【朝日新聞 1998(平成10)年11月14日(土) 朝刊】 【機関誌第8号】 Top


     失明の老医師 障害越え力強く「公害の悲劇 経験伝えたい」

         狛江の元厚生省職員 高田馬場できょう講演

 厚生官僚として公害の現場を歩き、失明してもなお、環境と人とのかかわり方を説き続ける老医師がいる。狛江市岩戸南3丁目に住む戸田 陽(きよし) さん (67)。「失明しても元気な姿を見せることで、障害のある人を励ましたい。自らの経験を若い人にも伝えたい」。14日には、新宿区高田馬場でダイオキシンと内分泌かく乱化学物質 (環境ホルモン) について講演する。

 戸田さんは1955年に三重県立医科大学 (現三重大医学部)を卒業後、整形外科医として働いていた。眼底の異常を検査で知ったのはそのころだ。
 数年後、知人に「厚生省には医者が足りない。働いてみないか」と誘われ、「いずれ失明するのなら、元気なうちに国のためにがんばろう」と、63年に入省した。

 当時、高度成長のひずみが全国で噴出していた。厚生省では、水俣病患者を調べた。富山県公害部次長としてイタイイタイ病と、三重県保健衛生部長として四日市ぜんそくと、かかわった。
 現場の責任者として現地住民に疎んじられることもあった。一人の医師として、被害の現実に胸を締め付けられた。「なぜ、こんなひどい状況になるまで対策が講じられなかったのか」。社会のあり方を変えない限り、悲劇は繰り返されると悟り、自らのライフワークを見つけた。

 50歳を過ぎると、視力は徐々に落ちていった。都赤十字血液センターを91年に退職。92年には完全に失明した。
 医師として障害者手帳を交付したこともあったのに自らが失明したのは認めたくなかった。視覚障害者が持つ白いつえを持ちたくない気持ちもあった。
 だが、ある時 「このまま家の中に閉じこもったら寝たきりになってしまう」と思った。「まだ頭も耳も手も足もしっかりしている。自分の経験、意見を伝えていきたい」

 入力した字を声で教える音声ワープロを購入し、タイプを覚えた。聴衆に配る文面をつくるためだ。大学や自治体からも講演の誘いがかかるようになった。
 「かつての公害は、企業対地域住民という図式だった。今の環境ホルモンは違う。すべての人が加害者であり被害者だ。今こそ大量生産、大量消費を終わらせなければ」

 14日の講演は日本盲人専門家協会主催。午後2時から新宿区高田馬場1丁目の日本点字図書館で。会費千円。
 (写真)「ワープロは失明してから覚えたんですが、字にすると頭の中もまとまるんです」。経験を伝えたいと意気盛んな戸田陽さん=狛江市岩戸南3丁目の戸田さん宅で。

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