【会員より】    【機関誌第8号】   Top


     「腹腔鏡手術のありがたさを実感! 左の腎臓と尿管を摘出」

               有 光 勲(ありみつ いさお)(高知県)

 出し抜けに変なことを言うが、「がん」は病気だろうか? がんには、病気の場合とそうでないものがあるように思う。
 私は、62歳の時、食道がんになった。そのことについては機関誌第4号に書いた。幸い初期に見つけることができたので内視鏡手術で事なきを得た。今や62歳では年寄りということにはならないだろう。だからそのときのがんは病気である。その原因は何か? アセトアルデヒド、そう、酒の飲み過ぎであろう。

 ところが、またがんになってしまった。後で詳しく述べるが、ちょうど80歳の時である。私には喫煙歴はないし、今では酒もほとんど飲んでいない。なのに、なぜがんになったのか? その原因は、はっきりしている。それは老化である。私に言わせれば、高齢者のがんは老化に伴う単なる生理的現象であろう。

 「いやいや、それはがんになった人間の負け惜しみというもの。がんは、あくまでも病的現象だ」と言う人がいるかもしれない。いつもおびただしい細胞が入れ替わっているのだから、遺伝子のコピーミスが起こるのはあたりまえ、毎日5千個ほどのがん細胞ができているという。しかし、それらは免疫システムによって除去されるため問題にはならない。年をとるとこの免疫力が弱くなるためがんになるのである。さらに分裂増殖能を失った老化細胞が増えてくると炎症が起こり、それがまたがん発生の誘因になるという。

 「がんになるのはいやだ」というならその前に死ぬしかない。長生きしたいならがんになることも覚悟しなければいけない。しかし、高齢化の影響を取り除いた年齢調整死亡率によると、我が国のがんによる死亡者数は年々減ってきているという。食生活、公衆衛生、医学や医療の進歩によるものであろう。
 だが、私のような高齢者が多くなっているので、その絶対数は増えているのである。老化そのものを止めることはできないが、それに伴う有害な現象については、取り除いたり抑制することはできる。だからきちんと検診を受けて早期発見、早期治療に努めるべきであろう。

 前置きが長くなったが、本題に入ることにしよう。

 2022年5月20日の朝、左側腹部から前腹部にかけて痛みが起こった。以前に帯状疱疹になったことがあるので、それによる神経痛がぶり返したのかと思ったが、それまでに経験したことのないような痛みであった。そこで、その日の午前中、かかりつけの病院に行った。血液・尿・CT検査を受けた。肉眼的にもかなりひどい血尿が出ていた。
 CT画像を見ていた内科医は「腎結石が尿管に落ち込んだのであろう」と言った。腎結石ならもっと激しい痛みになるはずなのに、年をとると疝痛を起こす元気もなくなってしまうのかと、ちょっと情けない気持ちになった。泌尿器科の診察日に再度来院するように言われた。

 指定された5月25日に泌尿器科医の診察を受けた。CT画像を見ていたY医師は「これは腎結石ではない。おそらく腎盂がんであろう」と言う。それを聴いてもなぜか私は特にショックを受けることもなかった。
 「ここでは詳しい検査や手術はできないので、他の病院を紹介する」と言って医大や日赤、国立病院などを挙げてくれたが、いい噂を耳にしていた個人のT総合病院を紹介してもらうことにした。

 6月6日、その病院の泌尿器科S医師の診察を受けた。CT画像を見て「確かに初期の腎盂がんであろうが、入院して内視鏡検査をしなければはっきりしたことはわからない」ということであった。
 7月5日に入院し翌6日の午後全身麻酔による内視鏡検査を受けた。「わかりますか」と言う。麻酔の効き具合の意識確認をしているのかと思ったら「終わりましたよ」と言う。
 私はびっくりした。全く眠ったような気がしない。全身麻酔とはこんなにも楽なものか! あの華岡青洲がこんな状態を見たら、さぞかしおったまげるのではないだろうかと思ったことである。

 検査は楽なものであったが、その夜は拷問のような痛みに苦しめられた。一睡もできない。それは尿道カテーテルである。翌朝それを抜いてもらったときには生き返ったような気がした。
 それから2週間後、病理検査の結果を聞きに行った。やはりごく初期の腎盂がんであるとのこと。S医師は「直ちに手術をしなければいけないということもないが、放置しておくと頻繁に血尿が出るようになり貧血を起こすことになるかもしれない。しかし、手術をするかしないかについては、あくまでも患者が決めるべき」と言う。

 私は悩んだ。もう年なので、がんもそんなに進行しないのではないか? 自然治癒ということもあるのではないか? しかし、がんがどんどん成長して転移を起こすかもしれない。そうなったのでは取り返しがつかない。別に手術を受けるのが怖いというわけではないが、片方の腎臓だけでいつまで持ちこたえられるであろうかということが、最も心配であった。腎臓は肝臓の細胞のように増殖はしない。ネフロンは年とともに減っていくのだ。家のものは、爆弾を抱えているようでは心配なのでとにかく手術を受けてくれという。

 ようやく手術を受ける決心をした私は、そのことを伝えるためS医師のところへ行った。手術は、腹腔鏡で左の腎臓と尿管を摘出するが、副腎は残すという。S医師の説明を聴いていて、ただ1つ恐ろしいことがあった。それは、あの拷問のような尿道カテーテルを1週間も入れていなければならないということだ。だが、それに耐えるしかない。それが何よりも心配であった。

 9月19日に入院して翌20日に手術を受けた。全身麻酔については前回と同じである。
 「わかりますか」「はい」「終わりましたよ」
 ちょっとうとうとした感じであったが、なんと6時間48分もかかった。その後、集中治療室へ移された。両腕に点滴、尿道カテーテル、左側腹部に2本のドレーン、酸素マスク、ワイヤレス心電図、両下肢に静脈血栓を防止するためのフットポンプ、まさに管だらけ装置だらけである。
 普段から不眠に悩まされているというのに、こんな状態では眠れるはずがない。しかし、ありがたいことに術後の痛みはほとんどなかった。あれほど心配していた尿道カテーテルも2回目で慣れたのかそれほどの苦痛はなかった。

 翌朝、個室へ移されて片方の点滴と酸素マスク、フットポンプが外された。
 23日に2本のドレーンも抜いてもらった。それで動作時の腹部の痛みはほとんどなくなった。手術の傷跡は、左側腹部から前腹部にかけて1pほどの腹腔鏡を通すための3つの切開創、ドレーンを通すための5oほどの2つの切開創で、それらは縫合せずにガーゼを貼り付けただけである。さらに臍の左10pほどのところから下腹部中央寄りに12pほどの切開創、ここから手を差し入れて腎臓を取り出した。しかし、筋肉は全く切っていないので腹筋にどんなに力を入れても痛むことはない。
 9月27日には尿道カテーテルや点滴の抜去、抜糸が行われて、もう身体につけているものは何もなくなった。そして9月29日に退院した。ちょうど10日間の入院である。

 退院してからは普通の生活に戻った。術後の痛みはほとんどない。排尿にも全く問題はない。しかし、これからは片方の腎臓だけで頑張ってくれていることを常に念頭に置かなければならない。塩分やリンの摂取をできるだけ減らすことであるが、リンは塩と違って無味・無臭なのでわからない。魚や肉の加工品、インスタント食品をできるだけ減らすようにしなければいけない。蛋白質も腎臓に負担をかけるが、極端に減らすと免疫力低下やサルコペニアになる危険性があるので適量を摂るようにすることである。

 以前、行われていた腹部を大きく切り開く外科手術では、術後の痛みは大変なものであっただろう。今時の私のような患者はなんと恵まれていることか! 約7時間にも及ぶ手術を受けたというのに、片方の腎臓がなくなっているというのに、それ以前の状態となんら変わったことはない。なんの苦痛もない。腹腔鏡手術のありがたさをつくづく実感しているのである。