【リハビリは楽しさづくり!?】     【機関誌第4号】     Top



                       藤 原  義 朗(高 知)


 昨年、私が勤務する高知生協病院の系列である医療団体が「中四国地域のリハビリテーション技術者交流集会」を行いました。高知が担当県になり、私は、記念講演をさせていただくことになりました。どこも若いセラピストが多い中、「古い」ということ、「地元だから安い」ということで白羽の矢を立てていただいたのでしょう。

 同時に自分の理学療法士歴32年を総括するのにちょうどいい機会になりました。その講演の一部を以下に紹介させていただきます。
 講演目的は、「やりがい」「生きがい」を若いセラピストにいかに持ってもらえるようにするかです。


 1.経験した3つの話

 ■ 第1話 大阪で体験した「2回しか外に出たことがない」

 30代のAさんは、重度の心身障害の方でした。外出したのは、障害手帳の診断のために診察に行ったことと、もう1回は引っ越しの時だけでした。
 他の障害のある人と共に、毎週淀川の河原に車椅子で連れ出す活動から始めていきました。夏は生まれて初めてバスに乗り、明石海峡をフェリーで渡り淡路島で海水浴。民宿で一緒にお風呂に入り、眠りました。みな、初めてのことばかりでした。Aさんの感動した姿を今も忘れることができません。


 ■ 第2話 家と家の間が家

 外来に時々来られるBさんの家を訪ねてみました。隣の家と家の間が自宅でした。梯子段を上り、裸電球に浮かび上がったBさんの枕は、便器だったのです。このような人たちが、私たちの医療・リハビリを待ってくれているのだと実感しました。


 ■ 第3話 アンビュー持って高知球場に

 頸髄損傷で人工呼吸器装着のCさんはタイガースの大ファンでした。当時、高知には、毎年阪神がキャンプ・オープン戦に来ていました。  最初の年は「真弓監督の許可がないと電源が使えるかどうかは言えない。それは当日」と言われ、断念。

 次の年は外部バッテリーを電源にし、アンビューバッグを持って球場に行くことにしました。何とかバッテリーももち、試合を観戦することができました。医療従事者冥利に尽きた思い出です。

 *アンビューバッグとは
 患者の口と鼻から、マスクを使って他動的に換気を行うための医療機器である。人工呼吸法の主流として、救急現場の第一線で幅広く用いられている。バックバルブマスクともいうが、ドイツのアンビュー社の製品が知られているため、アンビューバッグとも呼ばれる。



 2.走れ、ひまわり号

 障害のある人の夢を乗せて走る列車「ひまわり号」の話を、聞かれたことがあると思います。始まりは東京下町の病院の訓練室からでした。

 「僕も1回、汽車に乗って旅をしたいな」
 という重度障害の方のポツリの一声を聞いたセラピストが、
 「それじゃあ、車椅子で旅に出る特別列車を仕立てていこうじゃないか」
 「みんなでやろうじゃないか」
 との思いで始まったのです。1982年11月のことでした。上野から日光まで走ったと聞いています。
 次の年は全国で9ヵ所、その次は14ヵ所、と増えていきました。多い年は、約70ヵ所走ったこともあります。

 高知ひまわり号実行委員会も、3年目から仲間入りしました。ある年は、カツオの街、土佐久礼(とさくれ)へ行き、タタキ作りを体験し、食べたこともあります。私自身、閉会の時に「今度私たちが来る時はもっと住みよい街に」と、挨拶をしたことがあります。

 このように楽しい企画で、バリアフリー運動はどんどん全国へ広がっていきました。別の言葉で言うと、楽しいから広がっていったのだと思います。セラピストの気づきが大きなバリアフリー運動に火をつけたのだと言えます。
 以上、これらの話の根底には、「医療としての信頼」があったからこそ、始められたのだと思います。

 さて、振り返ってみますと楽しかったことばかりではないのです。私の病院勤務も定年まであと数年です。今の若いセラピストに、「仕事と生きがい」「やる気」をどう作っていくのかが今後の仕事です。

 リハビリとは、「痛くて苦しいこと」という観念をお持ちの方もおられるでしょうか? 私はリハビリとは、「楽しさづくり」を広げることだと思っています。それを若いセラピストや医療従事者にどう広げていくのかが私の腕の見せどころであると考えています。