【会員より】    【機関誌第8号】   Top


     「未来を歩く」

                福 場 将 太(ふくば しょうた)(北海道)

 みなさんの子供の頃の夢は何だろう。「大きくなったらお医者さんになりたい」… そんな未来を描いた子供がいても、目が見えなくなってしまったらかつてはその夢を断念するしかなかった。法律の中の欠格条項というものが巨大な壁として立ちはだかっていたからだ。

 2001年、医師の欠格条項の一部が緩和され、目が見えない者でも医師国家試験を受験したり、視力を失った医者でも仕事を続けたりする道が生まれた。ゆいまーるの守田稔代表は前者、僕は後者のケースだ。そして2023年4月、解放出版社から発刊された書籍『障害のある人の欠格条項ってなんだろう? Q&A』に守田代表と僕で原稿を寄せ、自身でも欠格条項について考えるようになった。

 障害の有無にかかわらず全ての人間に職業選択の自由があるべきという考え方は正しい。ただ難しいのは、そもそも資格や免許は能力を有している者に与えられるものであるということ。法の下の平等だからといって、試験の点数が達していない者を合格にするわけにはいかない。だから欠格条項をなくすことと誰にでも資格を与えることは異なる。大切なのは「障害がある」イコール「能力がない」と決めつけてはいけないということだ。

 とはいえ実際に障害者が健常者と同等の能力を発揮するのは難しい。目が見えない医者にレントゲンを読めというのは無理な話。これをクリアする一つの方法が、サポートによって足りない能力をカバーするというもの。例えば弱視の医者でも電子拡大鏡で画像を見るなどである。

 もう一つの方法は、できないことはあきらめてできることを頑張るというもの。例えば目が見えない医者なら問診や聴診・触診、処方調整の技術を高めるなど。「あきらめる」という言葉は「明らかにする」という意味から来ているそうだ。自分にできないことをあきらめるということは、裏を返せばできることを明らかにするということ。決して後ろ向きな姿勢ではない。

 そもそも欠格条項は資格に関する取り決め。資格や免許は多くの医療従事者の誇りであり、それによって使命感が宿り、未知のウイルスと闘うことだってできた。
 ただ一方で、医療には資格至上主義が横行し、人間性や情熱よりも資格の有無が重視され、業界そのものを閉鎖的にしてしまっている側面もある。今後、欠格条項がさらに見直され、障害があっても情熱に溢れた者が参入してくることは、業界の風通しを良くするだけにとどまらず、新しい医療の在り方を生み出すことにつながるのではないだろうか。

 門前払いではなくなったとはいえ、障害をもつ医療従事者が歩む道はまだまだ狭く険しい。ゆいまーるが存在することで、もちろん今を歩いている仲間たちを応援しながら、これから歩き出そうとしている仲間たちの道を少しでも整えてあげられたら嬉しい。

 この会には、視力は頼りないが情熱は頼もしい仲間がいる。目が見えないことで悔しい思い、情けない思いはたくさんする。視覚障害のせいで患者さんに不利益を及ぼすんじゃないかという恐怖も常にある。その気持ちを押してでも、自分は助けてもらいながらこの仕事をするんだと腹を括っている人たちがここにはたくさんいるのだ。

 僕も失明するかもしれない未来を告げられた時は、景色よりも教科書よりも、何より夢が見えなくなった。でも今はゆいまーるのおかげで、また新しい夢が見られそうだ。
 これでも医療従事者の端くれ。未来を歩く誰かのために、今僕たちも歩みを止めるわけにはいかない。

 *欠格条項書籍発刊記念イベント 福場講演 URL
  https://m.youtube.com/watch?v=uk5FbrKP3Mo