組織ができて以来、彼女の様子が徐々に変化しやる気満々の行動女性となりました。最初は大変落ち込んでおられましたが、目的意識とご自分の能力に自信が生まれ、人はこんなに変化するものかと感心しました。

 このように視覚障害者でも、仕事と自信とがうまく結びつくことにより、ご自身も満足され、また社会のためにも非常に貢献するお仕事を続けることができた例を私は多く経験しております。

 「ゆいまーる」の皆様は、私が存じ上げている方々だけを見ても、多くの才能を持っておられるものと推察いたします。どうかそれをお互いに示しあい、情報交換を行い、同じ悩みを持ちながら医療という人生の道を選んだ人や、またこれから選ぶ人たちの親睦を深めていただきたいと思っております。また視覚障害を持つ方が医療に携われることは非常に大きな意味があります。患者様の気持ちをより深く理解され、それが患者様に伝わるからです。

 NEXT VISIONの掲げる大きな目標の一つにも、この「ゆいまーる精神」がございますので、これからもNEXT VISION とともに歩んでいただきたいと思います。どうか宜しくお願いします。