【私の医療体験】     【機関誌第4号】     Top



  「ひそかに侵入の機会をうかがっていた食道癌を見つけたので早々に退散してもらった」


                    有 光  勲(高 知)


 「検査の結果がわかりました。説明しますので、奥さんと一緒に来てください。」
 若い女医さんからの電話である。

 「あっ! ついに私にも来るものが来たか」と愕然とした。しかし、愕然としながらもちょっとおかしかった。「先生、そのような言い方されたのでは癌の宣告をしたのと同じですよ。もっと他のおっしゃり方ないんですか。」と言いたかった。思ったことは何でも口にしてしまう私もさすがにそれは言えなかった。2004年5月のことである。

 私は、そのころ高知盲学校に勤務していた。毎年、年度初めに職場検診がある。胃の内視鏡検査は、かなり苦しいものだと思っていたので、バリウム検査ばかり受けていた。ところが、2003年にそのバリウム検査でついに引っかかってしまった。意を決してついに内視鏡検査を受けることになった。その結果「なんだ、こんなものか。これなら毎年内視鏡検査を受けるのだった。」というのが率直な感想であった。検査してくれた医師が上手だったのか、あるいはよほど苦しいものだと覚悟していたからか、おそらくその両方であろう。

 再検査の結果、異常はなかった。私は、運のいい人間だと思う。その次の年、2004年の職場検診では、自ら希望して内視鏡検査を受けた。その時、ごく初期の食道癌が見つかったのである。もし、いつものようにバリウム検査を受けていたとしたらおそらく見つからなかったであろう。

 「先生、やはり癌が見つかったんですか?」
 「詳しくは、こちらにおいでいただいてから説明します。」
 と言って電話が切れた。その説明を聞きに行くのは1週間後である。その1週間が私にとってどんなに長かったことか。てっきり胃癌だと思い、「スキルスなら助からないだろうな。小さな未分化癌が見落とされていて、それが進行癌になったのではないか…」などと悲観的なことばかり考えるのである。私は医師ではないから、しなくてもいい心配をしていたのかもしれない。

 ついに待ちに待ったその日がやって来た。細君は連れずに一人で行った。
 女医さんの前に座るやいなや
 「やっぱり胃癌ですか?」
 と、息せき切って聞いた。落ち着いた物静かな女医さんは、
 「いえ、胃には異常ありませんでした。食道の方にちょっと」
 と言う。

 「食道癌ですか?」
 と、私はおどろいて聞いた。
 「そうです。」
 「どんな細胞が見つかったんですか?」
 「ごくありふれた扁平上皮癌です。」
 と言う。

 「ごくありふれた」と言われても私にとっては、ことは重大である。
 「まだ早期だと思うのですが、内視鏡手術で取っていただけますよね。」
 「それはまた詳しく検査してみなければ何とも言えません…」

 私は、胃腸を結構、酷使していたので胃癌ならそのツケが回って来たとしても仕方ないかもしれないと思っていた。しかし、食道癌とは思ってもみなかった。山崎豊子の例の「白い巨塔」に出てくるような小説の中の話で、自分には全く無縁のものだと考えていたのである。

 「胃癌でも大腸癌でも仕方ない。しかし、食道癌にだけは絶対なりたくない。喫煙歴はないし、強い酒をストレートで飲むようなことはしないから、なるはずがない。」と思っていた。
 そんな、まるでよそ事であるはずの食道癌を宣告されたのだから、その時の衝撃は大変なものであった。その詳しい検査というのも1週間先である。これまた私にとっては、まさに一日千秋の思いであった。

 「内視鏡手術なら何ということはないだろう。しかし、食道を全摘して胃管をつくることまでして生きていても仕方ないかな。それでも完治するのならまだしも食道癌はきわめて再発しやすいからな…」などと素人の心配は絶えることがなかった。

 その詳しい検査をしてくれたのは、別の内視鏡専門のベテラン医師である。もちろん、私の主治医である女医さんも立ち会っていた。ルゴール染色して検査してもらった結果、かなり広がってはいるが深部には達していないので内視鏡手術で切除できるとのことであった。それを聞いた私は安堵の胸をなでおろした。

 ルゴール染色は立て続けにはできないということで、7月の初めに入院して内視鏡手術を受けた。上皮下に生理的食塩水を注入して組織を持ち上げ、それに、スネアをかけて高周波で焼き切るという方法である。それを何回かに分けてやっていた。かなり時間はかかったが、別に苦痛はなかった。

 しかし、その手術を受けながら私が恐れていたのは、「全部は取り切れませんでした。外科手術するしかありません。」と言われることである。その手術が終わって「全て取れましたから」と言われた時にはまさに天にも昇る心地であった。心からその医師に感謝した。

 手術後は、何日か点滴と流動食である。飲み込む時、軽い痛みがあって食道を通過しているのがわかる。さらに、前胸部にかけて軽い放散痛もあった。知らず知らずのうちに意識がそこに集中していたので過敏になっていたのかもしれない。
 入院中、3、4回は内視鏡検査を受けた。私にとって救いだったのは、内視鏡検査が特に苦痛ではなかったということである。摘出した組織の中には、やや分化度の低い細胞があったということで、患部にレーザー照射もやってもらった。

 手術後3年ほどは、半年に1回、その後は今でもだが、毎年食道と胃の内視鏡検査を受けている。大腸の内視鏡検査も2、3年に1回受けている。
 癌検診や早期発見・早期治療を否定する著書もあるが、それでは、医学や医療に関するこれまでの研究成果や医療技術の進歩を否定してしまうことになりはしないだろうか。それらの恩恵を受けないという手はない。その恩恵によって私は、命拾いしたと感謝しているのである。